島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道20.

2025-01-31 | 京都へ、京都から

 付近の案内板の地図ですが、北を上にする為に写真で上下を逆にしたため、文字が読みにくくなりましたが、赤線の旧東海道を左(西)から進んできて、今は天智天皇陵参道入り口の現在地辺りにいることになります。

 天智天皇陵参道入り口から少しだけ三条通を行き、JR東海道線の高架を潜り抜けて振り返った写真です。

この信号から左の方へ(写真では右手)曲がり、三条通から再び旧東海道に戻って進みます。(走ってるのは敦賀駅までの特急になり下がったサンダーバードかなあ)

 以前もチーズケーキで紹介した、スイス菓子の店ローヌの特徴あるビルを見ながら、山科駅の方へ少しカーブもある旧東海道を進んで行きます。

 三叉路に 五条別れ道標 が立っていました。

   左八五条橋 ひがしにし六条大佛 今くまきよみず道

   右八三条通

富士山が噴火した(宝永大噴火)1707(宝永4)年に建立、江戸から来た旅人はここで、

 左に行くと現在の五条通の峠を越えて、東本願寺・西本願寺や方広寺の大仏や今熊野や清水寺に行けますよ。右に行くと日ノ岡峠を越えて三条大橋ですよと、この道標から教えられます。

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東海道19.

2025-01-29 | 京都へ、京都から

 山科(江戸側)側から京都へ向かう旧東海道(写真右側の民家の塀に旧東海道の看板)は、出だしは結構な急坂です。

そこから少し登ると、前回紹介した亀の水不動尊に行き当たります。

 地図赤丸の亀の水不動尊から、右の赤丸日時計碑まで進むことになりますし、右下を通ってるのがJR東海道本線です。

右上天智天皇陵をかすめる様に、琵琶湖疏水は作られたのですね。

 京阪電車京津線の線路跡に沿って出来たような公園の道を抜けると、天智天皇陵参道の前で再び現在の東海道の三条通に出てくることになります。

 今の三条通を行ってると、途中に京都市営地下鉄東西線の御陵駅(ミササギエキ)入り口が有るのですが、ここに琵琶湖疏水煉瓦工場跡の碑が立っていました。

疏水工事の頃は、必要な煉瓦製造能力がどこにも無かったので、この辺にその為だけの工場を建て、明治19年7月から明治22年10月までに1370万個の煉瓦を製造したそうです。

碑の前に落ちてるのではなく飾られてるのは、その時の煉瓦でしょうね。

 天智天皇陵参道の前には、日時計がまだ有りました。

私の小学校は山科に郊外学舎を持っていたので、そこへ行くバスはこの京津線の踏切で止まることが多く、バスの窓から見ていたこの日時計はなんかなじみ深いです。

でも、天智天皇は漏刻と言う水時計を作らせたはずなのに、日時計が飾られてると言うのもなんか不思議です。

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東海道18.

2025-01-27 | 京都へ、京都から

 旧東海道も沿って日ノ岡峠道を進んでいくと、南側に光照寺への入り口がありました。

石段を登っても、本堂は閉まっていて誰もいません。

ガラス戸にカメラを近づけて撮影すると、カメラの当たった部分だけは外の反射が抑えられて、内部の本尊阿弥陀如来像らしきものが、カメラ後ろの私の顔に重なって、良いような怪しげなような写真になりました。

 近くにあった大乗寺は、昭和55年にこの地に移ってきたまだ新しいお寺ですが、30年前ぐらい前に寄贈された酔芙蓉の苗100本からさし木で育て、今では1500本にもなったので、酔芙蓉の寺として知られているそうです。

 酔芙蓉;9月から10月に、朝は純白午後からは薄い紅色、夕方から夜には紅色に変わる花の色の為に、酒飲みの顔色に似てると、この名が付いたそうです。

 旧東海道を山科の方へ下って行きます。(実際は山科から登ってきたのですが)

 山科から京都へ向かって坂を上ってると、亀の水不動尊の看板が出てきました。

手前網に向こうには、明見道と刻まれた石碑が有ります。

 少し下へ石段を下りて行った所にある 亀の水不動尊 。

この亀には耳が有るので、亀ではなく伝説の龍の子贔屓(ヒイキ)かも知れません。

 日ノ岡峠の道路改修に尽力した前述の木食正禅上人が、旅人の休息所を作り、井戸を掘って湯茶で旅人を接待した場所だったようです。

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東海道17.

2025-01-24 | 京都へ、京都から

 地図左端の青○、車石の展示してあった広場からすぐに右手、青線に沿って旧東海道が残されていますので、赤破線の現代の東海道三条通から離れて進みます。

小川さんの地図は分かりやすいですね。

 分かれ道から旧東海道に入ると、まだ新しい旧東海道の石柱と案内板(旧東海道日ノ岡の峠道)が立っていました。

 木食正禅上人(モクジキショウゼンショウニン)が1734(享保19)年から1738(元文3)年にかけて、深くえぐられた峠の車道に土砂を入れて段差をなくしたり、峠の頂上を掘り下げて緩やかな勾配にするなど、改善工事をされたようです。

 大きな民家の軒先に、山科牧畜場牛乳搾取所 明治24年認可 京都府宇治郡山科町日岡 などが書かれた看板を見つけました。

こんな所で明治には乳牛が飼われていたのですね。

横の牛乳瓶入れには、母校の京都府立大学病院御用達と書かれていましたので、何となく嬉しかったですが、ここで飼われていた乳牛から搾った牛乳は、実際は東福寺にある京都第1日赤病院に主に納入されていたようです。

 少し家は建っていますが、今でも車のすれ違いがぎりぎりぐらいの旧東海道らしい道が、この辺りは続いています。

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お年玉付き年賀はがき

2025-01-22 | ノンジャンル

 今年のお年玉付き年賀はがきの抽選が終わりました。

確率的には4~5枚の3等当たりがあっても良かったのですが、今年はツキがないのか、中高同級生の友達からのが1枚(65)当たっただけの惨敗です。

島に居る時は2等が当たった経験もあるので、情けなくがっくりです。

 貴重な1枚で切手シートを早速貰ってきました。

昨年なら63円+84円の147円のシートですが、今年は85円+110円で195円分なので、得したような気もしますがそうでもないか。

 毎年の恒例により、早速当たった年賀はがきの送り主に85円のはがきで礼状を書きましたので、実質のもうけは110円ですかね。

 まあでも、貴重な1枚の送り主T君ありがとう!!

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