島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首100

2014-09-17 | 奈留島百人一首
 
 100. 百敷や 古き軒端の しのぶにも
           なほあまりある むかしなりけり

                   順徳院(1197~1242)
         いよいよ最後の百首目に到達!
 「宮中の荒れ果てた古い軒端にしのぶ草が生えて、あばら家のようです、いくらしのんでもしのびつくせない、昔のよき世よ。」
 第84代順徳天皇は、父の第82代後鳥羽天皇と共に承久の乱を起こして敗れ、佐渡島に流され20年に及ぶ抑留生活後、佐渡で亡くなっていますが、当地で火葬後、父後鳥羽と並んで京都大原の大原陵(オオハラノミササギ)に葬られています。
 定家は不運な後鳥羽と順徳をしのんで、この小倉百人一首の最後に二人を並べたとも言われています。
 
 100. 隆起した 古き化石の しのぶにも
            なほあまりある 奈留の生活

               古き・の・しのぶにも・なほあまりある  16字 同じ
 宿輪に行く海岸線の道路沿いに、隆起した淡水貝化石含有層の岩肌が露出しています。
何故そんなことが分かるのか詳しくは知りませんが、2千年前にはこの辺りは直径100㎞を超える淡水湖だったらしいです。
 
 「古い化石層から奈留島のはるか昔をしのぶように、奈留島を去るにあたって、奈留島での生活をいくらしのんでもしのびつくせない9年間でしたよ。」
 定家が1番2番と天智・持統の親子天皇を並べ、これに合わせるように最後に99番100番と後鳥羽・順徳の親子天皇を並べて懐かしんだように、私の奈留島百人一首もなんとか99番とこの100番でうまく奈留島での生活を振り返ることが出来ました。
          天才や?!!
      長らくのお付き合いありがとうございました! これで完結です!
    全国の?!ファンの皆様?!!
 右にあるカテゴリーの奈留島百人一首(102)をクリックして、もう一度最後からですが奈留島百人一首をお楽しみください。
 良い歌は少しだけですが、素晴らしい奈留島の写真で奈留島をもう一度心に焼きつけていただければ幸いです。
   次は富江で又シリーズものに挑戦するかもしれません。
                「誰や!もうやめとけって言ってるのは!」

      返事
花水木さん:落ち込んでしまうのは良くないですが、
           いろいろ悩むのも人生です。
    忘れられたかのような奈留島百人一首、最後たいした歌にならなくて、自己満足ばかりの文でした。
大雪男さん:大雪男さんはじめ皆様方、
           2年間のお付き合いありがとうございました!
    巨人に負けて広島に勝つような阪神は見たくないですよ!!
コメント (2)
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奈留島百人一首99

2014-09-13 | 奈留島百人一首
 
 99. 人も惜し 人も恨めし あぢきなく
           世を思ふゆゑに もの思ふ身は

                     後鳥羽院(1180~1239)
 小倉百人一首は97・98番を定家・家隆と、3・4番人麻呂・赤人と対応して並べたのとは別に、1番第38代天智天皇と2番第41代持統天皇の親子天皇を最初に持ってきて、この99番第82代後鳥羽天皇と100番第84代順徳天皇を同じように親子天皇として最後に並べ、流刑地で亡くなった後鳥羽院・順徳院の鎮魂を願ったとの説もあります。
 後鳥羽院は1221年承久の乱を起こして敗れ、隠岐島に流され、そこで亡くなりました。
刀を打つことを好み、十六弁の菊紋を入れた菊一文字から、天皇家の菊紋が始まったようです。
 「ある時は人がいとおしく、またある時は人が恨めしくなる、この世がつまらなくていろいろ悩みわずらうことの多い私はです。」
 
 99. 島を愛し 島を喜ぶ 百人一首
           島を思ふゆゑに 下手は許して

                   し・し・を思ふゆゑに  9字 同じ
 子供の持っていた「まんが百人一首事典」で4年ほど前に暗記した小倉百人一首、せっかく暗記したのでこれを参考に替え歌で奈留島の紹介をしていこうと、2012年10月9日の予告編から始まった
      奈留島百人一首!!
 とうとうブービーというか、99首目まで到達しました。
まあ下手な歌で下らんことを、奈留島を去ってからまでも長々と続けたもんだと、叱られそうですが、中には一つぐらい素晴らしい写真や見事な替え歌もあった?と思いますし、予告編でも言ってますが、これら写真を並べると、奈留島の名所絵図にもなっていると思います!!
   まあ、笑って許してやってください!!
  そしてあと一つ、あと一つ、です。

     返事
和さん:富江では最近は、家の前まで親の車に乗って回る子もいるようです。
大雪男さん:三井楽には大きな自衛隊のレーダー基地があるので、
    こちらは大阪航空管制管轄の航空機用レーダーらしいです。
花水木さん:財布を開けること、聞くのが遅すぎました。
    今日の競馬は全敗、次のスーパームーンは必ずしてみます。
コメント (2)
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奈留島百人一首98

2014-07-29 | 奈留島百人一首
 
 98. 風そよぐ ならの小川の 夕暮は
            みそぎぞ夏の しるしなりける

                 従二位家隆(ジュウニイイエタカ)(1158~1237)
 「楢の葉に風がそよげば、この(ならの小川)夕暮はもう秋を思わせる涼しさですが、川のほとりで行われている六月ばらえ(ミナツキバラエ)は、まだ今は夏だというしるしですよ」
 (ならの小川)は、私特有の思い込みで、奈良県にある小川と思っていたので、高校生の時のデートで上賀茂神社に行った時に、そこに流れている小川が(ならの小川)であることを文学部志望の彼女に言われて、少々慌てて体裁を取り繕ったことを思い出します。
 家隆は定家と並ぶ新古今時代の代表歌人、97番定家・98番家隆と並べたのは、3番柿本人麻呂・4番山部赤人の二歌仙と対応するように、生意気にも並べたとも言われています。
 
 98. 風そよぐ 奈留の祭りの 夕暮は
            花火ぞ夏の しるしなりける

           風そよぐ・な・の・の・夕暮は・ぞ・夏の・しるしなりける  24字 同じ
 8月14日は奈留町の夏祭り、この頃はお盆の帰省客も多く、若者や見知らぬ人も増えて、奈留島もにぎやかになっていますし、手作り屋台や演撃ネどでそれなりに盛り上がる1日です。
 今年は恒例のペーロン大会が中止と聞いてますので、やや気がかりですが。
 
       夏祭りの最後を飾るのは、やっぱり花火!
 まだまだ夏ですが、花火が終わるとなんとなく夏が終わったような気がして・・・。
花火は夏のしるしではなく、夏の終わりのしるしなのかもしれません。

     返事
さんまさん:短い時間であわただしくてすみませんでした。
    不動産関係にしては、優しそうな感じなので良かったです。
花水木さん:「こがれつつ」を「こげれつつ」と替えたのは、
    なかなかと自画自賛していたのですが、すみません。
和みさん:写真も1月のことの話で、夏は五島でも牡蠣はありません、
    季節外れの歌になって、すみません。
大雪男さん:山に入る大雪男さんは、船が苦手でもないですよね。
    すみません、あと二つですので、お付き合いください。
コメント (3)
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奈留島百人一首97

2014-07-23 | 奈留島百人一首
 
 97. 来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
           焼くや藻塩の 身もこがれつつ

               権中納言定家(ゴンチュウナゴンサダイエ)(1162~1241)
 「約束しているのに訪ねてこない恋人をずっと待っている私は、淡路島の北の端の海岸松帆の浦で焼いている藻塩のように、身もこがれる思いでいるのですよ。」
 (藻塩焼き)は昔の製塩法なんだそうで、今まで藻塩のことを知らなかった私は、(焼くやも塩の)と「藻」を単なる助動詞の「も」として詠んでいた愚か者でした。
 いよいよ小倉百人一首を編んだ藤原定家(普通はテイカと呼んでいましたが)本人の出番となりましたが、他にもいい歌があるのに本人が選んだこの歌、私にはそんなに心に残りませんので、やっぱり選び方になんか裏があるのでしょうね。
 「見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」
有名なこれを選んでくれたなら、私の替え歌ももっと奈留島にふさわしい歌に替えられたのに・・・。
 
 97. 焼く人が 上手くできない 炭の火に
            焼くやも牡蠣の 身もこげれつつ

                人・に・焼くやも・の・身もこ・れつつ  14字 同じ
 五島では冬には「かき小屋」が出来て、外でも食べることも出来ますが、家でも買った牡蠣をガスの火で焼いて食べることもありますし、このように病院の皆さんとドラム缶の中の炭火で焼いて食べる時もあるので、牡蠣の殻をこじ開ける道具も家にはそろっています。
 ただ、この替え歌自体はもひとつ心にも残らない出来栄えで、定家さんも炭火のように怒ってるでしょうね。

       返事
大雪男さん:浮ュて山の奥の方へ入って行った為なのですかね。
    船に乗れなかったら、そもそも五島を目指さなかったと思いますが。
花水木さん:まさに十年前五十年前に予想もしなかった人生をおくってるんでしょうね。
    大学入学・結婚・奈留島赴任が私の人生の転換点だと思いますが、いずれもよき転換点だったと思ってますので、
     花水木さんも今回のことがよき転換点なんですよ。
    曽良は壱岐で死んでますが、芭蕉は大阪より西には行ってないと思いますよ。
和さん:後の祭り、露店がないとはちょっと寂しい気がしますね。
コメント (4)
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奈留島百人一首96

2014-06-23 | 奈留島百人一首
 
 96. 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
           ふりゆくものは わが身なりけり

                    入道前太政大臣(1171~1244)
 前の太政大臣で、出家されている人ということでこの名がついた藤原公経(キンツネ)は、小倉百人一首の作者中最後に死んだ人ですので、百人一首の作者は約600年の間から選ばれていることになります。
まあ定家が選んだ小倉百人一首は、「600年間ヒットチャートベスト100」と言えないことはないんでしょうね。
 「桜の花をさそい散らして激しい風の吹く庭は、ちょうど(降りゆく)ようだが、ふと考えると(古るゆく)のは、実は私なんですなあ。」
 この歌自体はなかなかのものだと思いますが、公経本人は鎌倉幕府にも取り入って、公家の間でも権力を握り、その金で贅沢な遊びに耽った、あまりいい人ではなかったようです。
 
 96. 皆さそふ 餅まきの日の 床ならで
           ふりゆくものは 紅白の餅

             さそふ・の・の・ゆ・ならで・ふりゆくものは  16字 同じ
 奈留島ではお祝い事や祭り、又何かの行事があると、「餅まき」をする習慣がありますし、餅まきがあると、それなりに人もたくさん集まってきます。
新築の上棟式では、餅の中にお金が入っている時もあったり、時には抽選券も入ってる餅まきもあるようです。
 
 基本的には、このようなビニィール袋に入った紅白の餅が撒かれます。
餅まきの餅は、奈留島の餅屋さんの餅だと思いますが、なかなか美味しく、家で作るぜんざいに入れると絶品です。
 餅まきで餅をたくさん拾うコツは、決して撒いてる人や空中を飛んでくる餅を見てはいけません、ひたすら下を向いて床をすべってくる餅を拾うのです。
 そんな情景やコツを上手に入れ込んだ一首になりました。

       返事
花水木さん:宗教で戦争が起こる理由がわからない時がありますが、
     あまり信じ込むのは宗教も主義主張もよくないですね、
     全てのことに少し疑問を持って、自信なく生きていくことの方が好きです。
大雪男さん:前回の本歌、ホンマになんか良さがわかりませんよね。
     ラグビーはイタリアにかろうじて勝ちましたが、もう1歩2歩前進を願っています。
コメント (3)
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