島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首77

2014-01-29 | 奈留島百人一首
 
 77. 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
            われても末に 逢はむとぞ思ふ

                                      崇徳院(1119~1164)
 「千早振る~」と同じく上方落語「崇徳院」でも有名なこの歌、
「岩にせき止められた急流が二つに分かれても又その先で合流するように、あなたと今は別れ別れになっても将来は必ずまた会いましょう。」
 第75代崇徳天皇は、表向きは父である第74代鳥羽天皇の子となっていますが、実際は曽祖父第72代白河天皇のご落胤です。
そんなこんなで保元の乱では敗者となり、讃岐に流され世を恨みながら死んだので、菅原道真公に勝るとも劣らない怨霊となっています。
 香川県にある崇徳天皇の白峰陵は、天皇陵巡りでまだ行っていないので、行かなければいけない場所です。
  
 77. 指あてて 腹をさかるる キビナゴの
           出来たらすぐに 食べむとぞ思ふ

                        かるる・の・す・に・むとぞ思ふ  12字 同じ
 0.5㎏で数えると120匹ぐらいのキビナが、漁協で200円で買えます。
本当の名前はキビナゴらしいですが、こちらではキビナと言います。
鹿児島県が有名で、初めて飲んだ焼酎と一緒に30才頃鹿児島市内で食べた記憶があって、鹿児島でしか食べられないと思っていましたが、五島列島では嫌になるほど食べられます。
 
 キビナを刺身に捌くのは、頭をちぎって腹から指で裂いて骨をとって、と全て手で私でも捌けます。
キラキラ光ってきれいな刺身ですが、20匹ほど捌くとチョット嫌になりました。
 自分で作ったキビナの刺身(写真の半分ぐらいですが)を並べて食べた時に、自然にわきあがるように(うそをつけ)浮かんだ?一首です。
 残りはしゃぶしゃぶ風につまんでそのまま鍋にチョット入れ、口で上手に頭と骨を残してツルンと食べる「いりやき」で数をこなしますが、それでも二人で余ります。

     返事
花水木さん:雲・空・月・海など絵を書いた時はべたっと塗ってばかりいた景色が、
      この年になると心にしみますね。
大雪男さん:島には先人がコツコツと石を積み上げて作った防波堤もあります。
    自然を変えるのはせめてそれぐらいにしておいた方が良かったのかもしれませんね。
コメント (4)
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奈留島百人一首76

2014-01-27 | 奈留島百人一首
 
 76. わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの
               雲居にまがふ 沖つ白波

法性寺入道前関白太政大臣(ホッショウジノニュウドウサキノカンパクダジョウダイジン)(1097~1164)
 作者は保元の乱(1156年)の勝者藤原忠通(フジワラノタダミチ)のことで、百人一首の中では一番長い名前になります。
 「大海原に舟を漕ぎ出して遙かかなたを眺めると、白い雲と見違えるばかりに白い波が立っています。」
 
 76. 宮ノ浜 仰ぎて見れば ひさかたの                               綿アメにまがふ 沖の白雲 
               の・は・ぎ・て見れば・ひさかたの・にまがふ・沖・白  20字 同じ
 奈留島ではほぼ唯一と言っていい海水浴場の宮ノ浜、年とったせいか来た頃ほどは、夏にここを訪れて泳ぐことも少なくなりましたが、東屋からボーと海を眺める時はあります。
 海の上には入道雲は出来にくいのか、モクモクと上昇大きくなる入道雲の姿を、奈留島では見ないような気もしますので、かろうじて綿アメに見える雲の姿を詠いました。

    返事
大雪男さん:奈留島でもたった数軒の為の防波堤作りで、
    自然も金も無くなる矛盾を感じる時はあります。
    その家を全部移築したほうが、安くついて自然も壊さず、皆の幸福になるような気がするのは、
     地元人でない私のわがままですかね。
花水木さん:何十年も経っても、何とか魔法が解けないように、
    私は頑張ってるつもりですが、 家内は完全に正気に戻っているようですね。
コメント (2)
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奈留島百人一首75

2014-01-25 | 奈留島百人一首
 
 75. 契りおきし させもが露を 命にて
            あはれ今年の 秋もいぬめり

 藤原基俊は藤原道長のひ孫で、83番作者俊成の先生だったようです。
坊さんになっていた息子光覚の就職試験採用を、本家筋の次の76番作者藤原忠通に頼みに行って快諾され喜んでいたのに、秋の任命にその名はなかったそうです。
 「まかせなさいと言われた恵みの露のようなあなたの約束を、命のように大切に待っていましたが、あああ、今年の秋も望み叶わず空しく過ぎていきます。」
 今年の夏休みこそ恋が生まれると期待して過した若い頃の夏休み、「あはれ今年の夏もいぬめり」の連続でしたね。
 
 75.そっと置きし 少ない賽銭 わずかにて
            あれは今年の 秋の大祭
 
                     おきし・にて・あ・れ・は・今年の・秋  14字 同じ
 「おきし」を「置きし」に、「露」から「少ない」や「わずか」を連想し、「あはれ」を「あ・れ・は」と順序を変え、「秋」を何とか使う為に無理矢理奈留神社の例大祭を持ち込んだだけの、苦しい歌になってしまいました。
 
 外国では、ヨセフはマリアの妊娠を不貞と疑いませんでしたが、日本では、高天原から降臨した天孫ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメと交わってすぐに出産となったので、自分の子かどうか疑った為(まあこれがあたりまえですが)、怒ったコノハナサクヤヒメは産屋に火をつけて第1代神武天皇の祖父を産んだことになっています。
 奈留神社のご祭神はこのコノハナサクヤヒメですが、奈留神社の言い伝えでは、怒った姫は鹿児島の笠沙から小舟に乗り込んで奈留島の鳴神鼻に漂着、この上でお産をしたことになっています。
後産の血が岩に落ちて、今もこの岩に赤い筋として残ったとのことです。(写真右の岩にある赤い筋です)
 その後誤って岩から海に落ちた姫は溺死し、弁天島を7回廻って今の奈留神社の浜に打ち上げられたそうです。(残った子供はどうなったか?日本の歴史は?変わっていないので、何とか又鹿児島の笠沙に帰って、神武天皇の父山幸彦の父親になったのでしょうね)
 奈留神社の例大祭では、大漁旗で飾った漁船に御輿を乗せて鳴神鼻までパレード、祝詞をあげて帰ってきます。(以前はこの舟も故事に倣って弁天島を7回廻っていたそうですが、防波堤が出来て今は廻れません)

    返事
花水木さん:私の小学校も1クラス55人、い組・ろ組・は組の3クラスでした。
コメント (2)
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奈留島百人一首74

2014-01-23 | 奈留島百人一首
 
 74. 憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ
            激しかれとは いのらぬものを                          
 
                         源俊頼朝臣(1055~1129)  
 「私に冷たいあの人の心をそよ風のように吹き寄せてほしいと、初瀬の長谷寺の観音様にお願いしただけで、初瀬からあんなに激しく冷たい風が吹いてくれとは祈らなかったはずですよ。」
 もひとつ訳が難しい、「祈って損した」と言う思いなのですか?  「いつまでも冷たいなあ」と彼女を恨んでいるのですかね?
 源俊頼の父は、三船の才と讃えられた71番作者の大納言経信で、子供には85番作者の俊恵法師がいます。
小倉百人一首に親子で選ばれているのは15組以上ありますが、3代続いて選ばれているのはこの組み合わせだけのようです。
 
 74. 受かりける 人が喜ぶ 奈留高校よ
            激しいとまでは なかったものを 

                     うかりける・人・よ・激し・は・ものを  15字 同じ
 奈留島は小中高一貫教育、でも義務教育ではない高校は、やっぱり選抜試験があります。
それでも定員割れでもあるので、激しい受験戦争もなく受験生全員が合格しているのだと思いますが、奈留島は昔から教育熱心で高校生徒が少ない割には、皆がよい就職やよい専門学校・大学に行けているようです。
 写真は数年前の入学式の奈留高校正門前の朝、門を入って左手すぐに、有名なユーミンの「瞳を閉じて」の歌碑があります。

     返事
大雪男さん:孫の行事への参加は、まだ考えていなっかったですね。
福山市さん:全国男子駅伝、実際を観に行かれていたのですね。
    感受性は男女共同じだと思いますが、どこの妻も年とった夫には厳しいですよ。
花水木さん:犬を飼ってから、他の犬も可愛く見え出したように、
     自分に孫が出来てから、孫と同じぐらいの他人の子も可愛く見え出しましたが、
    わが子の時はそんな風に見れなかったので、これもそれもやっぱり単なる年のスイッチのせいですかね。
コメント (1)
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奈留島百人一首73

2014-01-21 | 奈留島百人一首
 
 73. 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり
          外山のかすみ 立たずもあらなむ
 
                        前中納言匡房(サキノチュウナゴンマサフサ)(1041~1111)
 聞いた話や読んだ知識を早飲み込みして、間違ったまま勝手に自分流に解釈してしまっているという、私には子供の時からの悪い癖があります。
 この「外山のかすみ」の外山は、人の住んでいる里に近い山だそうで、私は今の今まで富山県のかすみだと思い込んでいました。
ここでの「高砂」も地名ではないようですし、「尾の上」も地名ではなく山の峰のことです。
     したがって、
 「遙かかなたの高い山の峰に桜が美しく咲いています。近くの山の春霞よ、どうかたちこめてこの桜を隠したりはしないで下さいね。」
 大江匡房の生まれた大江家は学問の家柄で、23番作者大江千里もそうですし、59番の作者赤染衛門は祖母にあたります。
その中でも匡房は幼少より天才と呼ばれ、学者としては異例の権中納言まで出世、尊敬されたそうです。
 
 73. 文化祭 おのれの子供 歌いにけり
          涙でかすんで 見えずもうれしい

                          おの・の・にけり・かす・ずも  10字 同じ
 私には文化祭や体育祭でヒーローになった記憶はなく、その血統で主役もしてないわが子の姿を観に、わが子の文化祭や体育祭に行った記憶もありませんが、奈留島に来てからは何故か、他人の子の文化祭や体育祭に行くようになりました。
  
 冷静に考えたらくだらない演撃竕フかもしれませんが、何故か涙が出てきますし、若い時は嫌だったこういうくだらない事も、もっともっとやっておけば良かったと後悔しています。
 替え歌自体はちょっとづつ本歌の言葉を借りて、無理矢理に体裁をつけたくだらない歌になりましたが、100歳まで生きたら、こんなくだらん歌を作ってと、涙ぐんで嬉しがる歌に成ったとしておきます。

      返事
hisakajimaさん:奈留島会場、たくさん来てくれたと思ってましたが、
    前日の福江島の会場は1500人で満員だったようです。
大雪男さん:確かに奈留島に来てからのほうが、催し物に気軽に参加していますね。
    TVで長崎公演のいろんなCM見ても、行きたいと思うことがしばしばありますね。
花水木さん:奈留島のさくら保育園は練習厳しい方針なのか、
     和太鼓チームの息もよく合い過ぎていて、恐いぐらいです。
コメント (3)
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