島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

吉野へ1.観心寺

2021-06-30 | 
 
 東京は第5波?が、京都もまだ蔓延防止下の世の中ですが、天皇陵巡りの在庫も尽きかけなので、久しぶりの吉野への1泊旅行です。
 第2京阪・近畿道と大阪の高速道路を久しぶりに走りましたが、都会の道路はトラックも多く何車線も有るので、緊張しました。
着いたのが、大阪府河内長野市の観心寺(カンシンジ)です。
  
 高野山真言宗観心寺(300円)のこの金堂は、前に石柵囲いの弘法大師礼拝石がありますが、一見そうは見えない国宝です。
 
 子や孫など増えれば、また悩みも増えるので、最近神社仏閣で祈るのは家内安全ばかりで、賭け事の勝運祈願まで手が回らなくなっています。(宝塚記念も獲れてません)
ここでも、家内安全のお線香を選んで、立てるのではなく横にして置いておくそうです。
 
 観心寺に行った目的は、境内に後村上天皇陵があるためで、南朝ゆかりの寺で千早城も近く、楠木正成公御首塚もありました。
 
 山門前には楠木正成銅像(大楠公)もあります。
15歳以上年長の皇国史観で育った従兄弟の残した本を、田舎に行ったら必ず読んでいた私は、小学生から中学ぐらいまでは、私の一番の英雄の一人は楠木正成でした。
この銅像と同じような皇居前にある楠木正成銅像を、中学の修学旅行のお土産に買って帰ったことを思い出しました。
「かあさん!僕のあの銅像どうしたでしょうね、夏・・・・」
 
 観心寺でも、手水鉢に花が浮かんでいました。
今はやりですが、紫の紫陽花はなかなか良いですね。
 ここから吉野までは、五条を抜けて意外と近かったです。

        返事
Toitenlabeeさん:伏見にも「ふたば」あるそうですよ。
     この前TVで、城陽の懐かしい「シェル」横にある、
    フルーツサンドの店を紹介してましたが、美味しいのですか?

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40.名代豆餅

2021-06-27 | 菓子たくさん
 
 賀茂川と高野川が合流して鴨川になる出町、ここは私の母校にも近く、今は出町診療所で毎週1回だけですが働いてもいるので、馴染みの場所です。
 色々と工夫した企画で頑張ってる出町枡形商店街もありますが、その商店街の一角の行列のできる店が「出町ふたば」、創業明治32年の小さな饅頭屋さん(お餅やさん)です。
 
 なんといってもこの店の一番の名物は「名代豆餅」、行列しないと買えないそうですが、デパートの地下で買える時も有ります。
 今は1個200円、昔はもう少し大きかったような気がしますが、柔らかい柔らかい食感がたまらないですね。

 今週は1泊小旅行してみましたが、帰ってみると阪神は尻に火が付きだしていますね。

       返事
和さん:知ってる人にぜひ教えてもらいたい、
    疑問ですね。
Toitenlabeeさん:大黒さんと恵比寿さん、
    小さすぎて孫が来た時心配なので、
    ほかしてしまいました。

コメント (1)
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39.からからせんべい

2021-06-23 | 菓子たくさん
 
 山形県鶴岡市の宇佐美煎餅店は創業昭和24年ですから、私の方が1才年上です。
 
 江戸時代は「運徳煎餅」と呼ばれ、丸い煎餅を三方から折り曲げて、中に縁起物を入れて、正月に売られていたのが始まりとされていますが、振るとカラカラ音がするので、現在では「からからせんべい」と呼ばれています。
 
 袋から出すと、三角形の茶色の綺麗な「まるやまからからせんべい」、1個184円です。
 
 せんべいを割ると、和紙に包まれた小さなおもちゃが出てきますが、この店のからからせんべいのおもちゃは、150種類以上あるそうです。
 
 割って中のおもちゃを取り出すと、残りの煎餅はすぐに食べてしまえるぐらいの量で、やや物足りないですが、いっぺんに2個割ってしまうのは私にはもったいなくてできません、普通の煎餅と違って1日1個ですね。
 1個目は、小さな金の大黒さんと恵比寿さんでした。
 
 小さなおもちゃを中にいれてから焼くのだと思いますが、和紙に焦げ目はついていず、内部との間にも隙間があるので、なんで焦げずに焼きあがれるのか?疑問は残ります、
 2日目・3日目・4日目と1日1個を守って食べたら、おもちゃも3個増えました。
それほど嬉しいおもちゃでもなかったですが。

        返事
Toitenlabeeさん:私は一泊旅行に行く予定をたてました。

コメント (2)
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91-2後宇多天皇皇后姈子内親王

2021-06-20 | 天皇陵巡り
 
 第89代後深草天皇(1243~1304)(在位1246~1260)と中宮西園寺公子(サイオンジキミコ)(1232~1304)との間に産まれたのが、第3皇女姈子内親王(レイシナイシンノウ)(1270~1307)です。
  嵯峨清凉寺から大覚寺へ向かう住宅街の中に、1928年皇陵巡拝会が建てた今林陵参拝道の道標を見つけました
 
 父後深草上皇秘蔵の愛娘であった姈子内親王ですが、あろうことか大覚寺統・持明院統と争っていた相手方大覚寺統の後宇多上皇(1267~1324)(在位1274~1287)によって、姈子内親王は盗み出されてしまったそうで、まあ争いには成らなかったので相思相愛の駆け落ちに近かったようです(皇室版ロミオとジュリエット)。
  住宅街の中に、豪邸程度の敷地面積を持つ陵がありました
 
 後宇多と姈子は相思相愛だったですが、子には恵まれていません。
しかし後宇多は姈子以外にもたくさんの妃にたくさんの皇子女をもうけています。
それでも一応、姈子を一番大切にしたようで、姈子内親王が死んだ葬送の日に出家したそうです。
  今林陵から写真の夫後宇多の蓮華峯寺陵まで、歩いて20分ぐらいですが、ここは姈子内親王の分骨所でもあります
 
 子は産んでませんが、義理の息子第94代後二条天皇の准母として、姈子内親王はこのちゃんとした今林陵(イマバヤシノミササギ)(右京区嵯峨大覚寺門前六道町)に祀られています。

 今週は3月に買った新車のリコールに行ったぐらいで、何もせずに暮らしましたが、競馬は何も入らず、阪神は巨人に負け越し、梅雨の気分です。
 人流・人流の抑制と言いながら、オリンピックは無理矢理でもやるようなので、こちらも自粛は止めて、祇園祭も山鉾建てだけでなく巡行やっても、誰も文句は言わないと思いますが。

コメント (1)
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91-1後宇多天皇

2021-06-18 | 天皇陵巡り
  
 第90代亀山天皇(1249~1305)(在位1260~1274)の第2皇子で、母は洞院佶子(キツシ)(1245~1272)の世仁親王(ヨヒトシンノウ)は、1274年(イニナヨ蒙古)に8歳で即位しました。
(亀山の第1皇子同母兄の知仁親王(トモヒト)(1265~1267)は2歳で夭折してます)
 
 第91代後宇多天皇(ゴウダ)(1267~1324)(在位1274~1287)になった世仁親王ですが、父亀山上皇の院政に対しては、亀山の同母兄第89代後深草天皇(1243~1304)(在位1246~1260)は不満であり、持明院統の後深草に同情した鎌倉幕府は、後深草の皇子煕仁親王(ヒロヒト)(後の第92代伏見天皇(1265~1317)(在位1287~1298)を皇太子にたてました。
 
 後宇多天皇皇后には、伯父後深草上皇皇女姈子内親王(レイシ)(1270~1307)がたちましたが、これはロミオとジュリエットの皇室版の様な話なのですが、子供には恵まれていません。
  後宇多は母佶子と共にここに眠ってますが、父亀山・息子後二条・皇后姈子の分骨も一緒に眠ってますので、中でもめていなければ良いのですが
 
 宮人源基子(モトコ・キシ)(1269~1355)との間には後の第94代後二条天皇(1285~1308)(在位1301~1308)が、典侍藤原忠子(チュウシ)(1268~1319)には後の第96代後醍醐天皇(1288~1339)(在位1318~1339)が出来ています。
  陵は方形堂で内部に五輪塔があるそうです
 
 1274・1281年の2度の蒙古来襲来を乗り切って、後宇多天皇は1287年には譲位し、従兄弟の煕仁親王が第92代伏見天皇として即位したので、伯父にあたる後深草上皇が院政を敷くようになりました。
 こうして後宇多(大覚寺統)・伏見・後伏見(持明院統)・後二条(大覚寺統)・花園(持明院統)・後醍醐(大覚寺統)と、激しい両統迭立の時代が続きました。
  隙間から内部が見えるような見えないような、木と扉には菊の紋がちゃんとついています
 
 後宇多は後二条・後醍醐の両朝にわたり、11年ぐらい院政を敷いた後に、1321年に幕府の了解を得て白河上皇以来200年以上続いた院政を停止し、後醍醐天皇の親政が始まりました。
  参道両脇には小さな池がありました
 
 
 後宇多の院政は、その前半は善政を行い未代の英主と褒められてもいますが、実家同士の争いを越えて結婚した寵妃姈子内親王が亡くなった後は、出家し仏教にのめり込み賄賂政治にまで落ちてしまったとの評価だそうです。
 出家後は大覚寺を住まいにし、近くの山すそにある蓮華峯寺陵(レンゲブジノミササギ)(右京区北嵯峨朝原山町)に葬られました。
  池には亀も鷺も遊んでいました
 
 畑がどんどん住宅地になっていく右京区太秦安井池田町の、大きな駐車場ぐらいの敷地の立派な土塀に囲まれたお堂が後宇多天皇髪塔です。

      返事
Toitenlabeeさん:メダカは餌やるだけで、
    そのほかの手間はかかりませんよ。

コメント (1)
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