天照大神の持ち物から生まれた前回0≠Vのホシホミミノミコトは、豊秋津師比売命(トヨアキヅシヒメノミコト)と結婚し、天津日高彦火瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホノニニギノミコト)が産まれていました。
母親の天照大神から、高天原を出て地上に降りる天孫降臨を指示されたホシホミミノミコトは、楽しい結婚生活を続けたかった為かどうか知りませんが、その役目を自分の息子であるニニギノミコトに譲りました。
ここに天照大神の孫にあたるニニギノミコトが、たくさんの神々を引き連れて高天原から降りて来たのが、この高千穂の峰です。
天の逆鉾が山頂に刺さってるこの山にも登りたかったのですが、年寄りの素人が簡単に登れる山頂ではないので、この写真のように下から仰ぎ見ただけで辛抱しました。
ここ霧島神宮に祀られてるのが、天孫降臨したこのニニギノミコト。
これから三代は、ちゃんと死んでいるのでしょうね、お墓である御陵が一応は九州にありますし、これらを神代三陵と言ってます。
そしてその後に、初代天皇の神武天皇が続いているわけです。
鹿児島県川内にある可愛山陵(エノサンリョウ)が、ニニギノミコトの御陵です。
陵印は京都にあるのですが、ここにはちゃんと人が詰めていて、神代三陵の陵印も、親切にも紙も貰えて、押すことが出来ました。
参道を少し上がります。
このニニギノミコトの業績は、古事記にはあまり書いてありませんが、先ずはオオヤマツミノカミ(0≠Sで既出)の娘で、可愛い木之花佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)を見初めました。
父のオオヤマツミノカミはたいそう喜んで、不美人ですが元気な、姉の石長比売(イハナガヒメ)も一緒に差し出しました。
ところが、ニニギノミコトは美人薄命の妹コノハナサクヤヒメだけを貰って、健康ブスの姉イハナガヒメは実家に帰してしまいました。
父のオオヤマツミノカミはこれを嘆いて、「以後天皇家の命は岩のように丈夫ではなく、桜の花のようにはかなくなるでしょう」と、告げたそうです。
奈留時代の2008年9月のブログでも紹介した九州旅行は、この神代三陵中の2陵に行くのが目的でした。
さて、ブスは断わって美人とだけ契ったニニギノミコトは、その契ったコノハナサクヤヒメから子供を身ごもった聞かされると、「1晩で身ごもるなんて、それは私の子ではない」と、えらい卑怯なことを言いだしました。
自分達は立派な神様の祖先を持つ家系であることを示すためにまとめた古事記や日本書紀で、こんな信用できない男が祖先と言ってるのは、どうゆう魂胆なのですかね。
怒ったコノハナサクヤヒメは、「無事に子供が産まれたら、あなたの子ですよ」と言って、産屋を閉めて中から火を付けて、3人の子供を産みました。
このコノハナサクヤヒメは懐かしの奈留島にも流れ着いて、奈留神社の祭神にもなっています(話は合わないですが)。
この8年前の九州旅行で食べた白くまの写真を再掲します。
今は大晦日、「ガキの使い・・」を観ながら、早めのおせちを食べて、これを書いていますが、終わったら除夜の鐘を突きに行きます。
来年もこんな調子でブログを綴っていくつもりです、どうかよろしくお願いいたします。
返事
大雪男さん:楽しい旅を続けられていますね。
私も尾道はまたゆっくり行きたいと思っています。
花水木さん:自分の子の3才の頃はあまり知りませんが、
3才の頃の孫たちには爺孝行をしてもらいましたね。
福山市さん:相変わらずフットワーク軽いですね、負けますよ。