島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

水無月

2024-06-30 | ノンジャンル

 京都では6月30日に水無月を食べるそうですが、本日(30日)に限らず、私はその前から娘の持って来てくれた鶴屋吉信のこの水無月2個半、一気食いの贅沢をしています。

 4月からは、京都生協の宅配弁当を週5回頼んでいます。

これで1回700~800円、ご飯は自分で1合ほど炊いて、二人で分けて食べる夕食ですので、金貯まりそうでしょ。

 この6月28日(金)のメインは ぶりの味噌焼き、さすが京都の生協弁当、小さいですが水無月のデザートも付いていました。

その日は私たちの49回目の結婚記念日でした、ドラマチックな結婚式(中途で中止)でしたが、家内は当時の事を全く覚えていないそうですし、今私と結婚してることさえ定かでないようです。

 Toitenlaさんからの借用で;

   全てを忘れた  家内とと~もに

  老いが  二人を追い越して~行く ♪

一人私だけが水無月を食べました。

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日々変化

2024-06-28 | ノンジャンル

 久しぶりのゆで玉子です。

もう完璧に殻は剥けるようになって、食べるのが惜しいぐらいで、2個とも綺麗なものですが、10個入りの卵パック、写真以上にこんなに大きさにバラつきがあるとは思っていませんでした。

 ただ最近、家内は目玉焼きもゆで玉子も半分ぐらいしか食べてくれないので、朝はスクランブルエッグに方針転換して、挑戦を続けています。

作ってみると、意外にスクランブルエッグは時間もかからず簡単に出来ますね。

最初は溶いた卵に、ミルクを入れたり塩コショウを振ったりしてましたが、もう今はバターを敷いた熱した玉子焼き器に、直接卵を落とし、箸で素早く混ぜて30秒ほどで完成。

 ケチャップを家内は好きなので、こうして出すと卵1個分食べてくれます。

玉子焼き器も洗わずに翌朝そのまま使えますし、目玉焼きやゆで玉子より簡単ですので、家内の心変わりが無ければ、このままスクランブルエッグで押してみます。

 残る卵料理は、玉子焼きかオムレツぐらいですが、これらはやらないでしょうね。

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つゆ その2.

2024-06-26 | ノンジャンル

 チョーコーの「えび つゆ うすいろ 濃縮2倍」です。

家内がつゆには海老を入れると言っていたのと、チョーコーの製品にも引かれて、今回はこのめんつゆを試しました。

 チョーコーは長崎の会社ですし、島でも醤油などでよく聞いていた名前でしたが、長工と書くんですね、今更ながら気づきました。

「うすくち」ではなく、「うすいろ」と書いてあるのが、何となく長崎っぽくて良いですね。

値段は高めですが、2倍に薄めるので、前述の高千穂峡よりも実際は安くなりそうです。

 以前買った少し安めのそうめんは、ちょっとなじめなかったので、

今回は播州そうめん

 🎶そうめん やっぱり 揖保乃糸 ♪ です。

何でもそうかもしれませんが、そうめんは値段高いほうが美味い!!

 ついでに少し揖保乃糸よりは安いですが、島原そうめんも試してみました。

長崎県島原は、島原の乱による人口減少後に移住者をたくさん受け入れたそうですが、そのうち小豆島から移住してきた人々が、小豆島そうめんの作り方を教え広めたようです。

全国的にはあまり売れませんでしたので、他で作った酒を兵庫県灘に持って行って灘の酒として売ったように、島原のそうめんも奈良県に持って行って三輪そうめんとして売っていた時があったと、島の人から聞いたことが有ります。

今は立派なブランド島原そうめん、長崎県は日本で2番目のそうめん生産量を誇っているようです。

 歯ごたえもしっかりあって、美味しいそうめんでした。

長崎びいきですみませんが、チョーコーのつゆにつけて食べる島原そうめん、これは夏の昼ごはんにおすすめです。

 

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大原街道16.

2024-06-23 | 京都へ、京都から

 八瀬の里の地図です。

古くから八瀬で生活する人々八瀬童子と言い、天皇の大礼(タイレイ)・大喪(タイソウ)の時は、その輿(ミコシ)を担ぐ駕輿丁(カヨチョウ)の役を務めていて、これを誇っていたようです。

 大原街道は新しい道(367)とクロスするようにある旧道です。

 八瀬の駅前から少し北上し、大原街道沿いにあるこの石碑の道を入ると𥒎観音寺(カケカンノンジ)が有りました。

「𥒎」は「坂」を意味するようです。

 源義朝(頼朝・義経の父です)が平治の乱で平家に追われて逃げる時に、危機を乗り切れたお礼に、崖に鏃(ヤジリ)で観音菩薩を刻みましたが、その線刻された観音菩薩は周りの岩盤が砕けて立ち入れなくなっています。

その像を祀るように昭和になってできたのがこのお寺です。

 義朝の伝承は他にもあって、この高野川の河原には義朝が馬のまま飛び越えたと言う、義朝駒飛び石が有ると言うので、高野川を見ながら進みましたが、見つかりませんでした。

大原バイパスの為に架けた駒飛橋の下に隠れてしまったようですが、この橋は渡らずに旧道を進みます。

 私の年より若い時に出来た新興宗教らしい九頭竜大社(クズリュウタイシャ)が有りますが、バイパスが出来てからは前を通らなくなりましたが、信者さんはそれなりに多いらしいです。

 本殿を時計回りに9回廻って願をかける「お千度」と言う参拝形式が有るので、私は1回だけ(1分ほど)廻ってきましたが、願かけるのは忘れていました。

 ここからずっと、大原街道(若狭街道)もかなりバイパスやトンネルが出来て、小浜までは近くなってます(車なら家から2時間弱)。

自転車で家内がデイの間に回れるのはここら辺ぐらいまでなので、次回が大原街道の最終回になります。

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大原街道15.

2024-06-19 | 京都へ、京都から

 いよいよ?地図の八瀬に到着。

八瀬の名は、壬申の乱で第40代天武天皇が背に矢を受け、この地のかま風呂に入って完治したと言うところから矢背⇒八瀬の名が付いたそうですが、これは疑問です。

 京福電鉄の八瀬遊園1964(昭和39)年開業は、大型プールが有って、水は冷たかったですが、何回か泳いだことは有ります。

その後1983(昭和58)年にはスポーツバレー京都に変わって、私の息子達もこの水泳教室を利用したことが有りますが、深い潜水用のプールで泳ぐ我が子を見てると、なんか怖かったです。

今そこはエクシブ京都八瀬離宮と言う会員制リゾートホテルになってます。

叡山本線終点の八瀬比叡山口駅です。

綺麗にレトロに改修されていました。

 丁度駅に、ユニークな外観の観光列車「ひえい」が入ってきました。

櫻の頃に取材に行ってます。

 少し歩くと、今度は比叡山頂に行くケーブルカーのケーブル八瀬駅です。

ここからはケーブルカー・ロープウェイと乗り継いで比叡山頂を目指しますが、ケーブルは1925(大正14)年開設で、標高差561ⅿを上るので日本一の標高差を誇るケーブルカーらしいです。

私はこれには乗った記憶はないのですが、3歳の時に家族で比叡山頂で飯盒炊飯をしてる写真が残ってますので、その時に乗ったかもしれません。

 ケーブル八瀬駅からもう少し奥の方に、山際にこんな余地があったんだと思われる所を歩いて行くと、この元々は別荘であった瑠璃光院(ルリコウイン)にたどり着きます。

全然知らない所ですが、最近はインスタ映えすると人気になってる場所で、床や机に反射する青紅葉や紅葉で有名になりました。シーズンの拝観料は2000円だそうです。

 今回は大原街道が賑わっていた頃は全くなかった物ばかりの紹介になりました。

好評?の大原街道もあと2回ぐらいで終わります。

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