白河天皇の第1皇子は夭折、第3皇子は堀河天皇に成りました。
今回の覚行法親王(カクギョウホッシンノウ)(1075~1105)は、白河天皇の第2皇子ですが、母親は藤原経平(ツネヒラ)の娘経子(ケイシ・ツネコ)です。
写真は丹波にある九品寺(クホンジ・クヒンジ)(京都府南丹市園部町船阪大門)です
覚行法親王の外祖父になる藤原経平(1014~1091)は、藤原忠平の長男でしたが藤原北家氏長者にはなれなかった実頼(サネヨリ)を祖とする小野宮流(オノノミヤリュウ)の5代目の一員です。
母経子の姉睦子が産んだ苡子(イシ・シゲコ)は、第74代鳥羽天皇の生母になっているので、経平は死んでいましたが天皇の曾祖父にはなれました。
覚行法親王(元は覚念)は8歳で仁和寺に入り、仁和寺第2世門跡の第67代三条天皇第4皇子性信入道親王(ショウシンニュウドウシンノウ)(1005~1085)の下で10歳で出家し、最初の法親王に成り、真言宗仁和寺の第3世門跡となりました。
その後は、810年に空海が創建し、白河天皇が大きくした同じ真言宗の、京都府園部にある九品寺に入寺しています。
福知山方向やゴルフに行く時に私も降りる、京都縦貫自動車道丹波ICを降りて少し走った田舎にある九品寺ですが、昔は大伽藍の大きなお寺だったようですが、今はこの重要文化財の大門の立派さだけが目立ちます。
31歳で亡くなった覚行法親王の墓はここにあって、宮内庁治定陵墓になっているので行ってきましたが、今後もこの程度の沢山の皇子・皇女墓も巡っていたらきりがありません。
行けたら(でも行くのも楽しみです)にしていこうと思っています。
何もない所でしたがさすがに宮内庁、こんな田舎の墓も綺麗に聡怩ウれています。
九品寺が下請けしてるのかもしれませんが。
返事
和さん:富江の恐竜の松?は、
全体が撮れたのにです。
私は寄付ではなく、投資のつもりで勝馬投票券を買っています。
いつか倍返し来るのを祈りながら。