島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

帰郷

2016-04-30 | 京都から
 
 4月23日朝、福江島をフェリーで去りました。
前々日の最後の奈留島外来行きが、嵐で船が欠航して行けなかったのが心残りになりました。
 フークの遺骨と一緒に、夫婦二人だけで、子供たちが皆巣立っていった京都の自宅に帰ります。
 
 土曜日朝早くで、富江から港までは30分ほどかかるのに、11人の病院関係者(二人は奈留島から)がテープで見送ってくれました。
 船が出るまでのいつものやや気まずい時間が過ぎて、岸壁から船が離れだすと、やっぱり寂しさが込み上げましたが、若者3人が岸壁を走って見送ってくれました。
 「飛び込め!」と叫びましたが、さすが女性3人、誰も飛び込んではくれませんでした。
 
 天も泣いてくれているのか、雨が降ってきて、霞んでしまった3人の姿と、いつも泊まってる海上保安庁の「ふくえ」も遠くになりました。
      ほんまに島から去ってしまいましたよ!
 地震で行けなくなった熊本から南九州日南を廻る旅はキャンセルし、北九州・山陰を廻って京都に帰り着きました。
 送ったクロネコヤマトの単身パックも到着し、床が少し見える家にはなってきましたし、次男がパソコンを繋いでくれたので、またブログ再開です。
 お気付きかもしれませんが、ブログタイトルも少し変更しました。
役にもためにもならない記事ばかりが、相変わらず続きますが、よろしくお願いたします。

     返事
花水木さん:地元京都のことは少々書きにくいかもしれませんね。
    長崎式揚げ方の鯉のぼり、山口県でも同じような揚げ方で揚がっていました。
    頭の写真、これでも3枚の写真から一番濃い髪の写真を載せてます。
和さん:これはもう京都からの発信ですよ。
大雪男さん:早速友人の店で折り畳み自転車を買う算段を付けました。
   これで遊びます。
鼻鬚50歳さん1:1日だけの嵐で、奈留島に行けなくて残念です。
   奈留島の読者の皆さん、長い間ありがとうございました、この場を借りてお礼を言います。
ともぞうさん:一度聞いた気がしますが、正体不明。
    京都でもマイペースで生きていきます。
綾部のとしちゃんさん:帰りの旅で3㎏増えたかも。
    私もこれから又全身を磨いておきますね。
鼻鬚50歳さん2:私も五島に行けるぐらい競馬で稼ぎたいですよ。
福山市さん:29日初日は1.4万人の来館がありました。
    もう少し待って、平日の空いてる時に行きたいです。
あんふぁん片岡さん:娘の髪も切ってもらっていたのですね。
    三河内が母の里なので、小学生の休みは丹後に入りびったっていました。
 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中休み

2016-04-20 | 富江
 
 当直での富江病院の検食は、さすがに長崎、チャンャ唐ェ出る時もありました。(おまけに、デザートは好物のパイナップル)
奈留病院の時は、キビナの味噌田楽や五島うどんの時もありました。
 
 いよいよ富江病院とも五島列島ともお別れです。
このブログの読者の方にも、読者でない方にも、本当にお世話になりました。
この11年間(ブログを始めて9年程)が、私にとっては本当に楽しくためになった時間でした。
 五島で一番気に入って、よく行った寿し善さんともお別れです。
一人だけで、家内と二人で、家族が来た時も、京都から知人が来てくれた時も、研修医を連れて3人前食べられた時も、皆さんが美味しい美味しいと言ってくれました。
だいいち、その値段に皆がびっくりしていました。
 
 富江で一人の時の野菜不足は、いつもこのソトノマさんの定食で補っていました。
 京都に戻っても、まだ少しだけは働きますし、せっかく五島で始めたこのブログも、無理なく看板を書き換えられるなら、「島の医者になって、た頃もあった」ぐらいに書き換えて続けたいと思っています。
 
 下五島からブログを発信してる「ちょっとコーヒーブレイク」のこふひいやさんのこのスウイーツも食べ納め。
喜珍さんのブログが無くなったのは悲しいですが、他に奈留島地域おこし隊の「なせばなる」、久賀島のことが分かる「久賀島ブログ」、元気すぎる「シフォンのブログ」、最近難しい話になりすぎてるが「江戸っ子でい」で、五島の情報を仕入れていきたいです。
 
 皐月賞も終わって、5月も目の前になり、散歩道にも鯉のぼりが揚がる季節。
長崎式鯉のぼりの揚げ方は、ここでは風車が付いていますが、正式には杉丸太の先端に枝を残した支柱にササの竿を斜めにつけて、これに鯉をつって揚げる方式です。
江戸時代の唐船の旗に習ったもののようで、こうすると風がなくても鯉全体がよく見え、風があると竿も回って鯉の泳ぎ方が綺麗になるという、なかなか優れた方法ですよ。
 
 木曜日は最後の奈留外来、金曜日は最後の富江勤務になりました。
帰りに熊本から南九州の御陵・宮崎・別府と神武東征に沿って京都に帰ろうとしましたが、皆さんの迷惑になるだけの状況ですので、すべてキャンセル。
新たに、長崎と北九州、そして山陰を廻って帰る予定に組み直しました。
 引っ越しの手続きが終わり落ち着いて、PCも京都でうまく動き出すまで、しばし休憩します。
     ありがとうございました

     返事
花水木さん:功績なんてないですが、11年間楽しみました。
    奈留島に行った決断は良かったと思っています。
福山市さん:カムバックは無理でしょうが、遊びにはこれそうです。
    福山市さんのようにフットワーク軽く過ごしたいです。
鼻鬚50歳さん:正体判明しましたね。
    私のうんちくは負ける方法のうんちくなので・・・。
大雪男さん:百人一首覚えなおしていますが、2年間で大分忘れていました。
    好評?ですか?、新しい百人一首物でもまた考えます。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福江島最後の春

2016-04-18 | 富江
 
 島に戻って最後の雑用や仕事や片づけ、その間熊本に大地震が起こって大変です。
九州と言うことで「大丈夫ですか?」の連絡ありましたが、私も五島列島も無事です。
 嵐のような天候の日もありましたが、その間を縫って福江をぶらついています。
魚津ヶ崎の菜の花畑ももう終わりかけ。
 
 病院前の桜はもう葉桜ですが、17日(日)の三井楽の八重桜はまだ満開に近かったです。
 
 大瀬崎の夕陽も仕事の後に見納めに行きました。
晴れていたと言っても、黄砂かPM2.5か単なる雲か、この後完全に隠れてしまいました。
 
 11年前の4月末に奈留島に着いた時、咲き誇っていた道端の野アザミは、まだ少し早いのか、只狩山の上で少し見られたぐらい。
そのかわり、どこもツツジが満開でした。
 
 富江湾越しの鬼岳も、山焼きで黒くなった山肌が緑に変わろうとしていました。
 
 富江の麦畑はまだ青い所が多く、麦秋の頃はもうここにはいません。
 帰りは熊本城や神代三陵の残りひとつ、それに宮崎の古墳などを巡って、別府を通って帰る予定を立てていましたが、それどころではない状態ですので、気の毒ですがあわてて旅館をキャンセルし、北九州の知人や山陰の温泉を巡って帰る予定をたてています。
 あと一回ぐらい富江から発信して、京都でまたPCがつながるまでお休みします。

     返事
和さん:京都でどんなブログを続けるのか模索中です。
     一応続けはしますので、五島以外の内容ですが、読んでいただければ幸いです。
花水木さん:人並みにジーンとしましたが、
    涙ボロボロではありませんでした。
     写真の細かい所まで観ていただき、ありがたき幸せです。
    私も次男も嫁に着物を買ってやる甲斐性はありませんので、実家の母親の着物らしいです。
鼻鬚50歳さん:長男がわざわざメールで、
    18番強いと言ってきたのに、信用せず18番買いませんでした。
     口惜しい!! 長男は単・複と少しの馬連も獲ったそうで、
    「完璧」と自慢の電話あり。
大雪男さん:大雪男さんも丁度地震で大変だったですね。
     山にいる時でなかって良かったと思えば、腹も立ちませんよね。
     私も10日遅れぐらいで発生なら、もろに熊本で被災してたかも。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一時の上洛

2016-04-13 | 京都
 
 島を引きあげる前にもう一度京都に戻りました。
3か月ぶりの京都の家は、トイレの便器が新調されていて、便所のドアを開けて入ると、便器の蓋が自動的に上がり白い光が便器に射し、なにかアリスの不思議の国に引きずり込まれるように、頭から便器の中に吸い込まれる気がしました。
 
 この11年、桜の季節には京都にいなかったので、我が家の庭の2代目桜も大きくなって、こんな満開を見るのは初めてかもしれません。
 7日は京都も嵐でしたが、まだまだ桜はあちこち綺麗でした。
 
 小学校の入学式前に、正門の入学式の看板前で一家そろって一組ずつ記念写真を撮るのが現在の通例になってるのか、8日朝に用事で京都市内を走ってると、どこの小学校前の道路も着飾った親子の長蛇の列。
ふーんと感心していたら、孫が通いだす小学校の前にも列が出来ていて、次男一家が並んでいました。
車を停めて、「おめでとう」と寄っていったら、驚いてはにかんでいましたが、看板前ではなくここで写真を撮って別れました。
 
 今回のメインエベントは娘の結婚式。
娘も初めての経験ですが、私も仏前結婚式列席は初めてです。
娘が産まれてから私たち一家の旅行も晴が多くなりましたが、この日も晴れて良かったです。
 
 披露宴は普通のホテル。
私は特に涙を流すわけでもなく、息子の時と違って挨拶もないので、気楽に美味しい食事を完食、遠くに座る娘も結構食べていました。
このデザートも美味しく皆いただきました。
 結婚式の準備に追われていた家内と一緒に島に戻って、今日から少し仕事と引っ越しの日々です。

      返事
花水木さん:もう10日ほど島で働きます。
鼻鬚50才さん:まだ正体つかめていません。
    桜花賞池添さんは惜しかったですが、まあまあの三連複は獲りました。
和さん:昔は五島が日本の表玄関だったようですね。
大雪男さん:京都では阪神の情報多いですね、
    また阪神ファンに戻りそうです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛骨発掘地

2016-04-05 | 富江
 
 日曜日の雨で病院前の桜も大分やられ、地面に花びらが広がっています。
もう葉桜か、でも満開とも言えます。
 
 福江に行く時に通り、車窓から見る大浜海岸は、満潮の時干潮の時それぞれ違う顔をしてるので楽しく、天気の良い日の海の色は抜群です。
 
 道をはさんで海の反対側にある五島列島唯一の自動車教習所、五島中央病院から4月だけ来てくれている研修医は今ここに通っているので、先日送っていきました。
 
   自動車学校の隣に建つ「日本古代の牛骨発掘地」の碑。
 ここ大浜には弥生時代の2000年~1800年前の遺跡である大浜遺跡があります。
1800年前頃に書かれた中国の史書、かの有名な「魏志倭人伝」によると、当時の日本列島には牛・馬・虎・豹・羊・鵲はいないと記されています。
日本列島に本格的に牛馬が移入されたのは5世紀以後らしいです。
でも、日本列島に牛がいないと書かれた、3世紀のこの大浜の遺跡から牛の歯が出土したそうですので、その頃は日本本土より五島は大陸や朝鮮とのつながりが深かったと推測されています。
 こういうことは五島のプチ自慢になるのでしょうか?なりますよね!

一旦京都に帰ります、また五島に戻りますので一週間ほどお休みします。

     返事
じょんのびかあさんさん:医者でではなく、めざせ日本一周!を目指します。
      又京都でうかがいます。
花水木さん:3回楽に言えましたよ。
    子供とかぶとえび獲ったこと思いだしました。
大雪男さん:メール送信不能でした。
    ありがとうございますが、留守にするのでイカはパスします。
和さん:4月後半は九州本土を巡る予定です。
鼻鬚さん:?? 競馬は勝てる気がしないこの冬でした。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする