島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

九州旅行 霊仙寺跡・太宰府

2016-03-20 | 九州本土
 
 佐賀県の中央を走る背振山の中腹には、天台密教系の山岳仏教遺跡が広がっています。
この中の霊仙寺跡(リョウゼンジアト)に行こうと、国道に出来たトンネルから外れて、筑前街道であった旧道の峠道を少し走り、その後車を置いて山道を登りました。
道は寂しく、3人以外誰もいません。
でも、案内看板に書かれた歩行時間より早めに着けて、ほっと一安心。
 
 イイクニヅクリの鎌倉幕府が開かれた前年1191年に、日本臨済宗の開祖である栄西が宋より持ち帰った茶の種をここに植えました。
それから日本でお茶の栽狽ェ始まったそうです。
 「日本最初之茶樹栽白n」のこの碑を見るために登りました。
 
 この碑の前にャcンと建っていた、残った乙護法堂(オトゴホウドウ)がありました。
1852年、江戸時代の建立です。
 
 別れてきた新道のドライブインの向こうに、佐賀平野が広がっていました。
又元の新道に戻ってトンネルを抜けて、最後の目的地福岡県の太宰府に向かいます。
 ここで豆知識の問題;互いの県庁所在地が県境で接しているのは?
1.そうです、一つは昔からある逢坂の関で接してる、
  京都市と滋賀県の大津市。
2.でも今は、この佐賀市もこのトンネルで
  福岡市と接するようになりました。
3.最後、同じく合併で市をどこまでも広げたせいか
  山形市と仙台市も蔵王の山の中で接するようになりました。
 
 太宰府では、やっぱり梅が枝餅を茶店に座って1個だけ食べました。
これも有名な「飛梅」、満開でしたが、梅は満開よりチラホラ咲いてる方が梅らしいですね。
 
 博多駅に戻り、博多名物のラーメンを食べ、最後はやっぱりスウィーツでしめて、娘は京都に、夫婦は五島に帰りましたとさ。

     返事
花水木さん:枯葉の効用に気づいていません。
    年とりました。
大雪男さん:店の食器は有田焼です。
    正直野球熱は島では冷める一方です。
綾部のとしちゃん:昔、高峰三枝子さんの温泉ャXターがありました。
   熟女以上の熟女でも温泉は似あいますよ。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州旅行 有田・波佐見・嬉野

2016-03-18 | 九州本土
 
 有田にも寄りましたが、有田では有名な深川製磁や香蘭社を見て廻っただけで、なにも買わず、有田焼の器でアイスやケーキを食べコーヒーを飲んだだけでした。
 
 続いて以前も行ったことがある波佐見のやきもの公園に寄りました。
実用品が多い波佐見焼を、女性二人は沢山買います。
 
 私一人でその辺をブラブラしていると、何を表わそうとしてるのか判りませんが、こんな陶器?の展示物もありました。
 
 波佐見焼の窯元が集まる中尾山は、商売気がないのか日曜休みの所が多く静かでしたが、世界第2位の登り窯が復元されつつありましたし(この長い坂のような所)、世界一の登り窯跡もここにはあるようです。
 
 嬉野温泉にも泊まりましたが、ここのお湯は美人湯だけあってツルツルしていて、さすがに嬉野!なかなか良い湯です。
 
 次の朝早く露天風呂にも入りましたが、他に人は誰もいず、そしてお湯は素晴らしい!、一度行ってみて下さい。
   だらだらと続けていたら、1ヶ月前の話になっていますが、次は最後の太宰府で終わります。

       返事
花水木さん:2枚目の写真は秋の陽を浴びて茶色く輝く、
    いつもの鬼岳です。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州旅行 平戸3

2016-03-11 | 九州本土
 
 松浦史料博物館は松浦家当主の私邸を利用しているので、城のような石垣を備えた立派な建物です。
玄関へ登っていく石段の手すりが、支柱はコンクリートですが、横棒は窒セったのが嬉しい。
 
 もちろん伊能忠敬さんは平戸にも来ていて、松浦藩にこの九州の地図を贈っていますね。
1813年正月に平戸に入っているので、忠敬の亡くなる5年前67~8歳の頃か。
同じ年の私は単なる平戸観光ですから、やっぱり偉人にはなれそうにないですね。
 
 五島をアップにしてみましたが、同じ年の6月には忠敬一行は奈留島にも来ています。
奈留島の形は、こんなものですかね。
 
 娘はやや軽薄な所が私に似ていて可愛いいですので、もちろん後ろの内鰍熬?トメ[ズを取ってくれました。
思わず目頭が熱くなりましたので、打且ハ真は載せません。
 *内鰍ゥ打鰍ゥ、どっちが正しいのか?
 
 庭に設けられた閑雲亭(カンウンテイ)は明治に建てられたものですが、昭和62年の台風で悼オ、丸1年かけて再建された、武家茶道好みの茶室です。
 
 平戸藩主松浦家29代鎮信(チンシン)によって創始された茶道鎮信流(チンシンリュウ)で一服いただきました。
復元菓子「鳥羽玉(ウバタマ)」もカステラを揚げたような「カスドース」も美味しかったですが、鎮信流はまずお茶を飲んで、それからお菓子を食べて、最後残りのお茶を飲むという、なかなか私好みの作法ですので、茶道やるなら鎮信流が良いですね。

      返事
花水木さん:Aクラスは4位まで表彰され、盾も貰えますが、
    Bクラスはエア表彰だけでした。
福山市さん1・2・私ももう一度、春の日に弁当を持って、
    峠に座ってトンボロを1~2時間見下ろしていたいです。
     上五島ウオークは天気も一つでしたね。
    でもいつも五島に来ていただいて、ありがとうございます。
     福山市さん30歳ごろに、平戸は橋で繋がったのですかね。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州旅行 平戸2

2016-03-05 | 九州本土
 
 「以後よく広まるキリスト教」と受験日本史で憶えた1549年、日本に初めてキリスト教を伝えたスペイン人のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しましたが、次の年にはもうザビエルは平戸を訪れ、その後も3回平戸に来てるようです。
 坂道を登った山の上にある公園に、フランシスコ・ザビエル記念碑が建っていました。
 
 その約50年後、関ケ原の戦いのあった1600年、大分沖に漂着したオランダ船リーフデ号には、東京八重洲口の名前の由来となったヤン・ヨーステンや日本に初めて来たイギリス人であるウイリアム・アダムスも乗っていました。
ャ泣gガル・スペインのカトリック国から日本に来ていたイエズス会宣教師たちは、その頃戦争状態にあったプロテスタント国のオランダやイギリスの乗組員の即刻処刑を要求しましたが、徳川家康によって手厚く保護されたウイリアム・アダムスは武士となり、三浦按針と名乗り、日本人妻との間には子供ももうけています。
 
 アダムスはその後も平戸で働き、1620年55歳で平戸で没しています。
三浦郡(横須賀市)にも墓があるようですが、平戸にある1954年に建立された按針の墓は、その後イギリスに残された奥さんの墓近くの石を持ってきて夫婦塚にされていました。
 
 平戸和蘭商館跡地からは、湾をはさんで平戸城も目の前です。
 まだ娘の産まれていない35年ほど前に、家族4人で平戸に来ていますが、平戸のことはほとんど憶えていません。
唯一憶えていた井元コレクションという私設美術館はまだありましたし、ここで本当の春画をたくさん初めて見た記憶だけは残っていました。
でも今回は娘もいるので入りませんでした。
 
 35年前にはもちろん無かった、白い壁がまぶしい平戸オランダ商館が最近再建されていました。
 
 そしてその中に飾られていた、これがオランダからぐるっと太平洋を廻って大分沖に漂着した、ウイリアム・アダムスなどが乗っていたリーフデ号の模型です。
    もう1回平戸に続く

      返事

花水木さん:嬉野温泉は良かったので、そこの写真を出す予定です。
大雪男さん:ヒラメの刺身・ヒラメのカルパッチョ・ヒラメのパイ包み焼き・
     ヒラメのしゃぶしゃぶ・ヒラメのお茶漬でしたが、それぞれに味が変わって美味しかったですよ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州旅行 平戸1

2016-02-28 | 九州本土
 
 福江つばき空港から飛んできた私は、京都から新幹線の家内と娘に博多駅で落ち合って、レンタカーの日産ノートで、久しぶりの本土旅行。
 先ずは博多駅デパのしゃれたレストランで昼食後出発、佐世保の直線が日本一長いアーケイド商店街をブラブラして、宿の夕食を考えて、佐世保バーガーではなく小さなパフェを食べます。
 
 泊まったのは平戸です。
部屋の窓から、平戸の海峡の早い流れと赤い色の平戸大橋が眺められました。平戸は橋でつながっていますが島です。
 朝には海峡の向こうの本土の山の上から太陽が上りました。
 
 平戸のホテルのヒラメづくしの夕飯は、腹一杯になって美味しかったですが、平戸温泉は素晴らしいとは言い難かったです。
 
 次の朝、平戸と言えばここと言われる観光名所「教会と寺院の見える風景」を見てきました。
この教会の方の平戸ザビエル記念教会は、明るい色に塗られたセメント作りでした。
 
 教会と寺院の見えるこの坂道がまた良かったですし、他にも石塀のオランダ坂とかあって、平戸は小長崎という感じの、坂の有る港町でした。
 
 坂の途中では、オランダ人の小人が何人も迎えてくれますが、これはオランダ船の船首の像のレプリカであることが、平戸オランダ商館で判明しました。
 
 幸橋(サイワイバシ)という石橋のオランダ橋もありました、娘はこの姿にすぐに気が付いて言ってくれたうえに、橋の真ん中まで渡ってくれました。
やや私に似て軽薄な所が可愛い娘です。
                   続く

     返事
花水木さん:花水木さんんも夫には贈りませんかね。
    「北・北ホクホクバーガー」の方が良いような気がします。
和さん:ゴディバは4人からで、左が20人以上からの分。
    小さなゴディバは一人からですが、「父がお世話になりました」と渡されました。
福山市さん:私なりに調整してるつもりですが。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする