09.9/20 506回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(60)
源氏は紫の上をお相手に、お話をなさいます。
「いといたくこそはづかしめられたれ。げに心づきなしや。……なべてこの世の事にても、はかなく物を言ひ交はし、時々によせて、あはれをも知り、故をも過さず、余所ながらの睦かはしつべき人は、斎院とこの君こそは残りありつるを、かくみな背きはてて、斎院はた、いみじう勤めて、紛れなく行ひに沁み給ひにたなり」
――(出家の遅れたことを)いやあ、朧月夜にひどく恥かしめられたことだ。全く我ながら愛想がつきますよ。……世間の並み一通りのことにしても、何となく話し合ったり、折々につけても、もののあわれも見知り、趣味も解して、離れていながらも睦まじくできる人と言えば、前斎院(朝顔の斎院)とこの朧月夜だけが残っていましたのに、こう皆出家してしまい、斎院は殊に立派に勤行をして仏道に専念してしまわれた――
源氏はなおも続けて、
「女子をおふし立てむ事よ、いと難かるべきわざなりけり。宿世などいふらむものは、目に見えぬわざにて、親の心にまかせ難し。……よくこそあまたかたがたに、心を乱るまじき契なりけれ」
――女の子を育てることの、これほど難しいことはありますまい。それぞれに持って生まれた運命は目に見えないもので、親の心のままになるというものでもない。私は子供が少ないので、子供たちのために苦労しないで済んだことですよ――
源氏は明石の女御のことを思い出されて、紫の上に、
「若宮を心しておふしたて奉り給へ。女御は物の心を深く知り給ふ程ならで、かく暇なき交をし給へば、何事も心もとなき方にぞものし給ふらむ。(……)」
――あなたは若宮(明石の女御腹の女一宮)を気をつけてお育て申し上げてください。女御はまだまだ十分に物の道理をわきまえられないお年頃に入内されて、お暇のない宮仕えに明け暮れていらっしゃるので、何事につけても不行き届きがあるでしょう。(内親王と言われる方こそ、人から非難されることなく、一生こころ豊かにお過ごしになられるだけの教養も備えさせてあげたいものですから)――
紫の上は、
「はかばかしきさまの御後見ならずとも、世にながらへむかぎりは、見奉らぬやうあらじと思ふを、如何ならむ」
――私など大して良いお世話役ではありませんが、生きている限りは女一宮をお世話申し上げずにはいられまいと思うのですが、命の方がどうでしょう――
と、心細げにおっしゃって、このように勤行の道を支障なくなさる朧月夜や朝顔の斎院を羨ましくお思いになるのでした。
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(60)
源氏は紫の上をお相手に、お話をなさいます。
「いといたくこそはづかしめられたれ。げに心づきなしや。……なべてこの世の事にても、はかなく物を言ひ交はし、時々によせて、あはれをも知り、故をも過さず、余所ながらの睦かはしつべき人は、斎院とこの君こそは残りありつるを、かくみな背きはてて、斎院はた、いみじう勤めて、紛れなく行ひに沁み給ひにたなり」
――(出家の遅れたことを)いやあ、朧月夜にひどく恥かしめられたことだ。全く我ながら愛想がつきますよ。……世間の並み一通りのことにしても、何となく話し合ったり、折々につけても、もののあわれも見知り、趣味も解して、離れていながらも睦まじくできる人と言えば、前斎院(朝顔の斎院)とこの朧月夜だけが残っていましたのに、こう皆出家してしまい、斎院は殊に立派に勤行をして仏道に専念してしまわれた――
源氏はなおも続けて、
「女子をおふし立てむ事よ、いと難かるべきわざなりけり。宿世などいふらむものは、目に見えぬわざにて、親の心にまかせ難し。……よくこそあまたかたがたに、心を乱るまじき契なりけれ」
――女の子を育てることの、これほど難しいことはありますまい。それぞれに持って生まれた運命は目に見えないもので、親の心のままになるというものでもない。私は子供が少ないので、子供たちのために苦労しないで済んだことですよ――
源氏は明石の女御のことを思い出されて、紫の上に、
「若宮を心しておふしたて奉り給へ。女御は物の心を深く知り給ふ程ならで、かく暇なき交をし給へば、何事も心もとなき方にぞものし給ふらむ。(……)」
――あなたは若宮(明石の女御腹の女一宮)を気をつけてお育て申し上げてください。女御はまだまだ十分に物の道理をわきまえられないお年頃に入内されて、お暇のない宮仕えに明け暮れていらっしゃるので、何事につけても不行き届きがあるでしょう。(内親王と言われる方こそ、人から非難されることなく、一生こころ豊かにお過ごしになられるだけの教養も備えさせてあげたいものですから)――
紫の上は、
「はかばかしきさまの御後見ならずとも、世にながらへむかぎりは、見奉らぬやうあらじと思ふを、如何ならむ」
――私など大して良いお世話役ではありませんが、生きている限りは女一宮をお世話申し上げずにはいられまいと思うのですが、命の方がどうでしょう――
と、心細げにおっしゃって、このように勤行の道を支障なくなさる朧月夜や朝顔の斎院を羨ましくお思いになるのでした。
ではまた。