南越の一番北、水の浦教会へ上って行く細い階段の横に、教会の赤い屋根を仰ぎ見るようにたたずむ霊場がありました。
古い木造でペンキの色も薄緑色になってしまった霊場ですが、公認の印はちゃんと付いています。これも番号だけでしたので、神のお導きに従って、私が、
第62番霊場水の浦教会下のゴミ箱
と命名しました。
私有地のような細い階段をフークと上っていくと、水の浦教会は赤い屋根が目立ちますが、本体は民家造りの教会でした。
雨戸は開きましたが、内のガラス戸は閉まって入れません、キリストの顔は写さない昔のハリウッド映画のように、天皇の姿を直接見せない昔の日本映画のように、私自身もフークも、ガラスに写らないように写真を撮りました。
ここに水の浦教会が出来るまでは、この地区の信者さんは、船でこの対岸の夏井に渡りそのあと遠命寺峠を越えて江上教会や、船で沖合いの葛島の教会まで通っておられたそうです。
この奥に住む奈留病院の50歳ぐらいの看護婦さんは、小児喘息があって、夜中父の手漕ぎの船で相ノ浦湾を上り、病院に行ったそうです。
現在では考えられないことが、半世紀前(私の子供の頃)の日本では日常の出来事だったのですね。
返事
St.1さん;ありがとう。S.O.君ですかね?
花水木さん・喜珍さん;ありがたいお言葉に、もう涙ぐんでいます。