島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

鞍馬街道21.

2024-03-30 | 京都へ、京都から

 「京の古道を歩く」増田潔著から又地図を無断借用してますが、私の作る地図より簡潔で分かりやすいので、何回でも使いたいです。

増田潔さんすみません。

 今回は鞍馬街道の西街道を御園橋の青〇印から上賀茂神社のふちに沿って進みます。

 賀茂川の右岸(西岸)の堤防上を走る、河原町通りの延長である加茂街道を横切って、最近新しく広くなった写真の御園橋(ミソノバシ)を渡ると、上賀茂神社の鳥居も見えてきます。

 御園橋が常設されたのは江戸時代のようですので、それまでは仮橋か川床を歩いて渡らなければならなかったようです。

いずれにしてもどの道を通るにしても、賀茂川が増水してる時は、京から出たり入ったりするのは制限されたようですね。

 上賀茂神社の前も、バスロータリーが拡張されたりして、だだっ広くなってました。

 その上賀茂神社の前には二軒のやき餅屋さんが有ります。

写真の一軒目が、古いほうの神馬堂(ジンバドウ) 1872(明治5)年創業ですので、江戸時代に街道を通った人は食べてません。

通販や他に店舗がないので、ここでしか食べられないやき餅ですし、私もずっと加茂のやき餅はここだと思ってました。

 もう一軒は1950(昭和25)年創業の 葵家やきもち総本舗です。

私より若い店ですが、ここの息子さんがMRをやっていて、大学医局に毎朝自分の店のやき餅を持って来てくれていましたので、この店のやき餅の味に慣れ親しみました。

 上賀茂神社に沿って北上すると、いつの間にか京都ゴルフ場に沿って進むことになります。

京都の小金持ちの年寄りが弁当持参でゴルフをする姿をよく見ましたが、短いですが狭くトリッキーなコースと言われています。

私向きのコースと思いますが、数回行った時の成績はいつもと同じでした。

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この1週間

2024-03-27 | ノンジャンル

 先週は冬が逆戻りで、木曜日の朝は積雪まで少しあった京都です。

 お彼岸も天気は悪かったですが、近所のママ友が自家製のぼた餅を持って来てくれました。

家内も1階まで降りてきて、挨拶出来ました。

 甘さ控えめで、米粒もしっかり残ってて、懐かしい味のぼた餅でした。

 今年の冬は寒くなかったと思ってましたが、最後が寒さと長雨。

櫻もびっくりしたのか、開花が少し遅れてるようですが、娘の持ってきた花見団子はもう食べました。

 メール交換してる親戚から教わった、リンゴを薄く切ってラップして、レンジで3.5分で出来ました。リンゴの皮は家内が剥けるようになってます。

リンゴの量はかなり減ってしまった印象ですが、蜜も出てきて美味しく、あっという間に1個無くなりましたので、又わけありりんごを買ってきてます。

 久しぶりにゆで玉子が完璧に剥けました。

写真見て、殻のまま写真撮ったのかなあと思ってしまうぐらい完璧です。

 水入れて、蓋もして、自分では待ってるつもりですが、まだまだ我慢が出来てないのか、黄身は白く濁って白内障になり、行けると思いましたが。

 切ってみると、やっぱりまだ黄身は液体です。

今日は暖かくなって、滋賀県までランチにドライブですが、途中の鴨川堤や岡崎の疏水沿いの桜もまだまだ、目玉焼きと同じく、もう少し満開までは辛抱ですね。

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鞍馬街道20.

2024-03-25 | 京都へ、京都から

 写真の地図は私が産まれる10年前、昭和13年作京都都市計画書2万5千分の1(だいぶ前に寺町の古書店で1995円で買ってますので、たぶん再発行のまがい物?)です。

 今回はからまで、大徳寺通り(旧大宮通り)を大徳寺から上賀茂神社まで、鞍馬街道の西街道を行きます。

85年前の京都の北部は、ほぼ田畑だったんですね。

 左に大徳寺を見ながら北上し、その大徳寺が終わるとすぐの左手に、小さいですがよく整備された総神社(ソウジンジャ)が有りました。

この辺りの森が「菅宿の森(常盤の森)」と呼ばれてるのは、菅原道真が筑紫に流される時、当社巫女をしてた叔母を訪れて別離の時を過ごし、一宿されたからだそうです。

また、源義朝の別邸があって、常盤御前との子牛若丸(義経)をここで産んだとも言われています。

 更に大徳寺通り(旧大宮通り)を北山通りを越えて北へ進むと、久我神社(クガジンジャ)です。

上賀茂神社の境外摂社と言うことになってます。

この付近も「大宮の森」と呼ばれていたようで、総神社と同じくこの辺り一帯は巨樹が繁茂する森だったようです。

 境内を抜けると反対側はもう大宮通りで、神社の辺りでは旧大宮通りと、今はこちらの方が広く商店街にもなってる大宮通りは、かなり近づいていました。

 さらに北に進むと、地図に青〇で記した三叉路の道標にぶつかりました。

左に行く道が大徳寺通り(旧大宮通り)のようですが、ここで別れて右の道を行き、大宮通りを横切って猪熊通りに出て、御園橋まで行くのがたぶん鞍馬街道の道だった感じです。

 この三叉路に立つ石の道標、何とか

  右 上賀茂・貴布祢・くら満道  左 にしかも・神光院・岩屋道

と読めますが、1842(天保13)年の道標です。

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続目玉焼き

2024-03-23 | ノンジャンル

 人からの忠告は比較的素直に聞く方なので、目玉焼き作り、水入れて蓋しての方法でやってみました。

 やや白身はふやけた様な感じに焼けて、カリカリ感不足。

黄身はメールで指摘されたように白内障のようになったのも有りましたが、下の卵の黄身は丁度良い色。

 ただしナイフで切ってみたら、両目ともにまだ黄身は液体でした。

年とって、だいぶ待てる性格になってきたつもりですが、まだ待てなかったのか、それとも火が弱かったのか、玉子焼き器の四角いフライパンがダメなのか、蓋が合わないので蒸気が密閉されなかったのか。

余熱も使って、完璧だと思っていたが、期待外れでしたので、またまた挑戦してみます。

暑くなって目玉焼きに向かない季節になった頃に、黄身が半熟の完成品をお見せします。

 でも醤油かけて啜るように食べたら美味しいですよ!

あんなあ~(関西弁で) お前の料理への愛(余熱)は まだ 燃えてい~るかあい🎶

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目玉焼き

2024-03-22 | ノンジャンル

 卵料理?シリーズでは、コメントやメールでいろんな助言を貰いましたが、「目玉焼きはどうですか?」と言われ、目玉焼きが有ったのだ!と、目から鱗。

 早速挑戦しましたが、なかなか黄身にまで火が回らない感じ。

待っていると永遠の時間が過ぎていくようですが、黄身は固まりませんし、底が焦げてしまっていないか心配なので皿に移しました。

裏向けると裏はもう焦げています。

 また元に戻しましたが、まあ黄身はつぶれないので、これで良いのですかね?

 伊丹十三の目玉焼きの正しい食べ方に準じて、啜るように食べました。

意外と黄身はちょうどいいくらいに固まっていました。

 ちなみに、私は目玉焼きも醤油です。

 2回目の挑戦は両目の目玉焼きにしましたが、やはり黄身は固まりません。

そもそも慌てて卵を割ったので、片目は割れてしまってます。

 蓋をして焼く方法もあるそうで、少し蓋をしましたが、あまり変わりませんでした。

 3回目は、どこかで揚げた様な目玉焼きを食べた記憶があるので、少し油を多めに入れて焼いてみましたが、黄身は同じくあまり固まっていません。

白身はややカリッと感あって、美味しいですが、黄身はべちゃべちゃです。

 伊丹十三にならって?、「このような食べ方はしてはいけませんよ」、と言いながら食べました。

 ゆで玉子・スクランブルエッグ・目玉焼き、結構目玉焼きは簡単だったので、4回目~100回目と極めずに続けます。

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