島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

敬老の日

2024-09-15 | ノンジャンル

 明日は敬老の日ですが、先日所のおじさん(私より1歳年上と分かりました)が敬老の日の記念品を持って来てくれました。

75才以上に貰える資格があるようで、私は76歳になりましたが、今回のように町内会から貰うのは初めてです。

 型染めの風呂敷です。

 それなりにしゃれていて、額縁に入れて飾ってもいけそうです。

でも、奈留島では皆さん紅白饅頭を貰っていたので、やっぱり食べて無くなる物の方が嬉しかったです。

 手紙も添えられていて、松ヶ崎小学校児童の手紙も付いていました。(昨年もこれは貰った気がします)

今時の小学生、えいごやタイピングをしてるって、タイピングってパソコンの打ち方ですよね。

 今日は、多分娘が孫と赤飯を持って来てくれるでしょう。

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続・自由時間

2024-09-12 | ノンジャンル

 前回の何もなかった宮川町を走り抜け、五条通手前の豊国神社門前の 甘春堂(カンシュンドウ) に氷の看板を見つけました。

天皇陵巡りで第52代嵯峨天皇陵に行った時も、大覚寺の前の甘春堂に入った記憶がよみがえりました。

 まだ10時前でしたが、秀吉の命により造立された京の大仏が有った方広寺前と言うことで、大仏氷を食べました。

名物大仏餅もついていて1210円、黒糖蜜が少し甘いですが、(たぶん大仏の頭のぶつぶつ螺髪(ラホツ)を表わしてるよう)小豆はさすがに京都老舗和菓子屋さん、絶品でした。

 氷で元気が付いて、更に伏見まで足を延ばしました。

40年以上前にこの近くの病院で当直のバイトをしてました。(他院より当直料は高かったですが、忙しく地獄のような日も有りました)

 その時知って、以後も帰りにお土産で買っていた、この=いなりのいもや 小西いも=、1950(昭和25)年からあったそうで、応対のお姐さん(おばさん)は代替わりした娘さんでした。

 大学芋と焼き芋を買いましたが、近ごろスーパーで売ってる石焼き芋の柔らかすぎて甘すぎる芋に比べて、ここの鳴門金時はしっかりした昔の焼き芋感が有って美味しいですが、ここの芋を好きだった家内はあまり喜んでくれませんでした。

 昼頃になると、さすがに暑くなってきて、フラフラと電動自転車を懸命に漕いで帰りました。

 次の自由時間は2週間後です。

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自由時間

2024-09-09 | ノンジャンル

 月に2回だけ余分に土曜日も家内はデイサービスに行ってくれてるので、その間7時間の自由時間です。

 暑いですが、締め切りも迫ってる?ので頑張って「京都へ、京都から」の取材に、電動自転車で出かけました。

 鴨川沿いになるべく歩道の木陰を利用して南下。

鴨川のところどころに飛び石や、写真では舟橋を模(カタド)ってるのか、石の舟も置いてあります。

橋だけではなく、様々な方法で賀茂川を渡る生活が有ったのでしょうね。

 丸太町橋のたもとに、私は全く知らなかった、梁川星厳(ヤナガワセイガン)(1789~1858)と紅蘭(コウラン)(1804~1879)の寓居跡の碑が有りました。

星厳は美濃大垣出身の勤王詩人で、鴨沂小隠(オウキショウイン)と言う寓居に1840(弘化3)年から10年近く夫婦で住んでいたようです。

それまでは星厳・紅蘭夫婦は連れだって西日本の各地を歴訪してたようで、私たち夫婦もよく二人で西日本を旅しましたが、漢詩も作れずのままでもう旅にも行けず、松ヶ崎の寓居で老々介護をしています。

 鴨川と並行して流れてる鴨川運河に沿って南下するのですが、琵琶湖疏水から鴨川運河を通って伏見へ、そして大阪へと至る船輸送の道は、三条からは暗渠になっていました。

 四条大橋まではすぐに着きました。

四条大橋とその向こうの東華菜館のレトロなビル、前の像は南座もあるので、出雲阿国像です。

 四条からは川端通りを離れて少し東の道を行きましたが、花街の宮川町を通り抜けたかったからです。

中学高校時代には目的もなく宮川町や先斗町を自転車で走っていました。

運が良ければ、シミーズ姿で道路を掃いてるお姐さんが見られるからです。

今回は運が悪いのか?、工事現場のガードマンしか見ませんでした。

 でも、シミーズやシミチョロはどこに行ったのでしょうか?

「母さん、僕のあの懐かしいシミーズ、どうしたんでしょうね?・・・・宮川町でよく見た・・・Mama Do you remenber 🎶」

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東海道1.

2024-09-06 | 京都へ、京都から

 「京都へ、京都から」も回を重ねて50回以上になりました。

今回からは、いよいよ一番有名な街道である 東海道・三条口 を始めます。

 その前に、そもそも京都の中央、起点はどこかと言うと、一応は道路の起点を示す道路元標があるようです。

京都市の道路元標は、烏丸三条南東角に目立たなく、何故か下半分は白っぽく、私の子供の頃から立っていました。

 この道路元標から南へ一筋の六角堂の中に、京都の中心を示すへそ石も有ります。

私が子供の時は、このへそ石は六角堂を入った道の真ん中にあって、(京都の真ん中に立ってるぞと言って)踏めたのですが、最近は約20mほど移動して、綺麗に飾られてるので、もう踏めません。

そもそも江戸時代には、この石は六角通の中央にあったようなので、へそ石を少し移動し、京都の中心も移動さすことに、目くじらを立てることも無いかもしれません。

 烏丸三条の道路元標から東へ、昔は京都の中心になってた時もあって、祇園祭の山鉾巡行も通ていた三条通を400mほど進むと、今回の東海道の起点である三条口の三条大橋に至ります。

 この三条通を中学高校時代は、主に映画館に通うために通りました。

途中にはイノダコーヒーの三条店(高倉健がよくコーヒーを飲んでたそうですが、私は会ってません)や、憧れの君の家も有りました。

京都YMCAにも通ってた時も有りましたが、YMCAの前にはこのバスケットボール日本発祥の碑まで建っていました。100年前にここで試合したのですかね。

  と言うわけで、いよいよ東海道三条口を始めますが、行き詰ってますので、ボチボチやります。

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台風10号

2024-09-02 | ノンジャンル

 10日ほど前までの窓からの景色は夏でしたし、クーラーの効いた部屋からは懐かしい夏の空でしたが、窓を開けるとムーっとした熱気が入る夏でした。

 1週間ほど前からは、激しい嵐のような夕立が毎日のようにあって、夕から夜は少し過ごし良くなってましたし、大型の台風10号が近畿を直撃すると、天気予報は言ってました。

 でもその台風10号は、一向に近畿には来ず、西に寄って九州に上陸し、台風から離れた所にもたくさん雨を降らせましたが、京都はほとんど被害を受けずに過ぎ去りそうです。

 8月最後の夕方、熱帯低気圧に変わった台風10号はまだ近畿にいるのに夕陽が出てました。

 昨年9月1日に信州車山山頂テラスで転倒し恥骨骨折したことから、徐々に進行していた家内のアルツハイマー型認知症が急速に進み、老々介護生活に本格的に入った我々夫婦ですが、丁度1年が経ちました。

悲喜こもごもの新生活ですが、ブログのネタに困ってることは確かです。

まあ得意のボチボチでやっていきます。

 昨夜は雨が降ってましたが、今朝は雲の多い晴。

結構刈ってしまったため、花が無かったタチアオイに、一輪だけ花が付いていました。

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