島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首14

2013-03-30 | 奈留島百人一首
  
 14.みちのくの しのぶもぢ摺り たれゆゑに
              乱れそめにし 我ならなくに

                         河原左大臣(822~895)
 大学生の時に、奥のほそ道を半分だけ自転車で巡って見た「もぢ摺り石」、そのもぢ摺りの乱れのように、私の心はあなたのせいで乱れてます、と詠う河原左大臣は、第52代嵯峨天皇の12男として生まれ、臣籍降下して源融(ミナモトノトオル)と名乗るようになりました。
宇治の平等院も元々はこの人の別荘だったようですし、京都駅の北東にある枳殻邸(キコクテイ)は豪華だった六条河原院の跡です。
この河原院を作ったので河原左大臣と呼ばれているようです。
 この枳殻邸、確か中学生だった頃に、裏に出来た連れ込みホテルのネオンが庭園の借景に入ると、問題になったことがあります。
その頃から好奇心の強い私は、枳殻邸ではなくその連れ込みホテルを見たさに、懸命に自転車を走らせました。
 枳殻邸の庭園に入ったのは、それから30年経ってからが初めて、拝観料が確か京都では珍しい志納だったと思います。
有名な割には観光ルートから少し外れているのか、色々珍しい建物もあって、ちょっとした京都の穴場(と言うほどではないですが)観光地だと思います。
  
 14.みちばたの しのぶ野あざみ たれゆゑに
             乱れず咲いて 我をわすれる

       みち・の・しのぶ・たれゆゑに・乱れ・我  16字同じ
 8年前の5月に奈留島に来て嬉しかったのは、道で出会う女子高校生が私のようなお爺さんにも挨拶してくれることと、散歩に出た道路の端々にずっと野あざみが咲いていたことでした。
 家(官舎)の近くを散歩するだけで、こんな光景に簡単に出会えるとは思ってもみなかったので、感激したことを思い出して詠んでみましたが・・・。
  たいした作品にはなりませんでしたね。
  
 奈留島の道端には、春にはこの野あざみが、夏には鬼百合が、そして秋はつわぶきが、冬は水仙が、どれもかなり長い間咲き続けます。
 私もやっとこういう野の花を愛でられる人間になってきました。
もしかして?ブログのおかげかもしれません。

    返事
喜珍さん:しかしあの年上夫人のドレス姿は、美しくないですね!
花水木さん:老眼ならまだ幸せですよ!
    奈留島には月に2回長崎大学の眼科教授が診察に来られています。
    初めて受診したら、「手術してもよいぐらいの白内障です」と言われてしまいました!
      ゲゲッッの三乗ですよ!!!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈留島百人一首13

2013-03-27 | 奈留島百人一首
  
 13. 筑波嶺(ツクバネノ)の 峯より落つる みなの川
              恋ぞつもりて 淵ちとなりぬる

                            陽成院(868~949)
 第57代陽成天皇は、9歳で即位し、17歳で退位させられ、その後81歳まで長生きしました。
上皇として、光孝・宇多・醍醐・朱雀・村上と自分の後五代も天皇の交代を見てきたことに成ります。
退位させられたのは、宮中での殺人などの乱行や風狂ぶりが目に余ったといわれていますが、この人事を指導した摂政藤原基経の無理強いや天皇の系統が代わったときには、第25代武烈天皇の如く、事実以上にひどく書かれる為とも言われています。
 この歌は、年上の彼女に対して、どんどん恋心が積もっていったという歌ですが、その後はその方と結ばれ結婚したと言う優しい歌ですから、そんなに乱暴な性格とも思えません。
   
 13. 城岳(シロンタケ)の 峯より落つる ななし川
               水ぞつもりて ダムとなりぬる
 

      の・峯より落つる・な・川・ぞつもりて・となりぬる  21字同じ
 写真右の鉄塔が立つ山が、奈留島のほぼ中央にある城岳(標高189.1m)です。
昔此処に山城を構えていた時代もあったようで、この名が付いています。
 奈留島にはほとんど川らしい川がありませんので、水源の確保には昔から苦労していたようです。
昭和には船で水を運んできたり、平成になっても給水制限をしなくてはならない年もあったようですが、昭和50年前後に次々と水源としてのダムが建設され(5ヶ所ぐらい)、著しい水不足は解消されています。
  
 ダムの上を通る草摘峠への道から樫木山ダムを見下ろします。
ダムの周囲には桜が植えられ、フークと散歩中にこの辺りで初めて雉を見てびっくりした場所です。
ダムの向こうには、奈留島教会の白い尖塔が見えています。
 21字同じで、淡々と風景を詠った、まずまずの一首です。

    返事
花水木さん:傷口に泥を塗るよう?ですが、
    「お迎えの中学校・・・」は、「お向かいの中学校・・」の変換間違いですよね!
喜珍さん:しばらくピッチを上げていきますよ!
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ふるさとがえり」

2013-03-24 | ノンジャンル
  
 暖かくなって、今年の桜は日本全国早いようですね。
この土・日は当直なので、病院近くの旧奈留小校庭の桜しか観られませんが、今朝でほぼ満開か七分咲き。
 3月20日春分の日は、雨はあがりましたが曇り空、福江島に出かけました。
この時にもう、写真の石田城の桜は満開でした。
  
 福江の文化会館で映画「ふるさとがえり」の上映会と、この映画の脚本家栗山宗大さんのトークショーがありました。
五島で初めて映画を観ますが、ご存知ですか「ふるさとがえり」、てっきり五島の映画かと思っていましたが、岐阜県恵那市の町おこしの一環として作られた、消防団や故郷へ帰った若者の人生を描いた作品でした。
高畑淳子・村田雄治さんや鶴光まで出ていましたが、どんでん返しもあって、死で終わらなければ面白い映画でした。
トークショーも楽しみにしていたのですが、あまり盛り上がらず終わりました。
  
 福江の商店街の街路樹椿は大分落花し、椿もそろそろ終わりのようですが、文化会館前には桜と椿が同時に咲いていました。

     返事
花水木さん:多方面の知識ではなく、スメ[ツ新聞的知識が豊富だっただけですが、
    それも今や、券\・野球共に知識落ちています。
大雪男さん:この写真、花水木さんにも昔褒められた写真です。
    二度使いお許し下さい。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈留島百人一首 12

2013-03-21 | 奈留島百人一首
  
 12. 天つ風 雲のかよひ路 ふきとぢよ
             乙女のすがた しばしとどめむ
                          僧正遍照(816~890)
 豊明(トヨノアカリ)の節会(セチエ)で舞った五人の乙女へのアンコールの歌のようで、作者の僧正遍照は俗名良岑宗貞(ヨシミネノムネサダ)、桓武天皇の孫になります。
 宝塚歌劇団には百人一首から貰った喧シのスターがいますが、この歌からの歌劇団スターが「天津乙女」と言うことは私でも知っていましたが、天津乙女の妹も宝塚スターで、「雲野かよ子」と言うそうですよ!  ワオー!!
   百人一首なんて京都から遠く離れた奈留島と何の関係もないと言われそうですが・・・。
 空海の甥と言われ三井寺の天台座主までいった入唐八家の一人 智証大師円珍(814~891)の書「円珍書状」(金釘流の下手な字としか思えませんが国宝です)は、彼に師事していたこの歌の作者僧正遍照への返信だそうです。
    「それがどうした!?」と言われそうですが。
 この円珍さん、遣唐使として入唐の際に、なんと奈留島に寄港しています(853年7月)!!
泊か夏井の井戸水を飲んだはずですよ!!!

 昔々、確か漫画トリオの「天つ風~、余った風はどこへ行く~」とか言う漫才があって、それでこの歌を憶えましたが、その歌が奈留島と結ばれていたことを今回知って、嬉しい限りです!clap
  
 12. 天つ風 船のかよひ路 ふきとぢよ
            家内のすがた しばしとどめむ

    天つ風・のかよひ路・ふきとぢよ・のすがた・しばしとどめむ  26字も同じ
 いつもは吹くと困る海風も、今回ばかりは京都へ帰る家内の船が欠航するぐらい吹いてくれ、そうすれば又家内と今晩も過せるから。
と願う作者の気持ちがよく出た秀歌。
 その気持ちに免じて、私的になりすぎたことをお許し下さい。

    返事
和さん:若い時からコツコツ集めていたら、なんでも結構貯まっていたのに、
     と今更悔やんでも仕方ないですが・・・。キリギリス性格です。
花水木さん:奈留に来てから毎年礼状を出すようになりました。
    筆不精も大分直ってます。やっぱり寂しくて繫がりたいのですね。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お年玉付き

2013-03-18 | ノンジャンル
  
 少し遅くなりましたが、今年の年賀状のお年玉を、郵便局まで貰いに行きました。
今年の4等は下2桁29か70、一つ違いが10枚もあって悔しい思いをしましたが、結局4等3枚だけの当りと、近年最低の運。
それでも恒例で、当たりをもらった3人には、お礼の葉書を出しました。
  
 机の引き出しになにげなく置いていたお年玉切手、子・丑・寅・卯・辰・巳と数えてみると6種類、丁度平成20年の子年から集まっていました。
 もっと前から集めていたら、3回り分ぐらい集まっていたはずですが、こうなればあと6年、なんとしてもお年玉切手を当てて(皆様よろしくお願いいたします)、十二支切手全部集めたいものです。
 老後の楽しみとしては、6年間は丁度手ごろな年数になりそうです。

   返事
花水木さん:そう魚は美味しいです!
    まあ日常ではなく、家内が居る時しか食べられませんが。
    武家の家は椿を嫌っていたはずで、映画「椿三十郎」を観た時も、武家屋敷に椿の木は、
    子供心にも「おかしいなあ」と思っていました。
hisakajimaさん:渋いですね!
     この歌、私にはほとんどなじみのない歌でしたのに。
大雪男さん:かわはぎ、高級魚なのに、五島では安いですね。
喜珍さん:若い時は奈留島で一番足が速くて、「大会にもよく出た」と、
      本人から話を聞いています。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする