( コロナ禍から ようやく踏み出して 車で香川県にある レオマリゾートに行きました。)
歴史上最初に 二酸化炭素の排出が 地球を温暖化させるということを発表したのは スウェーデンの化学者でした。1896年の
ことです。今から120年以上前 明治時代のことです。『石炭を燃やして大気中に二酸化炭素を放出することで 人類は
徐々に地球を 数度は温暖化させるだろう。』と いう予測でした。この予測が出た頃からCO²は急激に増加 その右肩上がりは
現在も続いています。しかし人類はこの事実を重要なことと考えず 石油業界から流される偽情報もあって 第二次大戦後も
重要な対策を取ることが出来ずにきました。
そんな時 日本の若い気象学者の真鍋淑郎氏が気候をコンピューターで模擬実験するモデルを開発し(1967~1975年) CO²
増加による気温上昇を科学的に予言しました。ようやく1980年代になって大気中のCO²が2倍になったら 地球の気温がどれ
だけ上がる上がるかという議論が盛んになりました。温室効果という言葉もその頃から使われ 人間が地球の気候を左右
しうる・・ということが語られ始めました。
1988年 このブログでもよく登場するIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が設立されました。この流れで国連気候変動
枠組条約が採択され この条約を締結した国々が参加する会議がCOP(コップ)です。 第3回COPで京都議定書が
第21回COPでパリ協定が採択され 世界の多くの国が 地球温暖化を防止する努力を続けています。
日本は当時(1960~1970年代)公害問題が高度成長共に起こり 4大公害病が相次いで発生 住民運動も激化 公害問題が
深刻な政治問題化しました。 公害問題基本法 大気汚染防止法 公害国会が開かれ 環境庁が設置されました。1997年
COP3(京都会議)が行われ 京都議定書が採択されました。公害問題に国を挙げて取り組んだ経験が 地球環境への
対応に生かされた訳です。 言わば 日本は環境先進国でした。
残念ながら2023年の今日 気候変動の脅威に対する世界全体での対応強化が叫ばれている今 足を引っ張っているのは石炭
火力発電に固執する日本です。2030年迄にカーボンゼロの目処をつける決定的に重要なこの10年 全温室効果ガスを段階的に
廃止するとは声明しても 期限は明記されず 石炭火力の全廃時期については 日本の強い反対で 明記は見送られた・・。
一方で 電気料金は大幅に値上げされていきます。新聞を見ても気候変動問題についての記事は少なく 気候変動には足踏み
とか 優先度が低いと 小さな見出しがあったに過ぎない。 ( 続く)
バラ園が目玉で 春の大バラまつり ! が アジアの遺跡を模した庭園で行われていました。
手入れが行き届いていて 本当にきれいでした。 バラの香りもステキで 心地よくまわれました。
名前も小さな札で 紹介されていました。
花の女王と言われる程ですから 香りの甘さと共に その美しさに満足しました。
広い庭園の一部に 6月の花 アジサイも咲いていました。