島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り 62

2009-05-30 | 奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り
    
 南越の一番北、水の浦教会へ上って行く細い階段の横に、教会の赤い屋根を仰ぎ見るようにたたずむ霊場がありました。
     
 古い木造でペンキの色も薄緑色になってしまった霊場ですが、公認の印はちゃんと付いています。これも番号だけでしたので、神のお導きに従って、私が、
  第62番霊場水の浦教会下のゴミ箱
 
と命名しました。
    
 私有地のような細い階段をフークと上っていくと、水の浦教会は赤い屋根が目立ちますが、本体は民家造りの教会でした。
    
 雨戸は開きましたが、内のガラス戸は閉まって入れません、キリストの顔は写さない昔のハリウッド映画のように、天皇の姿を直接見せない昔の日本映画のように、私自身もフークも、ガラスに写らないように写真を撮りました。
     
 ここに水の浦教会が出来るまでは、この地区の信者さんは、船でこの対岸の夏井に渡りそのあと遠命寺峠を越えて江上教会や、船で沖合いの葛島の教会まで通っておられたそうです。
 この奥に住む奈留病院の50歳ぐらいの看護婦さんは、小児喘息があって、夜中父の手漕ぎの船で相ノ浦湾を上り、病院に行ったそうです。
 現在では考えられないことが、半世紀前(私の子供の頃)の日本では日常の出来事だったのですね。

   返事
St.1さん;ありがとう。S.O.君ですかね?
花水木さん・喜珍さん;ありがたいお言葉に、もう涙ぐんでいます。

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奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り 61

2009-05-28 | 奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り
 ゴミ箱観光霊場巡りも121分の61と、9ヶ月ぐらいかかって折り返しを過ぎました。
 ブログも3年目に突入中です。書きたいような書くことが無くなってきた様な、最近です。
      
 第60番霊場から更に北へ、小さな小さな岬を廻ると水の浦の集落が見えてきます。
少し高台には、水の浦教会の赤い屋根も見えてきました。
     
 水の浦となんとか読める、水の浦バス停前に、次の霊場はありました。
     
 ブロック作りの大きな霊場で、やはり緑の扉が印象的です。
ここも番号だけで名称がないので、素直に、
  第61番霊場水の浦バス停前のゴミ箱と名付けました。
     
 思い起こせば2年前、TV「田舎に泊ろう」神保悟志さんは、わざわざここ水の浦まで海上タクシーで廻ってきて奈留島に上陸、トコトコ歩いてユーミンの歌碑迄来られたので、私と出会った時には「何処でもいいから泊りたい」と思っておられたのでしょうね。
 今考えても良い人だったので、皆様神保悟志の応援よろしくお願いいたします。
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長崎ブラブラさるく7

2009-05-27 | 九州本土

 小曾根乾堂さんの像とお墓を確認して、ほっと一息。
長崎市内では誰に道を尋ねても、わざわざ仕事の手を休めて、しばらく付いて来てくれる位親切に道を教えてもらえます。
親切すぎますが、小曾根乾堂さんのことはあまり知られていないようです。
     
 市電で思案橋まで戻り、昼食を食べたあと、今度は小曾根家の墓地である皓台寺を訪問です。
      
 幣振り坂の方から廻ったので、以前訪れた楠本イネの墓の辺りで行きかう人に尋ねても、小曾根家の墓は皆知らないようです。
勘を頼りに道から外れて歩くと、なんとなく墓を見つけてしまいました。
太平寺の墓所より小さかったです。
   
 小曾根家には、幕末は、勝海舟や坂本龍馬などもよく出入りし、乾堂の弟・英四郎は龍馬が創設した亀山社中の一員でもあったようで、亀山社中への資金援助も多かったようです。
    
 亀山社中の一員で土佐の人近藤長次郎は、たぶんちょっとした行き違いで社中の隊士達から切腹を言い渡され、小曾根邸の一室で介錯人もなく切腹したそうです。
この近藤長次郎の墓が、小曾根家の墓所に一緒に入っています。墓石の「梅花書屋氏墓」は坂本龍馬の筆とされていますが、私には女の人が書いたような優しい字体に見えました。
      
 ここから墓地内を下がって行くと、皓台寺正面に出られ、ここにはちゃんとした案内板が有りました。 あああ・・・。
 来年は、私が忙しいので代役ですが?福山雅治主演でNHK大河ドラマ坂本竜馬です。
この話もたぶん出てきそうなので、憶えておいて下さい。

   返事
花水木さん;私の魂は、天上からずっと地上を見ていると思いますが、その地上に知っている人がいなくなった時には、私の魂は消滅すると考えています。
  私は一人ごそごそ、花水木さん一行は開田高原で楽しそうでしたね。
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長崎ブラブラさるく6

2009-05-26 | 九州本土

 そもそも今回の長崎ブラブラさるく、旅の第一の目的は、奈留高校講座で教えてもらった「篆刻」、この篆刻で有名ですが私は知らなかった、小曾根乾堂さんの墓参りです。
      
 グラバー園からトコトコ歩いて、琴平神社までの狭い石段を昇ります。
エッチラオッチラ歩いて登ったら、車でも来れると判ると、がっかりしますね。
      
 それでも金比羅さんですから、港の出口の高台から海を守っています。
ここからなら、長崎港の入口に出来た女神大橋も近くに見えます。
      
 小曾根家は、江戸から明治にかけて長崎を代表する豪商で、小曾根町と言う町名も残っているぐらいです。
13代小曾根乾堂は文人でもあり、明治天皇の御璽(天皇の公印)・国璽(国の公印)を篆刻しました。
 この乾堂の像が琴平神社の広場にありました。
      
 おとなしそうなお顔ですね、例によって裏に回り、新緑に包まれた後姿も拝みました。
     
 海岸沿いの道路まで下りてきて、乾堂が建立した太平寺で「墓はどこか?」と尋ねると、「琴平神社の横」とのこと、今降りてきた坂道をまた元気?に登りました。
     
 太平寺の墓地の一番上に、大きな墓所が有りました。
ハイカラなレンガの積み方で囲まれた立派な墓所です。
    
 墓所の扉、鍵がかかっていないのでそっと入らせてもらいました。
この右側が乾堂さんのお墓のようです。
     
 墓の正面には、長崎港と稲佐山が見える絶好のビューャCントです。
ここなら死んでからも毎日退屈しないかもしれません。
      
 帰り、またドンドン下がってきたら、以前行ったことのあるドンドン坂に出てしまいました。
近いところをグルグル廻ったことになりました。
   長くなったので、この続きは明日に。

  返事
花水木さん;イーストウッドもショーン・コネリーも歳とってもかっこいいですね!
      60歳にしてもう負けています。
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長崎ブラブラさるく5

2009-05-25 | 九州本土

 長崎で久しぶりに映画館へ
    
 クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」GRAN TORINO
 題名のグラン・トリノは、強い頃のアメリカを表すフォード社のいかにもアメ車のこと。
 「ローハイド」のイーストウッドは、私の中学の時、[荒野の用心棒」は高校の時か、マカロニウエスタンは邪道と思っていたが観ました。「ダーティハリー」は大学時代に観てますね。そしてこの映画のイーストウッドは78歳になっていました。
 他民族がすぐ隣に住むアメリカ、銃がすぐに発砲されるアメリカ。その中で、こう生きるか、という結末でした。
 まあこんな話で一本映画を作るか、と言ってしまえばそれまでも、この結末にする為に作ったのでしょうね!
 「硫黄島からの手紙」もそうでしたが、イーストウッドはアジア人に興味を持ってきたようですか?

  返事
ちよさん;師匠ご指示の分も4点買ってしまいましたが、撃沈でしたね。
     僕のは、一瞬獲ったと思いましたね。確率的には当分ダメでしょうね。
やまももさん;10個も奈留の食べ物が出てきた中で、食べたことあるのは6個でした。
     2伸目の食べ物「冷汁」は聞いてますが、一度食べてみたいです。
喜珍さん;ブログのコメントに書き込み量の制限があるとは知りませんでした。失礼しました。
花水木さん;大分写真を撮る生活が身についてきましたが、美味しいものを目の前にすると、
     ついつい忘れてしまいますね。  

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