写真は大阪中之島のスペイン料理店でランチした時のデザートです。
小鉢に入っている、ヨーグルトでもなく杏仁豆腐でもない白いものが、非常に美味しかったです。
美味しいものが最初に出れば、久しぶりの天皇陵巡りで月輪陵(ツキノワノミササギ)です。
第115代桜町天皇(1720~1750)(在位1735~1747)の第1皇子で、生母は典侍(ナイシノスケ)の姉小路定子(アネガコウジサダコ)(1717~1789)ですが、摂関家からの嫡妻二条舎子(イエコ)の実子として育てられた遐仁親王(トオヒトシンノウ)は、7歳で即位し第116代桃園天皇(モモゾノ)(1741~1762)(在位1747~1762)と成りました。
写真は月輪陵正面ですが、これ以上は近づけません。
桃園天皇在位中に起こった(徳川幕府は9代家重(イエシゲ)の時代です)宝暦事件(ホウレキジケン)(1758年)は、日本の歴史上初の尊王論者弾圧事件になりますが、若い桃園天皇も尊王論の講義を新鮮な気持ちで聴いたようですし、事件の処罰には憤慨したようです。
月輪陵と後月輪陵の区別はつきにくいですが、陵印は共通で「月輪陵後月輪陵」とあります。
女御一条富子(1743~1795)との間に産まれた第1皇子英仁親王(ヒデヒト)(1758~1779)がまだ幼いころに、桃園天皇は22歳の若さで亡くなった為、桃園天皇の異母姉智子内親王(トシコ)が中継ぎ天皇として、第117代後桜町天皇(1740~1813)(在位1762~1770)として即位し、桃園天皇は月輪陵(東山区今熊野泉山町)に葬られました。
月輪陵・後月輪陵の制札には39人の名前が並んでいますので、新しく書き直すのも大変でしょうね。
と言うわけで、冷たい視線に囲まれても、天皇陵巡りは細々と続きます。