永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(164)

2008年09月18日 | Weblog
9/18  164回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(3)

 十二月になって、霰混じりの空模様に、明石の御方は一層心細い思いで、姫君を抱きしめながら、このような日がまたあるとは思えない、と泣き伏しております。
 
 雪が解け掛かった頃に、源氏がお出でになりました。明石の御方は、あのことでお出でになったと胸のつぶれる思いで、心の中では、

「わが心にこそあらめ、否び聞えむをしひてやは、あぢきな、と覚ゆれど、軽々しきやうなり、とせめて思ひかえす」
――(姫君をあちらへ差し上げるのも上げないのも)私の心次第、厭ですと申し上げましたら無理にも連れて行かれましょうか。もう詮無いことと悔やまれますが、今更ながらそのような事を申し上げては軽々しいこと、と懸命に我慢していらっしゃる――

姫君のご様子は、
「この春より生ほす御髪、尼そぎの程にて、ゆらゆらとめでたく、つらつき、まみの薫れる程など、いへばさらなり」
――この春から整えはじめていらっしゃる御髪が、尼削ぎ(切り下げ髪の尼の髪くらい=腰上くらい)ほどに延びて、ゆらゆらとゆたかにゆれて、顔つきや目元の美しいことは言うまでもありません――

明石の御方は、泣く泣く、
「『何か、かく口惜しき身の程ならずだに、もてなし給はば』と聞ゆ」
――どうか、私のような身分の者の子と軽蔑してさえくださらないのでしたら…、と申し上げます――

「姫君は、なに心もなく、御車に乗らむことをいそぎ給ふ。寄せたる所に、母君自ら抱き出で給へり。片言の声はいとうつくしうて、袖をとらへて『乗り給へ』と引くも、いみじう覚えて」
――姫君は無心で、御車に早くお乗りになりたく急いでいらっしゃる。車寄せの所まで、明石の御方が抱いて行かれます。片言の言葉はとても可愛らしく、御母の袖を掴まえて「乗りましょう」と引きます。――

ではまた。


源氏物語を読んできて(臣下の姫たち)

2008年09月18日 | Weblog
臣下の姫たち
 
 臣下の家にあっては、女子の誕生を切に祈る。男子はそれなりに父親の引きもあり出世の道が用意されている。本妻に女子が産まれ、入内、后と行けば、一門として外籍と言う大きな権力を持つ。この女子を産んだ本妻は一生大事に扱われる。
 本妻に男子、女子の子供が産まれず、他所に子供が産まれている場合、子供を産んだ女性が重んじられ、場合によっては本妻は顧みられないこともある。

 紫の上(正式な本妻ではない)には、子供が出来ず、光源氏の苦悩の一つであって、前斎宮(六条御息所の姫君)を養女にして入内させる。明石の姫君を紫の上の子として養育させ、入内の準備に入る。冷泉帝の出生は秘密のまま。

◆参考:源氏物語手鏡

源氏物語を読んできて(163)

2008年09月17日 | Weblog
9/17  163回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(2)

母の尼君は思慮深い人で、

「あぢきなし。見奉らざらむ事は、いと胸いたかりぬべけれど、つひにこの御ためによかるべからむ事をこそ思はめ。(……)」
――それはつまらないご心配ですよ。姫君と暮らせないのは大変心苦しいことでしょうが、結局姫君の為に良いように考えましょう。(良い加減に考えてのことではないでしょうから、ただただ源氏の御方をご信頼申し上げましょう。)――

さらに、
「この大臣の君の、世に二つなき御有様ながら、世に仕へ給ふは、故大納言の、今ひときざみなりおとり給ひて、更衣腹といはれ給ひしけじめにこそはおはすめれ。(……)また親王たち大臣の御腹といへど、なほさし向かひたる劣りの所には、人も思ひ貶し、親の御もてなしも、えひとしからぬものなり。」
――源氏の君が、またとないご立派なお人柄なのに、臣下としてお仕えになる訳は、故按察使の大納言(源氏の母桐壺の御父にあたる)が他の方より一段と官位がお低いために、母君が更衣に留まられたということなのです。(まして皇族でない方の場合は、これどころではありません)母君が親王家、大臣家の姫君であっても、今が無力な家であれば、人も世間も軽く見、父親も等しくお世話できないものです――

また、
「ましてこれは、やむごとなき御かたがたにかかる人出でものし給はば、こよなく消たれ給ひなむ。程ほどにつけて、親にもひとふしもてかしづかれぬる人こそ、やがて貶められぬ初めとはなれ。(……)」
――ましてこの姫君の場合をお考えなさい。他のご身分の高い女君に、源氏の御子がお生まれになりましたならば、ぐんと落とされておしまいになるでしょう。(姫君の御袴着の式を、どんなに心を尽くしたとて、このような深山では何の見栄えがするでしょう、姫君をあちらでお世話なさるご様子を、よそながらご覧なさいまし。)――

と諭されます。

 明石の御方は、然るべき方や、占者に訊ねてみますが、やはり姫君は紫の上の方へお移りになることをお薦めになりますので、姫君の為に良いことならばと、苦しくも決心するのでした。

ではまた。



源氏物語を読んできて(親子・血縁)

2008年09月17日 | Weblog
王朝貴族の価値観
 
 子孫繁栄ということが、この時代の被飛び地の最高の価値である。子供を産んだ女は母親として重んぜられる。
 
 最高は、帝の后となって皇子を産むこと。臣下にあっては女子を産むこと。いずれも人間わざで左右できぬことが最大の関心事である。
 
 桐壺の更衣は男皇子(光源氏)を産んだため、それまで冷然と見下していた弘徴殿女御の態度が変わり、後宮の嫉妬から、政治問題に変質していく。
 男皇子は皇太子候補者として内親王とは影響するところ格段の差がある。

◆参考:源氏物語手鏡

源氏物語を読んできて(162)

2008年09月16日 | Weblog
9/16  162回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(1)

源氏(大臣)  31歳秋~32歳秋
藤壺(宮)   36歳~37歳(崩御)
紫の上(対)  23歳~24歳
梅壺女御(前斎宮) 22歳~23歳
明石の御方   22歳~23歳
明石の姫君   3歳

 冬に入るにつれて、大堰の明石の御方のお住いの心細さを、源氏は思われて、早く二条院の東の院に移る決心をなさい、と催促されますが、明石の御方は、あちらへ移って、
かえって源氏のつれなさを見るようなことになれば、なお辛いと思うのでした。

「さらばこの若君を。かくてのみは便なきことなり。思ふ心あればかたじけなし。対に聞き置きて常にゆかしがるを、しばし見ならはせて、袴着のことなども、人知れぬさまならずしなさむとなむ思ふ」
――ならば、姫君だけでもあちらへ。このままにしておくのは良くないでしょう。将来考えがありますので、もったいないことです。紫の上が噂に聞いていて、いつも逢いたがっておいでですよ。しばらくお世話をおさせして、袴着の式などもきちんとしようと思っているのですよ――

 明石の御方は、予想していたことですので、胸のつぶれる思いがして、

「改めてやむごとなきかたに、もてなされ給ふとも、人の漏り聞かむことは、なかなかにやつくろひ難く思されむ」
――わざと格式ある身分に扱われましても、実情を世間の人が聞き知りましたら、かえって思わぬ苦労をすることでしょう――

 手放したくない明石の御方の気持ちは無理もないと源氏も思いますが、なおも、

「後やすからぬかたにやなどは、な疑ひ給ひそ。」
――姫を粗略に扱いはせぬかとのご心配は無用ですよ。――

 源氏は、紫の上のお人柄の申し分ないことをお話になります。

 明石の御方の心、
「紫の上の源氏との並一通りでないご宿縁を思えばこそ、自分ごとき物の数でもない者が、立ち並べる筈もない。昔は、どれほどの人を源氏が本妻になさるのかと、世の噂も耳にしたことがありましたが、紫の上の御方によって好色心(すきごころ)が、落ち着かれたのももっともなことです。そうであるならば、生い先長い姫君を第一に考えて、仰るとおりに、物心つかぬうちにあちらへ差し上げてしまいましょう。―でも姫君がこちらにおいでにならなければ、源氏の御君は何に惹かれてこちらへお出でになりましょう。

ではまた。

 

源氏物語を読んできて(161)

2008年09月15日 | Weblog
9/15  161回

【松風(まつかぜ)の巻】  その(6)

 源氏のお話は続きます。

「同じ心に思ひめぐらして、御心に定め給へ。いかがすべき。ここにてはぐくみ給ひてむや。蛭の子が齢にもなりにけるを、罪なきさまなるも思ひ棄て難うこそ。いはけなげなる下つかたも、紛らはさむなど思ふを、めざましと思さすば、ひき結ひ給へかし」
――わたしと同じお気持ちで考えて、何とかお心を定めてくださいませんか。どうしたものでしょう。あなたの許で育ててくださいますか。もう三歳になっていまして、罪のない幼い様子を見ますと、思い棄てることはできないのです。まだ頼りない腰つきも、なんとかしてやりたいのです。(三歳故、袴着の式)面白くないとお思いでなければ、袴の結び役を引受けてください――

 紫の上は、
「思はずにのみとりなし給ふ御心の隔てを、せめて見知らず、うらなくやはとてこそ。いはけなからむ御心には、いとようかなひむべくなむ。いかにうつくしき程に」
――あなたが人の気もご存じなく、分け隔てをなさるので、私も強いて知らぬふりをしたり、打ち解けたりすることも無いと思って拗ねたのです。幼い人にはきっと気に入るでしょう。どんなにか可愛らしいお年頃でしょう――

 紫の上は、お子をたいそう可愛がられるご性分ですので、ここに引き取って、抱きかかえして大切に育てたいと思われるのでした。

 源氏は、どうしたものか、ここにどのようにして姫君を迎えようか、と思いめぐらしておいでです。
◆蛭の子が齢(ひるのこがよわい)=三歳のこと。故事にいう。

◆写真:大覚寺大沢池の紅葉

◆【松風(まつかぜ)の巻】おわり。

○パソコンの不具合が出てきましたので、急にお休みが入るかも知れません。
その時はどうぞよろしく。


源氏物語を読んできて(160)

2008年09月14日 | Weblog
9/14  160回

【松風(まつかぜ)の巻】  その(5)

 紫の上はいつものように機嫌が悪いご様子ですが、源氏は気がつかぬ風に、
「なずらひならぬ程を、おぼしくらぶるも、わろきわざなめり。われはわれと思ひなし給へ、と教へ聞え給ふ。」
――比較にもならぬ人を無理に比べて、気になさるのは悪いお癖ですよ。私は私、と思うようになさい、とお教えになります。――

 夕暮れるころ、源氏は参内される前に、なにやら物陰に引き寄せて急いで書かれるお手紙は、明石の御方の所へなのでしょうか。たいそうねんごろにお書きのようです。使いの者にこっそりと耳打ちをして出されますのを、女房たちは御簾の中で、目を見合わせて憎らしがっております。

 源氏は、参内して今夜は宿直の筈でしたが、紫の上のお心が解けず、ご機嫌が悪いので夜更けてから急ぎお帰りになりました。丁度、明石の御方からのお返事が来たところで、引き隠すこともできずご覧になって、紫の上が気を悪くされるような内容でもないので、

「『これ破り隠し給へ。むつかしや。かかるものの散らむも、今はつきなき程になりにけり』とて、(……)ことに物も宣はず」
――「これは捨ててしまってください。ああ煩わしい。こうしたものが人目に触れるのも、今はもう不似合いな年齢になってしまった」と仰って、(御心では明石の御方を不憫に思われてか)あとは、何も仰らない――

 御文は広がったままで、紫の上はご覧になりません。源氏は

「せめて見隠し給ふ御まじりこそ、わづらはしけれ」
――無理に見ないようになさるその目つきが気になりますね――
と、少しお笑いになりながら、紫の上の側に寄っていらして、

「まことは、らうたげなるものを見しかば、契り浅くも見えぬを、さりとて、ものめかさむ程もはばかり多かるに、思ひなむわづらひぬる。……」
――本当はね、可愛い姫を見てきたのです。浅い縁とも思われませんが、そうかといって、このまま一通りのお扱いをしますのも憚られて、思い悩んでいるのです。……」

◆らうたし=可愛らしい

◆袴着
 幼児の成長を祝い、初めて袴を着ける儀式。漢語風に「着袴(ちゃっこ)」とも言いました。
平安初期には男児に指貫、女児に裳を着せる同趣旨の儀式があったとされますが、平安中期には男女とも3歳~7歳位で、袴を着ける形になりました。
現代の七五三の原型のひとつとなった通過儀礼です。

ではまた。


源氏物語を読んできて(子供の髪)

2008年09月14日 | Weblog
子供の髪と通過儀礼

●産剃り(うぶぞり)
 最初に、生まれて7日前後で胎髪を剃ります。これには、出産の血による穢れを取り去るという意味があったようです。

●髪置き(かみおき)
 三歳になったくらいから、髪を剃ることをやめて伸ばし始めます。

●髪削ぎ(かみそぎ)
 髪がある程度伸びると、それを切り揃える髪削ぎを行います。四・五歳で初めて髪を削いだ後は、年に何回か吉日を選んで削ぎ整えながら髪を伸ばしていきます。
身丈に余る黒髪が美貌の第一として賞美される女の子は勿論、男の子も髪を伸ばして角髪(みずら)に結いました。

◆写真: 
 かつて、祭見物に出かける前、源氏が豊かに伸びた紫の君の髪を手ずから削いであげている場面です。いつもに増して美しく見える紫の君の髪に目を留めた源氏は、「今日は髪を削ぐのに日柄の良い日だろうかな」と言って、暦博士を召し、日や時刻の吉凶を調べさせました。

源氏物語を読んできて(159)

2008年09月13日 | Weblog
9/13  159回

【松風(まつかぜ)の巻】  その(4)

 翌朝、尼君は長生きの甲斐がありましたと、嬉し泣きに泣きながら源氏に申し上げます。
「荒磯かげに心苦しう思ひ聞えさせ侍りし二葉の松も、今は頼もしき御生い先といはひ聞えさするを、浅き根ざしゆゑやいかがと、かたがた心つくされ侍る」
――あのような海辺でもったいなく存じました姫君も、今は頼もしい御将来よとお祝い申し上げるのですが、何分身分の低い母であってみれば、将来もいかがかと心配でございます。――

 源氏は御自分の御寺にお出でになって、毎月十四、十五日と月末におこなう、普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏三昧は言うまでもなく、御堂の御飾り、御仏具など指図されて、その夜も大堰にお泊まりになります。この夜は明石の思い出の琴を互いに掻き合わせたり、打ち解け合ってお過ごしになりました。

 源氏は、
「いかにせまし、隠ろへたるさまにて、生い出でむが心苦しう口惜しきを、二條の院に渡して、心の行く限りもてなさば、後の覚えも罪まぬかれなむかしと思ほせど、また思はむこといとおしくて、えうち出で給はで、涙ぐみて見給ふ」
――どうしたものか。姫君が日陰者のようにして生い立たれるのは、おいたわしく残念でならない。いっそ紫の上に預けて、思うとおりにお育てしたならば、後に入内などの際には、世間からの非難も免れようが、と。明石の御方の立場を思うと言い出せず、涙ぐんでいらっしゃる――

「抱きておはするさま、見るかひありて、宿世こよなしと見えたり。」
――源氏が姫君を抱き上げていらっしゃるご様子は、まことに見栄えのすることで、姫君の宿運はすばらしいものと思われます――

 次の日、桂の院にも、ここ大堰のお屋敷にも殿上人がたくさんお迎えに見えます。隠れ家のつもりが帝にも知られております。この夜は桂にて大饗宴が催されました。大堰の方では、この賑やかなご様子を遠く聞きながら、ぼんやりと過ごされておりました。

 お心に掛けながらも、文さえも明石の御方に届けることが出来ないままに、源氏は二条院へお帰りになります。紫の上に、

「暇聞えし程過ぎつれば、いと苦しうこそ。この好き者どもの尋ね来て、いといたう強ひとどめしにひかされて、今朝はいとなやまし、とて大殿籠れり」
――お約束の日が過ぎてしまい、申し訳ありません。あの風流人たちが尋ね当てて、無理に引き留めるのについ引かされて、ああ、今朝はすっかり疲れてしまった、とおっしゃって、寝ておしまいになりました。――

◆大殿籠る(おほとのごもる)=大殿=寝殿
   籠もる=寝ぬ(いぬ)の尊敬語、おやすみになる。
  
◆写真:嵯峨野の竹林

ではまた。


源氏物語を読んできて(158)

2008年09月12日 | Weblog
9/12  158回

【松風(まつかぜ)の巻】  その(3)

源氏は、
「桂に見るべきこと侍るを、いさや心にもあらで程経にけり。とぶらはむと言ひし人さへかのわたり近く来居て待つなれば、心苦しくてなむ。嵯峨野の御堂にも、飾りなき佛の御とぶらひすべければ、二三日は侍りなむ」
――桂に用事があるのですが、いやどうも心ならずも日が経ってしまいました。訪ねましょうと約束した人が、その辺りまで来ていて待ちますと言っているので、気の毒でしてね。嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けをしていない御仏像のことで面倒をみなければなりませんので、二、三日はあちらに居ることになるでしょう――

紫の上は、
「桂の院といふ所、にわかにつくろはせ給ふと聞くは、そこに据へ給へるにや、と思すに、こころづきなければ、『斧の柄さへ改め給はむ程や、待ち遠に』と心ゆかぬ御気色なり」
――桂の院というところを急にお造らせになるというのは、そこにその人を住まわせるのかしらと思われ、面白くないので、「ご滞在は、斧の柄もお替えになる頃まででしょうか、待ち遠しいこと」と、まことにご機嫌がお悪い。――

源氏は、
「例の通り、あなたは気むずかしいお心でいらっしゃる……昔の浮気心はあとかたも無くなったと、世間の人もいっているのに……」と、何やかやと、紫の上のご機嫌をおとりになるうちに、日が昇ってしまいました。

 さて、源氏は御前駆も親しい家来ばかりで、用意周到に準備されて、大堰の明石の御方邸に黄昏時にお着きになりました。明石の御方も尼君も、久方ぶりの源氏の立派な直衣姿に、嘆き咽んでいました心の闇も晴れていくようでした。

 源氏は、ここは京から遠く、たびたびお訪ねするには骨がおれます。やはり、あの用意しましたところへ来て貰いたい、と申しますが、明石の御方は、

「いとうひうひしき程過ぐして、といふも道理なり。夜一夜、よろづに契り語らひ明かし給ふ」
――もう少し様子が分かって参りましてから、と、仰るのももっともなことです。この夜は一夜さまざまに契り、つもる思いを語り明かされたのでした。――

◆「…そこに据へ給へるにや」=紫の上は、この時は、女人を住まわせるために桂の院を、急ぎ源氏が造られたのかと思っています。
 二条院の東の院を造らせ、御堂も造る、源氏の財力の凄さがさりげなく語られています。

ではまた。