久邇宮邦彦王(クニノミヤクニヨシオウ)第1王女の良子女王(ナガコニョオウ)(1903~2000)は、生まれながらの皇族です。
母系島津家に色盲の遺伝があるので、皇太子妃にはふさわしく無いと言われた宮中某重大事件(1921年)を乗り越えて、1922年時の皇太子裕仁親王(ヒロヒト)(後の昭和天皇(1901~1989)(在位1926~1989)と婚約しました。
大正・昭和天皇皇后陵は、この地図のような配置になっています
虎の門事件と言う皇太子暗殺未遂事件も有って、少し予定より遅れましたが1924年結婚、次々と子供をもうけましたが、最初の4人は全て女子(内一人は夭折)でした。
1926年には裕仁親王が即位したので、良子女王も立后しています。
武蔵野東陵(ムサシノノヒガシノミササギ)(東京都八王子市長房町)は他と同じく上円下方の陵です
1933年(昭和5年)、二人の間の第5子として初めての男子、継宮明仁親王(ツグノミヤアキヒト)(後の第125代平成天皇(1933~ )(在位1989~2019)が産まれました。
その後は私もよく知ってる、「火星ちゃん」と呼ばれていた常陸宮正仁親王(ヒタチノミヤマサヒト)と「私の選んだ人を見て下さい」で有名な島津貴子を産んで、計7人の子供に恵まれました。
晩年は「老人特有の症状」と報道された認知症が進行し、満97歳で亡くなり、皇淳皇后(コウジュン)と追号されて、この武蔵野東陵に葬られました。
神話時代を除くと、歴代天皇皇后中二人共最高齢で亡くなっていますが、一番新しい陵に続く参道は、皇族も車で参拝しやすいように広かったです。
満願成就
ありがとうございました