島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

光悦寺の紅葉

2024-12-02 | 京都

 11月も押し詰まってきた頃、窓の外に見える朝焼けの西の山も紅葉してきていました。

 最近は食欲も出てきて、少しずつ元気になってきてくれた家内も、車に乗って行けると言うので、半年ぶりくらいの10分ぐらいのドライブで、この写真の山の辺りの鷹峰の光悦寺に紅葉狩りに行きました。

 鷹峰にある日蓮宗の 大虚山 光悦寺 です。

今年は遅くまで楽しめてる紅葉もそろそろ終わりかけ、それでも平日昼ですが、観光客は邪魔に成らない程度にはいました。

この時は、外国人は見かけていません。

 有名な光悦垣と、奥に見えるのは茶室の一つ大虚庵(ダイキョアン)です。

毎年11月にはこの光悦寺で、日本二大茶会の一つ光悦茶会が行われます。

 絵葉書からコピーした光悦垣の秋ですが、やはりこっちの方が綺麗に撮ってますね。

 花札の絵柄になってる鷹峰ですが、暗い写真になりました。

この後雨が少し降ってきました。

 茶室は七つあるのですが、その一つ本阿弥庵の前の紅葉は見頃でした。

もう少し陽の光があったほうが綺麗ですのに。

 奥に見えてるのが本阿弥光悦の墓です。

 青紅葉でも有名な光悦寺門前の参道の春の絵葉書からコピーしました。

 ここだけはさすがに観光客が多かったので、絵葉書の反対方向からの写真だけにしておきました。

 お抹茶とお菓子をいただいて帰りました。

 家内も庭を歩きましたし、お菓子もお抹茶もいただいて、疲れもあまりなく帰れましたので、そろそろ滋賀県にも足を延ばそうかとも考えています。

 と思っていたら、昨日私の油断で、散歩中に家内が私の目の前で転倒、医者に行こうか様子見てる状態です。

またまた後悔先に立たずです。

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大雨後

2024-11-03 | 京都

 自宅の横を流れる用水路である泉川、高野川右岸から取水し、松ヶ崎の古い街道や民家の横を流れてきていますが、昨日は大雨だったので取水口の水門を閉じてたせいか水量は少ないです。

 私の子供達はこの川でザリガニや小魚を獲ったりして育ちましたが、付近で田畑も少なくなってきたので、私の家の前から暗渠になりました。

暗渠に入る手前で、雨の後などはこのように木の葉やごみが溜まります。

 今までこのごみ掃除をしてくれていた、前の家のお爺さんに替わって、私がごみ掃除をしようと、通販で安い安いこの長靴を買って、いざ出陣です。

いつまで出来るか分かりませんが。

 この用水路(泉川)は、下流で下鴨神社の神域を流れ、糺の森の中を流れて賀茂川に注いでます。

したがって、下鴨神社のみたらし祭では、足をつける流れにもなるのですが、子供たちは魚とりの間に、この川の中で小便もしていました。

 ごみは簡単に取り除けて終わりましたが、私は子供の時からちょっとした善行をすると、自分が神様に近い人間になったような気がして、自己満足の極致におちいります。

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時代祭り

2024-10-23 | 京都

昨日10月22日、京都では時代祭りが有りました。

2年前は二人で御所で少し見てたはずですが・・・・。

 今年は仕事から帰る車の中から、ほんの少しだけ見物出来ました。

旗が「和」と読めますので、たぶん和宮降嫁の行列だと思います。

 時代祭り行列が三条京阪を東西に横切るので、川端通りを北上して帰る私はもろに影響を受け、四条通手前から少しずつ動いて30分近く、最後に止まらせられた場所からフロントガラス越しにズームで撮りました。

牛車も通り過ぎていきますが、たぶん江戸時代の行列になると思います。

 待たされても家内がデイサービスから帰るまでには家に帰れましたし、もう今は待たされることに平気になっています。

私が通り過ぎるのを待ってるのが、走り出した車からちらっと見ると織田信長上洛の列の様でした。

 小学校の時は、学校の前の烏丸通に座って、毎年全部観さされていた時代祭り行列ですが、こういう時代祭り見学も一興です。

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送り火2024

2024-08-17 | 京都

 今年も送り火の日が巡ってきました。

前日の15日、暑いなか火床の準備が始まっていました。

 8月16日送り火当日、関東に近づいてる台風の影響か、午前中は風もあって曇り空でしたが、火床の準備は終了。

1年に1日だけ、私の家は送り火の「妙」の特等席になります。

 隣の教習所に集まってきた一般大衆を眼下に見下ろしながら?、部屋の電気も消して点火を待ちますが、今年は上手に点火しました。

 点火が遅れたり、火床の勢いが悪かったりすると、火床を受け持ってた家は怒られるそうですが、今年はどこの家も怒られないでしょうね。

 「妙」以外に我が家の窓からは、遠くにですが「船形」も見えます。

孫Ⅲ-1と、テレビ中継の「船形」と実際の「船形」を見比べています。

 送り火の日が消えたら、秋が始まるはずですが、消えた後テレビをつけたら阪神負けてましたので、阪神の火も消えそうです。

 また家内が食べなくなってきました、この火は消えてくれるなと祈ってます。

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後祭

2024-07-21 | 京都

 祇園祭はもう終わったと思われてる方もいらっしゃると思いますが、後祭(アトマツリ)や他の神事はまだ残ってます。

 昨日土曜日は月2回の家内のデイの日、街道写真の取り残した撮影や麻雀のついでに、7月24日巡行の後祭の山鉾をちょっと見てきました。

 三条通りに何で有るのと思いましたが、2022年から巡行を再開した鷹山で、鉾建ての最中でした。

私の育った家から一番近い山鉾になってたのですね

 今までは一番近かった北観音山も、鉾建ての真っ最中。そろそろ夏休みに入ってたのか、引き初めをしたこともあったような気がします。

 麻雀の時間も迫ってたので、このまだ何も飾り付けられてない浄妙山の前だけ自転車を押して足早に通り抜けました。

麻雀しながら、友達に曳山(ヒキヤマ)と舁山(カキヤマ)があると教えられました。

祇園祭も山鉾の再興などありましたが、私の小学生のころまでは、舁山は今の台車に乗せて転がすのではなく、本当に担いでいました。

浄妙山なども担ぐ方向で進めてもらいたいものですが、この暑さでは担ぎ手が倒れるかも。

 私の自宅の祇園祭は、次男に貰った祇園ちご餅の山鉾の形の箱と、

 毎年貰うこの長刀鉾のちまきだけですが、おかげさまで麻雀は大勝、今日の競馬まで八坂神社の後利益が続くことを祈ってます。

 何故か前回の「豪華?な朝食」に465人ものアクセスが有りました。

不思議ですが、これを励みに頑張ります、ありがとうございました。

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