暖かな陽気に、九州の大宰府天満宮の飛び梅が咲き出したという。
受験がたけなわの此の頃、「サクラサク」という合格電報が受け取れるように、受験生にご利益があるといいですね。
いくらなんでも、少し早いのですが、今日の新聞の天声人語の記事「桜の樹の下に」」に思うところを感じました。
▲美しすぎる情景は時には心を乱すものらしい。・・・
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事にさくなんて信じられないられないことじゃないか」。
梶井基次郎の短編小説「桜の樹の下には」の冒頭の部分だ。
▲これを読んで驚いた、私は梶井基次郎さんの名は知っているがこの小説は知らない。
私も桜の花吹雪の中で、死につながる幻想を抱いたことがあるからだ。
風雅をめでることが好きな父は花見が好きでした。
ガンでなくなる数週間前も、病院の窓から見える見事な桜吹雪を眺めつつ、自分であろう遺
体が夜中桜吹雪の中を運び出されるのをに見たという。
「アレは幻想だったのか、実際だったのか」と聞かれ、返事に困ったのだ。・・
普通でも、桜吹雪にはそのような幻想を感じてしまうのです。
▲実際墓石に変えて、木を植える弔いかたがある。
やや神秘めくが、故人の使い残した精気のようなものが幹の中を這い上がり、葉を茂らせ、花や実をつける。
そう考えるば、四季の営みもいとおしい。夭折の墓ほど樹勢は強かろう。
ココからは樹木葬について、守る人がなくなった墓、或いは土地の心配などがかかれている。
▲、慰霊の役割を木に、つまり地球に託すと思えば、墓を守るという気苦労もいくらかは軽くなろう。
大切なのは、愛する人をしのぶ装置でなく、しのぶ心である
。思い出の暖め方は、人それぞれであっていい。と結ばれています。
皆さんは桜吹雪に何を感じますか?