島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首85

2014-02-28 | 奈留島百人一首
 
 85. 夜もすがら もの思ふころは 明けやらで
             ねやのひまさへ つれなかりけり

                         俊恵法師(シュンエホウシ)(平安時代後期)
 祖父71番作者源経信・父74番作者源俊頼と3代続いて小倉百人一首に採用された、この作者俊恵法師は「方丈記」の作者鴨長明の師匠にあたります。
 「一晩中恋人が来てくれるかと思いながら過す悲しい夜は、なかなか明け方が来ません。寝室の板戸の隙間を見てもやっぱり暗いままで、恋人と同じように冷たいのです。」
     女の立場で悲しい女心を詠んだ歌です。
 
 85. 夜もふけて もよおすころは 明けやらで
             ねやの暗さに つまずきけり

                     夜も・も・ころは・明けやらで・ねやの・つ・けり  17字 同じ
 「夜も更けておしっこが我慢できなくなりましたが、まだまだ外は暗そうです、部屋も暗いので布団の上に立つと、危うく転唐オそうになりました。こんなふうにして大腿骨頚部骨折をおこす日も、そう遠くないいつかでしょうね。」
     老人の立場で(そのままですが)悲しい老人の気持ちを詠んだ歌です。
 写真のように満月に近い日は、月光が奈留島の官舎の部屋の中まで入ってきて、以外と明るい時もありますが、それでも立ち上がった時にバランスを崩すことはよく有ります。

    返事
和さん:阿倍野ハルカス、もう開業ですか? まだ見たことありません。
大雪男さん:欠けた日がない日記は25年になるのですが、
     私の中ではやはり日記とブログは違いますので、嘘つきなんでしょうね。
花水木さん:元々は奈留島発信のターシャさんのブログから花水木さんを知ったので、
    五島列島の他のブログも時々は見て下さい、写真だけで満足するのも沢山有りますよ。
コメント (2)
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福江港ブラブラ

2014-02-26 | 五島列島
 
 1月の寒さに比べると、2月も後半になって五島も春が近いのか、暖かくなってきました。
 2月23日(日)、椿まつりの見学や店を覗こうと、ぶらっと福江まで。
福江港に着く寸前に、ニュータイヨウの窓から見えた客車のような列、漁礁にでもするために古い列車を持ってきたのか?とブラブラ近寄ってみると、列車ではなく巨大虫かご様のセメントブロック??やっぱり漁礁に・・・?
 
 MOONさんの様に綺麗な写真は撮れませんが、セグロカモメの楽しい「ス」の後姿を撮ってみようと、キミマロズームを向けるも、後ろ向きのカモメは居らず、「ス」が本当に見えるのか確認できませんでした。
 それでも、丁度ジェットフォイルのペガサスが入港してきましたが、水中翼を出して浮きながら水上を滑るように走ってくる姿を、初めて写真に撮れました。
 
 江戸時代末に石田城を築くため、まず福江港に築かれた常灯鼻(ジョウトウバナ)、防波堤と燈台を兼ねて、滋賀県の石工が築いたと書いてあったので、たぶん坂本の穴太衆がここまで来ていたのでしょうね。
そのまま五島に居ついた人もいたかと思うので、五島のいたるところに有る綺麗な畑の石積みも、その人達の伝承でしょうか?
 
 中央の石の燈台は、中が空洞になっていて、ここで焚き火でも焚いて灯りにしたのか?灯りは見えて目印にはなりそうですが、周囲が明るくなるような装置ではなさそうです?
 たまたま富江の元気な元気なシフォンさんも、25日のブログで常灯鼻の写真をアップされていて、重なってしまいました。
 
 この上から港を眺めると、海上保安庁の巡視艇・入港してきたペガサス・奈留へ行くフェリーオーシャン・久賀島行きのフェリー久賀がそろっていました。
     もうすぐ春ですね!
 奈留島でも福江島でも、他の沢山のブログが発信されているのを知ってくると、重ならないようにするのが大変なのと、自分のは要らないかと思ってしまいますが、ここまで来たらなかなか止める決心もつきませんので、もう少しお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

      返事
花水木さん:三つの質問は、三つとも解りませんでした。
福山市さん:お土産ありがとうございました!
    びっくりしたのと、元来人の顔と名前を憶えるのが苦手な私です。
     最初わからなくて、大変失礼しました。
大雪男さん:ノルディック、2本杖で歩く競技ですね。
コメント (3)
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奈留ほど・ザ・ウォーキング

2014-02-24 | 奈留島
 
 五島は「椿まつり」の真っ最中、奈留島でもその一環として今までは「海鮮グルメウォーク」をDONDON奈留が中心になって開催していたのですが、いろんな理由で中止になっていました。
 今年は奈留支所地域振興課が中心になって、形は少し違いますが開催、海鮮グルメは無くなりましたが歩く距離は大幅短縮で、喜んで参加しました。
参加人員は13名、奈留島からは私ともう一人だけ、平均年齢は高そうです。
 
 新しく出来た小田河原鼻展望所まではバスで送ってくれました。
ここにも五島市のユルキャラ3人組、ごとりん・つばきねこ・バラモンちゃんの一人が先回りして現れています。
 ブログコメントで知り合い、奈留高校の応援に秋田の国民体育大会にも行かれた「福山市さん」とも再会、お土産のもみじ饅頭までいただきました。
 
 展望所から江上教会までは歩きますが、下り坂が多く痛めた膝が少し痛くなりましたが、距離が少なく助かりました。
 教会前方にある南洋っぽい木々の間から見え隠れする江上教会が一番絵になると思いますが、今回この木々の中にハート型が隠れていると言われました。
写真中央少し右下の枝が、なるほどハートですね。
 
 久しぶりに江上教会内部も見学。
   やっぱり良いですね!  ほんの少しは善人になれたような気もします。
 
 内部のこの柱も天井部の梁も、木にわざわざ木目模様を手書きで入れています。
何のため?と言われても、答えられません。
 
 この後は笠松宏有記念館で少し展示品も変更された絵を観て、宮の森総合公園で昼食です。
弁当は普通ですが、食べきれないぐらいの刺身3種・よく味の出たアラ汁、最後にはサービスのコーヒーまで出ましたよ。
 おなか一杯になって、再び車ででユーミンの歌碑まで直行。
 
 ウォーキングとは名ばかり、その後も移動は車ばかりでした。
三兄弟工房と言う奈留島の大工さん兄弟が作る木工品の店、そこでお土産のバラモンちゃんの木の札に名前も彫ってもらいます。
 
 最後は予定にはなかったですが、参加者の希望で千畳敷までも車で案内、上の細い道にも行ってもらい、丁度椿越しの千畳敷もパチリ。
 終始曇り空でしたが風がなく、気持ちの良い一日でした。
所々で出されたクイズは満点が取れず、賞品は当たりませんでしたが、これで参加費3000円なら、まずまず満足でした。

     返事
大雪男さん:そうですね!私より若い者に先立たれるのが一番つらいですね。
    考えてみると、私のご先祖様も空から私を見て、かなり落ち込んでいる時があるかもしれません。
花水木さん:定点写真や子供の定時写真を若い時から撮っておけばよかった、
    と思うことは有りますよね。
      まわるまわるう~時代はまわるsymbol7
    いつか私の家内や子供達が、孫や友達が、私のことを笑って話していてくれたら嬉しいですね。
コメント (3)
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奈留島百人一首84.

2014-02-21 | 奈留島百人一首
 
 84. ながらへば またこのごろや しのばれむ
             憂しと見し世ぞ 今は恋しき

                                藤原清輔朝臣(1104~1177)
 「もしもこのまま生きながらえていたなら、つらかった昔のことが今では懐かしいように、今のつらい現状も懐かしく思い出されるでしょう。」
 私は感受性が低いのか、決定的な不幸に会わなかったのか、その当時は結構つらいと思っていた昔のことも、今では笑って済ませられることが多いですが、この先短い老後に決定的に悲しいことに会わないようには祈っています。
 藤原清輔は79番作者藤原顕輔の15歳の時の子供ですが、父顕輔とはあまりそりが合わなかったようです。
 
 84. 2回来て またこのごろや しのばれむ
              霊場巡りぞ 今は恋しき

                     またこのごろや・しのばれむ・ぞ・今は恋しき  20字 同じ
 懐かしの奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡りの第1番霊場は北川豆腐店横のゴミ箱でした。
2008年8月25日のブログで紹介した頃には、豆腐店の商売はしていませんでしたが、建物はこのように有りました。
  
 一度奈留島を去って又奈留島に戻り、懐かしの霊場を探して見ると、所々の霊場は喜ばしくも新しくなっていましたが、もう朽ち果てて使用できない霊場もあって、年月の移り変わりをじかに感じました。
 この医局の窓から見下ろせる第1番霊場も、霊場自体はそのまま残っていて、私も使用していますが、豆腐屋の建物は跡形もなく更地になっていました。
 
    返事
大雪男さん:確かに「しがらみ」なければ退屈しますかね。
花水木さん:同時8人は俊成さんでもつらいでしょうね。
    皆を捨てて山奥に逃げても、やっぱりそのしがらみ捨てきれず懐かしく、
    帰ってきましたよ、と言う歌なんでしょうね。
コメント (2)
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奈留島百人一首83

2014-02-19 | 奈留島百人一首
 
 83. 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
            山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

                   皇太后宮大夫俊成(コウタイゴウグウノダイブトシナリ)(1114~1204)
 「この世の中には辛いことから逃れる道は無いのだからと、心の安らぎを求めて分け入った山の奥でも、やはり辛いことがあるのか鹿も悲しげに鳴いているようだ。」
 藤原俊成(トシナリ・シュンゼイ)は、「千載集」をまとめたりして有名なすぐれた歌人です。
91歳まで生きて、妻は8人ぐらい、子は20人近くいたそうです。
この小倉百人一首をまとめた97番作者藤原定家も息子の一人で、48歳の時に出来た子供です。
 この歌は27歳の時の作で、27歳にしてこの素晴らしい歌を作り、その後もつらい世の中を妻も子もたくさん引き連れて、60年以上生き抜いたのは立派のひと言ですね。
 
 83. 本土には 人こそ多けれ 移り住む
              島の中にも しがらみはある

                              こそ・けれ・れ・の・にも・し・る  10字 同じ
 50年以上住んだ京都には、人には言えないようなしがらみもたくさんあって、それからの解放も奈留島に来た理由の一つかもしれませんが、島に来てから9年、それはそれでまた奈留島には奈留島のしがらみが出来てくるんですね。
 夏の午後、奈留病院(奈留医療センター)の屋上から空を眺めながら俊成の歌を唱えると、それなりの感情がわき上がってきて、自然とこんな歌が???口から出てきましたが、俊成の年までもう25年は生き抜いていけないでしょうね。

    返事
大雪男さん:3月中に完成は諦めていますが、90首ちょっとぐらいまではいきたいです。
花水木さん:あっそうか!こういうのは駄洒落というか親父ギャグになるんですね。
    私はもっと高尚なものだと勘違いしていました。  まだまだでした!
コメント (2)
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