島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

水曜日定休の店が多い

2023-07-30 | 

 昔京都では、デパートが水曜日休みだったせいか、水曜日が定休日の店が多かったような気がしてますが、デパートが無休になった今はどうなんでしょうね。

 今年の春から水曜日の仕事も辞めてるので、水曜日に出かけることも有りますが、先日の水曜日に出かけた滋賀県の田舎の2軒の店は、事前に調べてたにもかかわらず水曜日休みで、引き返しました。

 先週水曜日は、家にいても暑いばかりでどうしようもないので、鯖街道の山間部の影を走って、小浜までドライブ。

小浜の海岸も暑すぎるのか、夏休みでも海水浴客もまばらでした。

 小浜でもいつも行ってる店はお休みだったので、その近くの店(昔はここによく行きました)に行きました。

やや大ぶりの握り9貫なので、腹一杯のなりますが美味しいので完食。

 家内が頼んだひつまぶしも手伝って、大きなフワフワの鰻巻きも美味しかったです。

 食後のデザートを求めて、JRのパンフレットで知った小浜の護松園(ゴジョウエン)を探して行きましたが、ここもなんと水曜日定休日で、とぼとぼ帰りました。

 これから水曜日のお出かけは気をつけます。

関西は水曜日休む店が多いんですかね、島は何となく火曜日休みの店が多かった気がします。

  まあそれにしても暑い日が続きますね! 特別に頼まれて金・土も働いたこともあってかばててますし、調子よかった競馬も今週はお休みでした。

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123-2大正天皇皇后節子

2023-07-28 | 天皇陵巡り

 公爵九条道孝の4女九条節子(クジョウサダコ)(1884~1951)は、里子に出されていたこともあってかたくましく育ち、「九条の黒姫様」と呼ばれるほどでした。

  写真は、夫大正天皇の多摩陵の東に並んで一回り小さい多摩東陵(タマノヒガシノミササギ)(東京都八王子市長房町)正面です

 皇太子嘉仁親王(ヨシヒト)は健康面に不安が有り、一夫一婦制導入も有って、妃としては、その頃の色黒イコール容姿端麗ではないとのマイナス面よりは、まず健康であることが第1条件になり、1900年節子は満15歳で5歳年上の嘉仁親王と婚約しました。

  陵は同じく上円下方です

 すぐに産まれた裕仁親王(ヒロヒト)(昭和天皇)(1901~1989)に続いて、秩父宮雍仁親王(チチブノミヤヤスヒト)(1902~1953)・高松宮宣仁親王(タカマツノミヤノブヒト)(1905~1987)・三笠宮崇仁親王(ミカサノミヤタカヒト)(1915~2016)と、4人の男の子に恵まれています。

  貞明皇后多摩東陵とあります

 1912年嘉仁親王が皇位継承し第123代大正天皇(1879~1926)となったので、節子は皇后となり、大正天皇崩御後は皇太后となって、以後亡くなるまでの26年間をほぼ黒色の服で過ごされました。

死後大正天皇陵の隣多摩東陵に葬られ、貞明皇后と追号されました。

 大喪の儀は昭和26年に行われましたが、平凡な3歳の私にはその葬儀の記憶は全くありません。

  制札は4人の天皇皇后が併記されていますが、月輪陵のようにこのままここにどんどん天皇皇后陵が作られていくのですかね。

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123‐1大正天皇

2023-07-24 | 天皇陵巡り

 1879年(明治12年)、第122代明治天皇(1852~1912)(在位1867~1912)の第3皇子(他の皇子は夭折)として産まれた嘉仁親王(ヨシヒトシンノウ)の母は、側室の柳原愛子(ヤナギハラナルコ)(1855~1943)です。

  天皇陵巡り初めての関東遠征です、東京の中心からは結構遠い多摩地方でした

 明治20年、9歳で儲君治定を受け明治天皇皇后一条美子(ハルコ)(1849~1914)(後の昭憲皇太后)の実子となり、2年後に立太子した嘉仁親王ですが、生後すぐに大病を患ったりしたので、心身の発達は思うにまかせませんでした。

  多摩陵(タマノミササギ)(東京都八王子市長房町)正面、上円下方の形であることががよくわかります

 明治33年22歳の嘉仁親王は、九条道孝(ミチタカ)の娘17歳の節子(サダコ)(1884~1951)と結婚、この御世からは一夫一婦制となりました。

翌年には昭和天皇になる裕仁親王(ヒロヒト)(1901~1989)が誕生しています。

  数年前の平日だったせいもあって、この陵周囲にはあまり人影は有りませんでした

 明治45年(1912年)に崩御した明治天皇の跡を継いで、嘉仁親王は第123代大正天皇(タイショウ)(1879~1926)(在位1912~1926)として皇位に就きましたが、歩行障害もあって議会にもなかなか出られず、言語障害の為勅語を朗読することも困難であったようです。

  陵印は夫婦一緒です

 1920年(大正9年)には、大正天皇の病状が重いことが発表され、皇太子裕仁親王を摂政として、天皇は療養生活に入りました。

大正15年47歳で亡くなった天皇は、多摩陵に葬られましたが、私ぐらい大正天皇が生きていれば、私は大正生まれになっていたんですがね。

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61.浜土産

2023-07-21 | 菓子たくさん

 亀屋則克の涼菓「浜土産(ハマヅト)」を貰いました。

桧葉と合わせると、生きてる蛤を貰ったのかと思ってしまう外観です。

 苦労して開けた蛤の貝殻の中には、寒天と砂糖を一緒に煮たものの中に浜納豆が一粒入っていました。

見るからに涼しそうなお菓子ですが、納豆の味噌風味の上品な味は、ちょっと私には合いません。

 食べ終わった蛤の貝殻も綺麗すぎて、なかなかほかすのはもったいないです。

一個470円、今時のケーキに比べたらそう高くはないですが、自分で買って食べる和菓子としてはちょっと高いので、まあ買わないと思います。

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LEGO完成

2023-07-19 | ノンジャンル

 誕生日祝いに自分で買ったLEGO、7才以上用でしたが部品を確認するのに苦労しました。

これは7歳では無理でしょうね。75歳で丁度いいくらいです。

 と言いながらも、誕生日から5日目には完成させました。

3歳と5歳の孫がこれで乱暴に遊ぶのはやめさせて、取り上げました。

 チョロQと同じくプルバックも内部についています。

プルバックさせて走るスピードが、急すぎることもなく丁度いい感じで、部屋の端から端まで走るので、かっこいいです!

  走る姿に思わず見とれていますが、すぐに飽きましたので、もう孫にも触らせようと思ってます。

76歳の誕生日は何が良いですかね。

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