島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

110-1後光明天皇

2022-08-28 | 天皇陵巡り

 写真は福井県立美術館内の喫茶店で妻が食べた方のケーキです。

スイーツ写真が一番目に出てきたら、月輪陵(ツキノワノミササギ)ですよ。

 第108代後水尾天皇(1596~1680)(在位1611~1629)と後宮園光子(1602~1656)との間に産まれ、後水尾上皇の第4皇子の当たるのが紹仁親王(ツグヒトシンノウ)です。

 中継ぎである異母姉第109代明正天皇(1623~1696)(在位1629~1643)の譲位を受けて、予定通り11歳で紹仁親王は即位し第110代後光明天皇(1633~1654)(在位1643~1654)となりました。

 在位期間中はずっと父後水尾上皇が院政を敷きましたが、異母姉明正天皇の母徳川和子が義母となっていたので、一応徳川家(3代家光・4代家綱の治世中)は外戚の地位を保ち続けたことになります。

  写真は横に廻って塀越しに除いた月輪陵、さすがにたくさんの石塔が並んでましたが、どれが誰のかは分かりませんでした。

 後光明天皇は学問を愛する明敏な天皇だったようですが、痘瘡により22歳の若さで崩御し、今までの火葬から土葬に変わって月輪陵(東山区今熊野泉山町)に埋葬されました。

子供は典侍庭田秀子(ニワタヒデコ)(?~1685)との間に内親王一人しかいませんでしたので、次期天皇は異母弟になりました。

 後光明天皇は剣術の稽古にも関心を示していたので、江戸幕府が療養中の天皇に医師を派遣し、毒を持ったという説もあるぐらいです。

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109-1明正天皇

2022-08-24 | 天皇陵巡り

 ブログを本格的に始めて15年、投稿間隔が1週間空くことはなかったと思いますが、8月になってからはコロナ鬱なのか投稿する意欲が低下し、濃厚接触者で家に引きこもりが多く、そもそもブログのネタが枯渇してることもあって、久しぶりの投稿になります。

 久しぶりの投稿がまた月輪陵ですので、怒られないよう景気づけにスイーツ写真を入れました。

これに騙されて読んでください。イタリアンのランチのデザートについたババロア?とプリンです。

 「コッホン!」 第108代後水尾天皇(1596~1680)(在位1611~1629)と徳川2代将軍秀忠の娘徳川和子(マサコ)(1607~1678)との間の最初の子であり、幼称は女一宮と呼ばれていた娘は、7歳の時に興子内親王(オキコナイシンノウ)の宣下を受けました。

そして父後水尾天皇が徳川幕府からの制限や圧力、特に1627年の紫衣事件(シエジケン)の判定の不満から突然譲位し、興子内親王が第109代明正天皇(メイショウ)(1623~1696)(在位1629~1643)として即位しました。

 女帝の出現は奈良時代に重祚した第48代称徳天皇(718~770)(在位764~770)以来800年以上ぶりでしたが、7歳の明正天皇は自ら政治にかかわることもなく、15年の在位期間中はずっと父後水尾上皇が院政を敷きました。

  泉涌寺奥の月輪陵正面写真

 徳川将軍や幕閣は、先帝の突然の譲位と院政下の女帝に、いくら外祖父に秀忠が成れたからと言っても、当惑したようです。

 異母弟が11歳に達したので、予定通り明正天皇は譲位し、この弟が第110代後光明天皇(1633~1654)(在位1943~1654)になり、明正自身は生涯独身のまま54年間を仙洞御所で過ごして、74歳で亡くなり月輪陵(ツキノワノミササギ)(東山区今熊野泉山町)に葬られました。

 奈良時代の二人とも女帝である第43代元明天皇・第44代元正天皇親子から一字ずつ取って明正天皇と追号されています。

 月輪陵制札の三番目にその名があります。

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五山送り火

2022-08-16 | 京都

 先週から濃厚接触者になってしまい、お盆は今日で5日間自宅隔離で一歩も家から出ずに、ボーっと高校野球やWOWOWを観る生活です。

今日の京都は五山の送り火です、一昨年は中止、昨年は一つ二つの火床だけの点火でしたが、今年はすべてつくそうです。

昼間は暑かったですが、「妙」の火床の準備は終了。

 ところが夜の7時ごろから、雷は鳴り大雨で風も吹き、京都市内は嵐です。

こんな雨で火は着くのかと思ってたら、8時前には嵐は終わりました。

 NHKのBSと京都TVで送り火中継があって、なんか家の近くも写ってます。

窓から見下ろすと教習所前の道路はこの中継を見るためか、ちょっと前までの大雨にもかかわらずたくさんの人人。

いつもは教習所開放されてるのですが、コロナで開放は無しです。

 雨の為か今年は大文字の点火が遅れ、まず船形が着き始めました。

雨上がりか結構くっきり見える今年です。

 大雨の後でしたが、今年の「妙」は綺麗に揃って燃えてます。

自宅から一歩も出られませんが、室内から充分楽しめました。

 明日・明後日の検査陰性なら仕事も復帰ですし、第7波もやっと峠越えそうですね。

 NHKのBS中継の学生が撮った「妙」、時々野球中継に変えて観ていましたが、阪神は昔はPLにも負けるぐらいでしたが、今の阪神は大阪桐蔭にも打ち負けるでしょうね。 

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52.誉の陣太鼓

2022-08-10 | 菓子たくさん

 新しいgooブログになって初めての「菓子たくさん」、久しぶりですがこれが連載52回目になります。

初めての方は、今までの51回も読んでいただければ幸いです。

 今回は創業昭和24年、熊本の「香梅」の銘菓「誉の陣太鼓」です。

 「香梅」のモットーは、「この世にお菓子がなかったら、笑顔は半分にへるでしょう」と、「551のアイスクリーム、ある時ー・ない時」よりやや控えめなモットーですが、私は納得しています。

 1個200円ぐらい、この銀紙をめくって食べるのは難しいのですが、紙製ナイフも入ってるので、これで適当に切って食べるようです。

 北海道産のほまれの大納言を熊本阿蘇の天然水で炊き上げた小豆餡で、やわらか求肥を包んでいます。

 私は十字に切って食べました。

ちょっと食べにくいですが、美味しい!

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Nクールの2

2022-08-07 | ノンジャンル

 1ヵ月ほど前にNクールの毛布を買ったことは報告してます。

なかなか良かったのですが、なんせ薄いのと寝相の悪さで、寝てる間に体にまとわりつき、私の胴や足を絞めつけて身動きできなくなります。

 そこで今回は少し厚い、写真のNクール掛布団を買ってみましたが、これも片面クールでもう片面はふあっとしてます。

 金持ちの私は安いので、写真の敷布団のNクールも買いました。

これで上下をNクールに囲まれた快適な夏の夜を過ごしています。

と言えたら良いのですが、やはりこの地獄の熱帯夜はクーラーなしでは過ごせません。Nクールはクーラの設定温度を1~2度上げられるぐらいの力しかありませんでした。

 大金持ちの私は、近くの売り場にあった写真のNクール半ズボンも買ってしまい、3点セットで寝ていますが、3点でも1万円でたくさんお釣りがくるくらいなので、貧乏にはなってません。

 結局は暑さに耐えかねて、クーラーもあまり効かない屋根裏部屋で寝るのをやめて、1階の和室で寝ていますので、このほうがNクールも効果的で、より経済的でもあります。

 せっかく沢山買ったNクールの本当の出番は、9月か10月が最適な気がします。

コメント (6)
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