島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

徳島から倉敷・へ津山

2018-12-30 | 

 今回の旅2日目は、家内の実家によって墓参り。
いつものようにたくさんのお土産を車に積み込んで、瀬戸大橋を渡って本州に戻ります。
    
 昔行った倉敷駅前のチボリ公園、今や廃園となって、アウトレットに様変わりしていますが、駅前のシンボルタワーや、アウトレットの中にも、少しだけチボリ公園の面影が残っています。
     
 倉敷美観地区近くのホテルに泊まって、瀬戸内の魚を食べに近くの居酒屋に。
酔い覚ましに、夜の大原美術館を廻ってホテルに戻りました。
   
   
 3日目朝、まだ観光客も少ない美観地区の屋並と大原美術館。
   
 大原美術館所蔵の中で有名なエル・グレコの「受胎告知」は、もちろん写真撮影禁なので、大塚美術館のエル・グレコ作品を替わりに掲載。
 ここも有名な作品多かったですが、展示量としては丁度良いぐらい、昨日の大塚国際美術館は多すぎました。
中でも、洋画家の児島虎治郎の作品は意外と気に入りましたし、熊谷守一の「陽が死んだ日」が良かったです。
     
 棟方志功の作品もたくさん有りましたが、もちろん撮影は禁止ですので、泊まったホテルの壁画で我慢してください。
     
 帰りは津山に廻って、津山城は石段を登っただけで済ませ、津山駅裏の=津山まなびの鉄道館=へ。
     
 津山駅には扇形機関車庫と転車台が残っていて、記念館になっています。
    
 この転車台はまだ現役で、動きます。
     
 この日は津山線開業120周年のお祭りで、テント屋台で津山ホルモンうどん・そずり鍋・新庄ししメンを食べました。
    
 しかし、帰った我が家にも、埃はかぶっていますが、扇形期間車庫と転車台、それにラッセル車やDD13型デイーゼル機関車もあります。

コメント (3)
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鳴門の大塚国際美術館

2018-12-26 | 
    
 明石海峡大橋・大鳴門橋と渡って、四国鳴門の大塚国際美術館に行きました。
原寸大システイーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画が、陶板で再現されています。
家内はヴァテイカンで本物を見た時に「ここは大塚国際美術館と同じ!」と、変に驚いたそうです。
    
 天井画の中でも有名な、このアダムと神様の絵は、私が高校の時に見たチャールトン・ヘストンの「華麗なる激情」?のタイトルバックにも使われたので、懐かしい思い出があります。
    
 「飛び込む男」古代画にしては、新鮮です。
丁度20年前に出来た大塚国際美術館、その直後に行ってますが、順番どおりに古代ギリシャから回り、子供もいたこともあって、途中疲れて肝心の所は飛ばしてしまったりしてしまいました。
   
 今回はゆっくりと、先ずは美術ボランテイアさんがやってる定時ガイド(2時間)に付いて回りました。
 フェルメールの部屋には「真珠の首飾りの少女」など5作品が並んでいて、思ってたより小さいですが、ここは全部原寸大。
   
 「最後の晩餐」の修復前、もうこれは見れません。
    
 「最後の晩餐」の修復後、両方向かい合って展示されてるので、比較できますが、修復してよかったかどうかは難しいですね。
    
 色んな時代の色んな「最後の晩餐」を比較することも出来ました。
    
 お昼に館内のレストランで食べた、最後の晩餐を元にした1800円の「最後の晩餐」。
色の割にはこの和牛、柔らかくて美味しかったです。
   
   
   
    
   
     
    
       
    
 誰でも一度は観たことがある名画が千点以上、これでもかと言うぐらい陶板で実寸大に再現されていてます。
しかも、触ってみることも出来、写真も撮り放題です。
    
 焼けて無くなってしまった分も含めて、七つのゴッホの「ヒマワリ」が一つの部屋に集まっていましたが、それほど感激はしませんでした。
   
 モネの「大睡蓮」の大きな絵は、丸く屋外に展示されています。
2000年以上、どんな環境に置かれていても色あせしないのが、この陶板名画の特徴ですので、京都の植物園横の半屋外にも陶板名画の庭があります。
    
 モネの池を眺めながら、お茶休憩。
 「セザンヌのアップルパイ バニラアイス添え」とスダチスカッシュを飲みました。
     
 レンブラントの「夜警」はもちろん有りましたが、昔の記憶でレンブラントの自画像ばかり集まった部屋があったはずでしたが、見当たりませんでした。
美術館から出てから、展示作品リストを読んで、一番上の階にあったのを知りました。
残念ですが、又10年後の楽しみに取っておきますか。
    
 5~6時間大塚国際美術館に滞在して、その日は鳴門に泊まりました。
夕食のデザートで、この日は終了。

      返事
チャリンコさん:1・2着は決めていましたので、
    3着は悩んで、外国人騎手の馬を中心に買ったのが、
    吉と出ただけのまぐれです。
花水木さん:JRAのCMは金があるので(私の金も入ってます)、
    豪華な役者をいつも使ってますね。
     心旅は楽しみにしてますが、
    今回の静岡は観る機会があまり取れませんでした。
淡路島でマジックBARをしてた頃もあったさん:コメントありがとうございます。
     H病院の訪問診療は辞めることにしました。
      有馬は池添さまさまですが、そちらのルメールには及びませんよ。
      そちらの仁科明子はすぐわかりました。
     奥田瑛二さんはそっくりですが、高倉健はそれなりですよ。
和さん:歳とって朝は強くなりました。
    4時でも6時でも出発可です。
     男性トイレには、ドレッサーはなかったですが、広く綺麗です。

コメント (1)
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有馬記念

2018-12-24 | 趣味
   
 朝早くから、宝塚北サービスエリアに行きました。
今年の春に、新名神高速道路の高槻から神戸JCTが開通してから初めて通ります。
京都から西に行く時に、いつも混む宝塚辺りの中国道を迂回できる道ですが、確かに混んでいませんでした。
   
 それでもTVでも取り上げられて、混雑してるという宝塚北SA。
朝早いこともあってか、半年以上たって珍しく無くなったのか、宝塚出身の手塚治虫さんのリボンの騎士の周りにも誰もいません。
   
 タカラジェンヌの衣装も誰も見てません。
有名なトイレは綺麗でしたので、いつものように写真をと思いましたが、問題になったのか、撮影禁止の立札がありました。
 わざわざ寄る所でもない感じになっています。
    
 淡路サービスエリアからの明石海峡大橋。
この連休は四国~中国と少し旅行しました。
 その為競馬はお休みですが、せめて有馬記念は買おうと、旅先から苦労して初めて携帯から馬券を少し買いました。
ご存知のように、私の池添君が勝ってくれたので、有馬記念3連単を獲りました!!!
 レイデオロの1着固定だけでなく、ブラストワンピースとの1・2着固定裏表のフォーメイションにして良かったのと、慣れない携帯からで、2度打ちして同じ組み合わせを2回買ったのを、わざわざ一つは消して、儲けが半分になった少し残念さと。
まあそれでも有馬を勝った記憶があまりないので、今年は嬉しいです。
 とりあえず、自慢と嬉しい報告のみで、旅行の話は次回に。

     返事
花水木さん:私は若い時から餡好きですが、
    さすがに「亀山」だけは食べられませんでした。

コメント (3)
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小倉バター

2018-12-19 | ノンジャンル
    
 名古屋のお土産に、婿殿から小倉バターを貰いました。
名古屋の喫茶店の豪華なモーニングサービスのトーストに、よく出てくるあれです。
愛知県東海市にある、小島食品製造株式会社の製品でした。
    
 早速朝のトーストに塗っています。
頭で想像してたより甘くなく、ラベル写真のように、更に少しバターを盛り付けて食べると、より美味しい!
  こういうの、私は大好きです!!

      返事
花水木さん:「22年前からも、ずっと仲良し」ではなく、
    「22年前は、仲良し」で、
     今はなかなか仲良ししてくれません。
     夫達は、いつまでも仲良くしてくれる妻を求めてるのですがね。
      『古より』これも読みが難しかったです。
     「いにしえより」か「ふるきより」かどう読むか迷いました。

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番外 藤原宮子

2018-12-14 | 天皇陵巡り番外
    
 奈良市の北、すなわち平城京から少し北の丘陵地にも、古墳や陵がたくさん並んでいます。
東大寺の北西方向にある鴻ノ池運動公園の駐車場に車を停めて、元明・元正・聖武天皇陵と共に、藤原宮子(フジワラノミヤコ)の墓と言われる佐保山西陵(サホヤマノニシノミササギ)の七ツ石(ナナツイワ)を訪ねました。
 この陵はその横に出来た遊園地、写真の雪岩山で有名だった奈良ドリームランドの開発に伴って、破壊されたようです。
22年前に、そこで遊ぶ40代アベックが娘に写真を撮られていましたが、その頃から寂しくなりかけていた奈良ドリームランドは、12年前に閉園となっていました。
   
 やっと見つけた、この汚れた看板だけの七ツ石、第42代文武天皇の妃である藤原宮子(~754)は藤原不比等の長女ですので、まあ平民です。
   
 どれが七ツ石なのか?全てで七ツ石と言うのか不明ですが、左の変な形の石が墓陵石らしいかもしれません。
 宮子の父である藤原鎌足の次男不比等も、実は天智天皇の御落胤という貴の説もありますし、宮子自身は紀州の海女であり、文武天皇がその美貌を見染てしまい、海女ではちょっとと言うことで、不比等の養女にしてから文武の妃にしたという賤の説もあります。
    
 なんとも寂しい史蹟周辺です。
 宮子の最大の功績は、文武天皇の後継ぎになる男子首皇子(オビトノミコ)(後の聖武天皇)を産んだことです。
 その後藤原一族が娘を天皇に嫁がせ、次の天皇の外戚になるという形を作った、最初の娘が宮子です。
   
 七ツ石の隣にあった黒髪山稲荷神社。
首皇子を産んだ後、宮子さんは引きこもり状態(うつ病?)なってしまったようで、737年50歳頃にやっと天皇になってた我が息子聖武と再会したぐらいです。
その後、夫文武天皇が亡くなってから50年近く経って、70歳ぐらいで亡くなってここに葬られたようです。

   返事
花水木さん:「27歳って儚げな感じですよね」と書かれてますが、
    「儚い」はなかなか読めませんでした。
    人に夢と書いて「はかない」と読むんですね。
    昔墓地の宣伝で、「墓の無い生活は、はかない」というのが有りましたが、
    「はかない」を「墓無い」と書くのならわかりますが、
    「儚い」と書くのは、ちと寂しいですね。
    「儚」と書いて「きぼう」と読みたいと、夢のような青臭いことも考えました。
     私は26歳で結婚したので、27歳は新婚生活中でしたが、
    確かにやや儚げでしたね。

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