島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

五島のキリシタン史をちょっと学んだ

2015-03-30 | 富江
 
 先週の日曜日3月22日は、朝からもやがかかったような日、PM2.5はなんと福江島で105を記録。
PM2.5上限の35以上になったこともあまりなかったですが、一挙に3倍の105、北京(行ったことないですが)の様な感じです。
 当直明けで少し眠たかったが、朝に又椿園に行って見ると、椿の木々の間は気持ち良かったですが、真近くの鬼岳もかすんでいました。
 
 昼食べて午後は、五島観光歴史館主催の史跡巡り、
      =奥浦地区の歴史散策=
     ~五島キリシタン史と奥浦~   に夫婦で参加。
福江島の北東部にある奥浦地区を、バスで廻って説明してくれます。
ほぼ老人ばかりの30人ほど、会費は1000円でした。
 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が来年は世界遺産に登録されると思うので、もう一度五島のキリシタン史を学びます。
説明や資料で、やっと概略がつかめたような気もしたかな?
  理科系の人間にしては説明文が下手で、ちょっと読みにくい文になりましたが、堪忍してもらって読んで下さい。
 
 「いごよく(1549)ひろまるキリスト教」と憶えた、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本にキリスト教が伝わった1549年からわずか17年後の1566年、信長が着々と天下統一を進めていたころに、イエズス会宣教師アルメイダが五島藩主の要請で、早くも福江島を訪れキリスト教が広まったようです。
 その後1587年の秀吉の禁教令、1614年の徳川幕府による禁教令もあって、福江のキリスト教も一旦は壊滅しました。
    ここまでが五島の前期キリシタン史になるそうです。
 
 その200年後、五島藩主は開拓民を受け入れて領土を豊かにしようと、長崎の大村藩に農民の移住を依頼。
大村藩では、人口増加の人減らしと、潜伏キリシタンの処遇がいっぺんに片付くと、両藩の利害が一致しました。
 1797年、福江市街北東の六方(ムカタ)の浜に、108人の長崎の西海岸沿いの外海(ソトメ)の農民が上陸、奥浦地区に移住していったそうです。
 案内して説明してくれた奥浦木ノ口地区の木口さんは、この人たちの末裔で、家の裏山で最近発掘されたキリシタン墓地には、こんな十字架の付いた石がころがっていました。
 
 木口さんの家からは長崎外海地区しかない、この温石石(オンジャクイシ)も見つかりました。
外海の人はこの石を石垣などにも利用しましたが、船の上で煮炊きをする時のかまどとしたり、船の安定を保つ重りとしても使用するほか、潜伏キリシタンにとっては信仰と結びついた石だったそうです。
だからわざわざこんな大石を舟に積んで外海から運んできたようです。

 最初の頃の移住者は、1年間の年貢免除などの優遇を受けたようで、
「五島へ五島へと皆行きたがる 五島はやさしや土地までも」
  とうたいましたが、
その後五島藩の要請1000人に対して、3000人もが移住したため、
「五島極楽、来てみりゃ地獄 二度と行くまい五島ヶ島」と、
更に福江島の奥地や、上五島などの五島列島の他の島へと散らばって、江戸時代の残り70年ぐらいを潜伏キリシタンとして過ごしました。
 その後1873年(明治6年)に信仰の自由が得られてからは、五島の隠れキリシタンは、
1.カトリックに復帰する者
2.潜伏のまま(表向きは神道)隠れキリシタンとして生きる者
3.仏教などの他の信仰に替わる者。
    に別れていったそうです。

       返事
花水木さん:女の人は愛にどん欲ですね。
    かなり愛されているのに、愛に縁が薄いと言う人多いです。
綾部のとしちゃん:綾部と福江なら、福江の方が都会かも?
大雪男さん:モスバーガーは注文してから作るので、
    待たされますが、五島に来てから船を待つことに慣れたので、
    私は待てる人間になりつつあります。
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ドリーム送別会

2015-03-28 | 奈留島
 
 奈留島の院長夫人が中心になって、子供たちのためにいろんな催しをしてくれている、童里夢(ドリーム)。
家内も入っていて、富江に行ってからも、行ける時は木曜日に私と一緒に奈留島へ行って、その手伝いを続けています。
 ドリームメンバーの奈留小・高の先生の奥さん達が、転勤で奈留島を離れることになったので、その送別会でバーベキューと水晶岳に登る会が、先々週の土曜日に奈留島でありましたので、夫婦で参加。
 
 最近、奈留双子水晶の会も出来たそうで、奈留島のフェリーターミナルには、立派な双子水晶も飾られるようになってました。
 奈留島の水晶岳で産出する双晶は、俗に「双子水晶・夫婦水晶」と呼ばれ、正式名は「日本式双晶」、奈留島と山梨県の乙女鉱山でしか採れないそうで、知る人ぞ知るこんなハート型の水晶です。
  
 昔一度、奈留島の人と登ったことのある水晶岳、その日は子供たちとも一緒に汐池の手前から山道を登りますが、今この辺は猪の防護柵も出来ていて、途中には猪用のワナも見られましたが、昼間なので猪の影はありません。
 
 水晶岳に到着して、辺りの地面を見てみると、なんか小さなガラス片の様なものがたくさん散乱しています。
水晶のくずだそうで、あまり値打ちはなし、あんなハート型のものはもう採れないそうです。
 
 午後からは、私だけバーベキューを抜け出して、文化協会さん主催の「実録なるの歴史」という、遣唐使の頃の奈留の歴史講演会に出席。
講師は昔奈留に住んでいた人なので、たくさんの人が集まっていましたが、やや焦点が判りずらい講義でした。
 私は、講師の背後にある、家内やドリームや少しは私が修復した緞帳に、久しぶりに会えたので、そればっかりを見ていました。

       返事
和さん:最近は客も浮気っぽいのか、飲食店もなかなか長続きしてませんね。
     京都に帰ったら、知ってる店もどんどん替わって、浦島状態です。
花水木さん:花水木さんのおはぎなら、写真の全て、あんも黄粉も、
    全て胸やけせず食べる自信はあります。
     ドンクは全国展開でしたっけ?長崎で入った気もしてきました。
大雪男さん:3月中なら、福江商店街のはずれでまだやってますが、
    待たされすぎて嫌になるかも。
福山市さん:JAでバーガー売ってますが、五島牛かも?
    ブドウパンのパン屋さんにもありますが、ご当地と言えるかどうか?
奈留島で隣?に住んでいた猫の飼い主さん:コメントありがとうございます。
    近くにRIC(九州のコンビニチェーン店です)ができたからかな?
コメント (3)
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モスバーガー閉店

2015-03-24 | 富江
 
 奈留島にはファストフード店や全国展開の食堂はありませんが、福江島にはそれらがありますし、ありました。
 *マクドナルドは、私が五島に来る10年以上前には有ったようですが、すぐに閉店したそうです。
 *ピエトロは、奈留島に居る頃(2005年から)、福江島まで何度かスパゲティを食べに来てましたが、1年後の2006年には閉店しました。
 *ケンタッキー・フライド・チキンは、私は昔から好きでよく食べてましたが、五島には有りませんので、ちょっと寂しいです。
 *ミスタードーナツは、ずっとこの10年福江には有りますし、好きな方なのでちょこちょこ買います。
   ドーナツの大きさは、40年前に比べるとかなり縮小してますが。
 *ジョイフルは、2年ほど前にオープンし、まだけっこう繁盛しています。
   富江に来てから3回、夫婦で行ってます。
 *本家かまどやとほっともっとのお弁当屋さんは、福江島でやっていけてるのが少々不思議ですが、続いてます。
 *そしてモスバーガー、写真の店が福江商店街にあります。
   私が五島に来た時からあって、福江島に自転車で来た時のおやつや、野球観戦のお供に利用してました。
   以前からマクドに比べ、圧涛Iにモスのファンでしたし、
   待たされますが手作り感もあって、好きです。
   一人、わたし好みの店員さんもいましたので、その人に当たると小さな喜び。
   この店、3月31日で閉店になります。
   繁盛してる気もしてたので、残念です。

         返事
大雪男さん:奈留島では海に沈むか久賀島に沈むかですが、
    海に沈む時は、奈留の方がむこうの方に沈む気がしてました。
花水木さん:冬にも夕焼けはよく見られますが、
    冬の夕焼けは、いつも夕陽自身は雲の中のような気がしてます。
コメント (5)
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黒瀬の夕陽

2015-03-21 | 富江
 
 海に沈む夕陽を見に行こうとしても、富江の海は南や東が主です。
仕事の後に、日本で最後に沈む夕陽で有名な大瀬崎まで行っても、いくら日本の西の端で遅く沈むといっても、冬はもう陽が落ちています。
 でも、富江の黒瀬なら、車で5分もかからず行けて、冬でも夕陽が沈むまでに到着と、天気の良い日に車で数回行くも、最後はやっぱり雲の中。
 
 1月、少し雲が少ない日に、やっと海に沈む夕陽が撮れました。
もう少し雲がなければベストなんですが。
 この黒瀬海岸の沖に浮かぶ二子岩の、ちょうど真ん中に沈む夕陽を撮っていた、五島の人の写真を福江港で見たので、私もこれを真似しようと思っていたのですが。
 
 2月はどうも天気が悪くて、今日こそはと思って行っても、雲が多すぎです。
 
 3月になって、今日こそはと行ってみたら、なんと夕陽はどんどん北にずれて、もう黒瀬海岸からは海に沈む夕陽は見えなくなっていました。
 10月か11月になって、再びここから海に沈む夕陽が見れるなら、もう一度チャレンジします。
 
 海に沈む夕陽でも、山に沈む夕陽でも、ここ黒瀬から見る夕陽の方が、奈留島で見ていた夕陽より、近くに沈む気がするのは、まさかここが西のはてだからではないですよね。

    返事
大雪男さん:確かに、地面の椿の花は急に目立ってきますが
    補色の関係?
花水木さん:確かに、椿鬼奴が2番目に出てきましたが、
    椿三十郎は出てきませんでした。
和さん:確かに、椿園は山の傾斜地にあるので、坂道が多いですが、
    周りからゆっくり歩くと、息が切れるほどではないと思います。
コメント (2)
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五島市椿園

2015-03-18 | 富江
 
 第21回五島椿まつりも終わりました。
その期間中に時々、鬼岳の麓にある国際優秀椿園になった五島市の椿園も行きました。
3~4回行ったのは、土曜か日曜の午前中ですが、椿まつりの期間中にもかかわらず、椿園の中では誰にも会わなかったぐらい、人は来ていません。
天気が良くなかったのと、五島の人には、椿はわざわざ見に行くほど珍しいものではないからですかね。
 
 五島の椿と言えば玉の浦椿(地名は玉之浦ですが、椿名は玉の浦が正しいそうです)。
玉の浦椿ばっかりの場所もあって、3月になってからはメジロかな?、鳥の声も木々の間から聞こえます。
 やっぱり、可憐で綺麗な花ですね、玉の浦は。
 
 白い部分の割合は色々のようですが、福江商店街の玉の浦の中には、こんな風に白の部分が多いのもあって、これもなかなか綺麗でした。(これは玉の浦とは呼ばないかもしれませんが)
 
 椿は照葉樹なので、名前の通り葉が陽の光で光ってるのも綺麗ですが、赤い椿の花はなかなか目立ちませんね。
 白い椿はまだ目立つほうですが、それでもこの白侘助はひっそり咲いていました。
 
 その中で、こんなボタンのような派手で目立つ花もありました。
赤腰蓑という椿、なるほど名前負けしていません。
 
 
 乙姫は沢山の花が付いていて目立ちましたが、花びらが乙という感じからの命名か?、確かにあんみつ姫より乙姫の方が、この花にあってますね。
 
 たくさん咲いて、たくさん散っているのは、漁火と言う名の椿。
遠くからでも目立ったので、それで漁火?。
 新種を作って付けられたいろんな名前のわけを、想像するのも楽しみですが、上手に納得するような名前を付けられていますね。
 
 一番平凡ですが、一番椿らしいヤブ椿、ヤブ椿の森では、花はよく探さないと目につきませんが、その中で比較的花が多かった木がこの写真です。

     返事
花水木さん:同じ石だと思いますが、やや不思議。
    私も頻尿でひんしゅくを買ってます。
大雪男さん:太古の5:40青方着は、ちょっと冬はつらいですね。
    福江には早く着くようになって、便利ですが。
コメント (3)
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