ウガヤフキアエズノミコトとワニのタマヨリヒメとの間には、五瀬命(イツセノミコト)・稲氷命(イナヒノミコト)・御毛沼命(ミケヌノミコト)が産まれ、さして最後4番目に若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)すなわち神日本磐余彦尊(カンヤマトイワレヒコノミコト)=神武天皇が紀元前711年に九州で生誕しました。
歴代天皇で近畿以外で生まれたのは、神武・応神・継体と大正・昭和天皇だけだと思います。
次男は母の国の海原へ、三男は常世の国に行ってしまい、長兄の五瀬命と共に日向の国を治めていた神武天皇は、アヒラヒメを妻としてタギシミミノミコトとキスミミノミコトの二人の子をもうけていました。
日向の地はあまりにも辺境なので東へ進もうと、何故か考えた神武天皇は、妻と別れ兄の五瀬命と息子のタギシミミノミコトを引き連れて東征を開始しました。
そして地図のような道を10年以上かけてたどって、紀元前660年辛酉正月に橿原宮で即位しました。
今の天皇が高齢で退位の話もありますが、計算上は神武天皇は111歳で即位されたことになります。
大和に到った神武天皇は、三輪神社の娘ヒメタタライスケヨリヒメと結婚し三人の息子をもうけけました。
初代神武天皇陵は畝傍山(ウネビヤマ)の麓にあって、その横には宮内庁の畝傍陵墓監区事務所があります。
土日は休みですので、一度失敗した陵印はもう一度行き直してもらいました。
神武天皇は紀元前585年に127歳で崩御しています(古事記では137歳)。
この様に実在も疑わしい天皇ですし、この陵もはたして誰の墓か不明ですが、さすがに初代の陵は綺麗に聡怩熏sき届いていました。
この神武天皇の畝傍山東北陵(ウネビヤマウシトラノミササギ)は15年ほど前に始めた天皇陵巡りでも来ていますが、今回も2回来て特に変わった様子は感じられませんでした。
天皇陵の隣にある橿原神宮、近鉄橿原神宮前駅もありますし、京都では近鉄の奈良方面行急行が橿原神宮行なので皆が知ってる名称です。
出来たのは平安神宮や明治神宮と同じく明治になってからの明治23年4月創建ですので、新しい神社です。
私の長男の息子は、その頃近くだったので、ここでお宮参りと七五三をしています。
いよいよ待ちに待った天皇陵巡りが始まりましたが、思っていたほど自分自身の盛り上がりに欠ける文になってしまいましたね。
返事
花水木さん:私はC型と言う名からからO型に変わったと思ってましたが、
最近のTVで0(ゼロ)型からO型になったと知りました。