島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首95

2014-06-20 | 奈留島百人一首
 
 95. おほけなく うき世の民に おほうかな
             わが立つ杣に すみ染の袖
 
               前大僧正慈円(サキノダイソウジョウジエン)(1155~1225)
 「身の程をわきまえないと言われてもしかたないが、つらいこの世に住む民を祈りで救いたい、比叡山で僧侶として住みはじめた私は。」
 慈円は76番作者前関白藤原忠通の子供で、兄の九条兼実(カネザネ)は関白、91番作者後京極摂政前太政大臣藤原良経は甥になります。
4回も天台座主(テンダイザス)となり、更に大僧正という坊主の最高位まで上った人で、偉いとは思いますが、元々身分が高く家柄の良い人が坊主になって、どんどん位が上がっていくことに反発して、親鸞や日蓮は出てきたのでしょうね。
 
 95. アーメンと 奈留島の民に 祈るかな
             わが立つ泉に 白色の袖

                  の民に・かな・わが立つ・に・の袖  14字 同じ
 奈留島には今でも教会は三つありますが、実際に毎日ミサなどが行われていて、神父さんも常駐しているのは、この奈留教会だけです。
 
 奈留教会の中庭にあるルルド、聖母マリア出現のフランスのルルドの泉を模した石窟で、カトリック教会にはよく見られます。(私も何故かカトリック系幼稚園の育ちで、園庭にあったルルドのマリア像に小さな手を合わせていました)
 前の94番で奈留島の寺を紹介したので、偏らないように、元歌は坊主の歌ですが、今回はなんとか無理矢理キリスト教関連施設の歌に変換してみた、それなりの一首です。

       返事
花水木さん:少年時代の葬儀や法事は、なんとなく記憶があいまいで、
    それでいて印象的な場面を妙にはっきり覚えていたりしますね。
     やりたくないですが、やっぱり儀式は必要かなと思うときもあります。
大雪男さん:この本歌のような歌が良いとは、大人ですねえ。
    日本、限りなく通過が困難になりましたが、私は明日のラクビーのイタリア戦のほうが気になります。
和さん:少し検索しましたが、PCで五島TVを見る方法はわかりませんでした。
コメント (2)
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奈留島百人一首94

2014-06-18 | 奈留島百人一首
 
 94. み吉野の 山の秋風 さよふけて
           ふるさと寒く 衣打つなり

                 参議雅経(サンギマサツネ)(1170~1221)
 「昔々は天皇の離宮のあった吉野の里、でも今は山から里へ吹き降ろす秋風に、夜も更けていっそう寒さが身にしみますし、砧で衣を打つさみしそうな音も聞こえてきますよ」
 藤原雅経は「新古今集」の撰者の一人となる歌の名人でしたが、又蹴鞠も名人で、飛鳥井流蹴鞠の開祖ともなりました。
彼の住んだ館跡に建てられたのが、77番の作者で、怨霊となった第75代崇徳天皇の御霊を祀る白峯神社です。
私はこの白峯神社の横にあった病院に9年間ほど勤めていましたが、その頃から人気の出てきたサッカーとは蹴鞠つながりで、そこはサッカー選手の聖地にもなっていました。
 
 94. み仏の 顔に秋風 さらさらと
          ふるさと寒く 衣着るなり

                み・の・秋風・さ・ふるさと寒く・衣・なり  19字 同じ
 奈留島には入明船の記録にも残る海安寺、トンネルの名に残る延命寺などがあったようですが、現在も和尚さんがいる寺は浄土宗の教永寺だけです。
唯一の仏教寺院の和尚さんは忙しく、福江島や長崎までも呼ばれてお務めをされていて、その無理がたたったのか、昨年秋突然死のように亡くなられました。
亡くなる1か月前までは一緒に熱心にラージボール卓球をする仲間でしたのに、寂しい限りでした。
お葬式は葬儀の列が幟を立てて、停トに入った硬貨入りの紙ふぶきを撒きながら、ぐるぐる家の周り回ったりする、昔からのお葬式だったので興味深くはありましたが、その教永寺の門前にある赤い前鰍ッを着けたお地蔵さんの列にも、当日はさらさらと秋の風が吹きわたっていました。

        返事
和さん:五島TVは関西でもPCで観られるのですか?
大雪男さん:シフォンさんなどが頑張って、
     翌日は選手たちも一緒にコースのゴミ拾いをされてました。
花水木さん:風呂に入れたり、暖かいペットボトルを抱かしたりして、暖をとってもらいました。
     エリートクラスの人の体は、より立派に見えました。
さんまさん:トライアスロンを観てると、自分もやりたいと一瞬は思いますが、
     命には代えられないので、観るだけにしておきます。
コメント (3)
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奈留島百人一首93

2014-06-08 | 奈留島百人一首
 
 93. 世の中は 常にもがもな 渚こぐ
            あまの小舟の 綱手かなしも

                           鎌倉右大臣(1192~1219)
「この世の中がいつまでも変わらず平穏なものであればよいなあ、海岸に沿って漕いで行く漁師の小舟を他の漁師が陸から引っ張っていく光景が穏やかでいとおしいように。」
 鎌倉右大臣は鎌倉の鶴岡八幡宮で暗殺された鎌倉幕府3代将軍の源実朝です。
源頼朝の子供ですが、和歌や蹴鞠が好きで、武士というより公家生活指向でしたし、定家のお弟子さんでもありました。
政権真っただ中の不安定な将軍生活には全く向いていなかったのが、この歌からもわかりますね。
 
 93. 大会は 常にもがくよ 力だし
           あまの自慢家 綱引き楽しむ

                        は・常にもが・あまの・綱  11字 同じ
 奈留島では毎年ゴールデンウイークに五島綱引き選手権が開催されていて、奈留島内にもそこそこ強い綱引きチームもあり、道具もそろっているし、公式審判員の免許を持っている人も多く、今年長崎で行われる長崎がんばらんば国体の綱引きは奈留島で行われます。
 
 「常にもがもな」を「常にもがくよ」とうまく変換でき、あま・綱もうまく入って、奈留島で盛んな綱引き大会にふさわしい一首となりました。
 どうですか花水木さん? 今度は写真がもひとつですか、なるほど。
   皆さん、今年の秋の長崎国体には、奈留島の綱引き大会見物ツアーにぜひお越しください!

      返事
花水木さん:やっぱり「ううーん」ですね、 
     です。で終わったのが更に良くないですね。
大雪男さん:構想はできているので、
     新しいパソコンからいかにして写真を引き出してくるかが問題点です。
綾部のとしちゃんさん:なんのこっちゃ?
     松葉蟹が長崎にはないのでうらやましいですが。
コメント (2)
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奈留島百人一首92

2014-06-05 | 奈留島百人一首
 
 92. わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
            人こそ知らね かはく間もなし

                  二條院讃岐(ニジョウインノサヌキ)(1141?~1217)
 「私の袖は、潮が引いても見えない沖の石のように、他人には見えませんが、あの人を想う恋の涙のため、乾く間もないのです。」
と、可愛く歌う讃岐は、二条天皇に女官でしたので、こう呼ばれています。
 思い出したかのように、残った奈留島百人一首を続けます。
しばらく感が戻ってきませんので、今までのと形式が変わっているようなら、ご指摘ください。
 
 92. トンボロは 潮干に見える 石の浜の
             人皆知ってる 名所です

                    は・潮干に見え・の・の・人・知  12字 同じ
 奈留島百人一首では3回目のトンボロの登場です。
でも、何回見てもきれいでしょ!!
 歌のように、潮干になると、前島と末津島は繋がるのです。
   前島を離れた今でも、ぜひもう一度訪れたい場所です。
 
 満ち潮になると、トンボロの石の浜は、このように分断され、左右の海面の高さが違うために、結構な流れが浅瀬を洗います。
 3回登場しても飽きることのない奈留島の名所トンボロ、見る人を皆詩人にして、波が洗うように人の心も洗われる景色です。

     返事
大雪男さん:扇型石、目立たないさりげなさが良いのかもです。
花水木さん:一枚目のカーブミラーに写ってるのですが、小さくて目立たな過ぎましたね。
コメント (3)
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奈留島百人一首91

2014-04-19 | 奈留島百人一首
 
  【もう皆さんお忘れになったかもしれませんが、奈留島百人一首はまだ10首残っています。
   ボチボチ残りを埋めて完成させますので、お付き合いのほどお願いいたします。】

 91. きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに
             衣かたしき ひとりかも寝む

                        後京極摂政前太政大臣(1169~1206)
 作者は76番作者藤原忠通の孫で、関白九条兼実(カネザネ)の子である藤原良経(フジワラノヨシツネ)
です。
俊成・定家の良きスャ塔Tーでもありました。
 「こおろぎが鳴く霜の降りた寒い夜でも、私は着物の片袖を敷いて、寂しく一人で寝るばかり、彼女も誰もいないのですよ。」
 このように、もてないことを言いふらしながら、母性本能をくすぐってもてようとする作戦、私もとることもありましたが、この作戦あまり成功しませんよ。
 
 91. アジフライ 買ったある夜の べんとうに
              衣固しき それでもうまい

                            夜の・に・衣かたしき  10字 同じ
 「衣片敷き(固しき)」を使う為だけに作った歌なので、別にこの家内が揚げたアジフライの衣が固かったわけではありません。
 奈留島では500円の弁当に付いてくるアジフライでも非常にうまいですが、家で揚げたてのアジフライを食べるのが、最高にうまいです。

    返事
綾部のとしちゃん:間違ってすみませんでした。  行ってあげて下さい。
大雪男さん:やっぱり5月5日までのカープは強いということですね。
和さん:富江の入口、商店街に入る大きな四辻の一等地、空き地になってますが、
      ここに映画館があったと聞きました、当たってますか?
花水木さん:人間の性って浮「ですな、ビール看板なんて、私にはまったく思いつかないことです。
     「直ぐに極められる」って、それは私は挫折するってことですよね。
コメント (3)
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