倉吉はさすがに鳥取県、梨が目に付きます。
「なしっこ館」は月曜日休館で、入れず。
他にも蕎麦屋さんは沢山あって、やっぱり昼は蕎麦の昼食でした。
白いたい焼きも倉吉の名物のようで、一個一個店の前で手で焼いていて、薄い白い皮に丁度良い甘さのあんが一杯詰まって 1個90円。
皮が薄くて、黒い下着が透けているようにあんが見えているのを、私は選んで食べました。
3人で店内に座って、お茶も飲んで(茶・コーヒーがセルフで無料でしたが、コーヒーまではあつかましいので、お茶だけにしておきました。)
それで全部で 270円
安房国館山藩の藩主 里見忠義公 は幕府から改易を受け、倉吉に配流。
その後、石高も減少させられ、若くして亡くなりました。
この時、その後を追って八人の家臣が殉死。
その墓が配流されたここ倉吉の大岳院に有りました。
殉死した八人の墓です。
中央とその右の大き目の墓は、伯父か家老かの墓。
中央左の小さいのが忠義公で、周りの残り8基が殉死した八家臣の墓です。
忠義公の戒名が雲晴院殿心(艘?)賢凉大居士で、八人の家臣の戒名にも全て賢が付いていたので、この八人は八賢士と言われていたそうです。
この八賢士が八犬士となって滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」が生まれたとも言われています。(あとからのこじつけ説もあり)
墓の周りに小さい犬の像が・・・、捜してみると境内にはやっぱり8匹の犬がいましたが、表情は「ひとまちいぬ」の方がずっと良かったです。
ゆっくり周ってもまだ昼過ぎ、その日の泊りはここから1時間もかからない美作三湯の一つ湯原温泉です。
まだ続きます
返事
花水木さん:「世代万々歳」の意味も説明してもらいましたが、
過去のことなのか未来のことなのか、もひとつ理解できませんでした。
説明者は末裔の方ではなく、ボランティアでもなく、市の職員でもないと言われ、謎です。