第77代後白河天皇(1127~1192)の第7皇子で、母は平清盛の妻時子の異母妹平滋子(ジシ)(1142~1176)の憲仁親王(ノリヒトシンノウ)は、甥である3歳年下の第79代六条天皇(1164~1176)(在位1165~1168)皇太子に5歳でなり、8歳で即位し第80代高倉天皇(タカクラ)(1161~1181)(在位1168~1180)となりました。
11歳で元服した時に、清盛と時子の娘で6歳年上の従姉弟徳子(トクシ)が入内して皇后となり、6年後には清盛待望の第1皇子言仁親王(トキヒト)(1178~1185)(後の第81代安徳天皇)が産まれました。
この他にも、高倉天皇は7人の妃に子を産ませています。
その内藤原殖子(ショクシ)(1157~1228)には、第2皇子守貞親王(モリサダ)(後の高倉院)と第4皇子尊成親王(タカヒラ)(後の第82代後鳥羽天皇)と、次に続く皇統になる子が産まれています。
清閑寺への石段から撮ってます、一般人はこれ以上は近づけないようです
徳子の侍女の小督局(コゴウノツボネ)(1157~1205?)が徳子より先に身籠ったので、清盛の怒りに触れ追放、その後御陵横の清閑寺で出家し、以後も高倉天皇の菩提を弔い続けた話は有名です。
御陵の右前の石段を登るとその清閑寺、右上山門の無人の箱に100円入れて入ります
高倉天皇は、父後白河と義父清盛の間で苦労し、後白河の幽閉・義兄以仁王の敗死・福原遷都・平氏の東大寺焼き討ちなどの心労もあってか、21歳で亡くなり後清閑寺陵(ノチノセイカンジノミササギ)(東山区清閑寺歌の中山町)に六条天皇と並んで葬られています。
清閑寺境内には、西郷隆盛が密談した茶室跡や、小督局を供養する塔など、苔の庭で静かな良い所です。
「要石」からは、写真のように扇を開いた形に京都市内が一望できました。
返事
花水木さん:この2日ほどは又寒い京都です。
どこにも行けないので、天気は気にならなくなったと言っても、
春は早く来てほしいですね。
(別に春に若返られるわけでもないですが)