島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

大東京2

2016-01-29 | ノンジャンル

浄土宗大本山増上寺にも、浜松町から歩いて行けます。
大門を通って三門まで行く間も、ずっと東京タワーが正面に見えていました。
三門と東京タワー、写真ではよく見かける風景ですが、確かに絵になりますね。
 
 三門前の芝公園にあったペルリ提督の胸像は、出生地のニューメ[ト市から東京都に贈られたもののようですが、教科書などで見慣れたペリー提督の肖像画とは違って、若々しく美男ですね。
 この像の向かいには万延元年(1860年)遺米使節記念碑も建っていましたが、これは近くの虫ナから出発したので解かりますが、なんでペリーの像がここにあるのか判りません。
 
 増上寺本堂と東京タワー、この辺りはどこからでも東京タワーが目に飛び込んでくるので、「東京に来たぞ!」感が一杯です。
 よく有名人が節分に豆まきするニュースを見ますが、それがこの前なんですね。
 
 増上寺境内にある徳川将軍家墓所です。
二代秀忠公から六代家宣公まで飛んで、他に6人の徳川将軍などが眠ってるそうですが、上野の天台宗寛永寺と徳川将軍の菩提寺を争った結果のようですね。
丁度特別公開をしていたのに、夕方の時間切れで入れず残念でしたが、もうちょっと調べておいてから来たら良かったです。
 一応私の主家の墓ですから、閉まってる門の前で丁寧にお辞儀だけしておきました。
 
 増上寺の横のホテルまで、芝丸山古墳はどこかなあとぶらぶら歩きましたが、古墳の丘の上に「伊能忠敬測地遺功表」の立派な石碑が建っていました。
この辺りが伊能忠敬の測量の起点になっていたようなので、ここに建てられたのは判りますが、「遺功表」特に「表」の意味は私には解かりませんでした。
この石碑の日本地図には、ちゃんと五島列島は有りましたが、奈留島までは区別できませんでした。

     返事
花水木さん:そうエアコンですね、クーラーと書きながら、
    暖房機もおかしいし、他に言い方あったはずと思ってましたが、
    エアコンが出てこなかったとは、我ながら情けないです。
     それに甚語楼さんも誤記でした、コメントで気付きました。
    名前を書きそこなったらダメですね、訂正しました。
大雪男さん:柿の木は危ないです。
    私も子供の時に、庭の柿の木から枝ごと落ちたことがあります。
コメント (3)
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五島も雪で大変

2016-01-25 | 富江
 
 五島列島に来て11年、五島に来てから一番寒い冬だと思う日が続いています。
 22日(金)の夜はソトノマの落語会で、また柳家甚語桜さんがわざわざ来てくれました。
20人ほど相手に千円の木戸銭では、いくら釣りが好きで来ると言っても、ちょっと可哀想ですが、人情落語もあってなかなか良かったですよ、ありがたいことです。
 
 23日(土)は椿園の様子を見に行きましたが、まだまだ椿の花は少なく寒く、誰も行ってません。
 
 「雪が積もって出られなくなるので、3日分ほど食料を買いだししておいてください」と放送があったせいか、マーケットの駐車場は一杯でした。
 戸岐漁港で牡蠣とひおうぎ貝を食べて、解体したところの地元のマグロの切り身を買って帰るだけにしました。
 
官舎の庭の雪景色
 その夜から雪が降りだし、24日(日)朝は五島に来て初めての立派な積雪で、嵐の雪国です。
土曜日には合唱祭や読み聞かし会の中止の連絡もあったのに、甘く見ていました。
 奈留島は停電したようですし、官舎の水道管も凍ったようで、湯が出ません。
おまけにクーラも壊れたか、温風が出なくなりました。
 
 隣の看護婦さんの子供は朝6時ころから雪だるま作りも、私たちはどこにも行けず、勿論新聞は来ません。
湯たんぽを入れた布団の中で真田丸を見ながら、8時過ぎには寝てしまいました。

 25日(月)朝、雪は昨日以上に積もっていましたが、鬼岳は風が強いせいか雪が積もっていません。
 遠くから歩いて通勤して来た看護婦さんもいますし、来ないと思っていた患者さんも6人ほど来ましたし、チェーンを持ってる人も結構います。
 午後になって陽がさして、雪は解け始めています。
お湯も出始めましたし、クーラーも直りました。
 2~3日後には春のような気候になるようです。

     返事
大雪男さん:羽田からモノレール以外の交通手段も有るのですね。
商家の嫁さん:東京からどう行けばいいのかまったくわからないお上りさんですよ。
花水木さん:家内と逢う前は、又怒られるかとドキドキしていますよ。

コメント (2)
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大東京1

2016-01-22 | ノンジャンル
 
 先週は久しぶりの東京行き。
福江から福岡まではいつものプロぺラ機ですが、福岡から羽田へは10年以上ぶりの大きなジェット機に乗りました。
B777≠Q00、窓際の座席でしたが、丁度機体の翼の上、JAPANのNぐらいの席でしたので、真下は見えません。 
 
 上空から富士山を見たのは初めてです。
やはり今年は雪が少ないですが、それでも翼の向こうに綺麗に見えてうれしかったです。
 
 羽田空港も初めてですが、浜松町へのモノレールも初めて乗りました。
外が眺められるような配置の座席の一番後ろに陣取って、お上りさん丸出しで景色を眺めます。
 ほんまにコンクリートの1本柱の上をすべって行ってます。
今、通過の快速を待つために待避線に入ったところです。
 
 プラレールのように柱の線路が1本動いて待避線側と切れ、ガシャと本線と繋がったと思ったら、おもちゃのような通過快速が通り過ぎて行きました。
 
 続いて、待避線を出るために、駅構内の本線は切れて、待避線と本線はまた合流しました。
 普通の汽車の線路以上に、モノレールの線路には、しっかりしてもらわないといけないという思いがつのりました。
 
 浜松町JR南口の改札前で、京都からの家内と上手にガシャとランデブー。
京都自宅出発の家内より、富江官舎出発は私の方が1時間早いだけですので、やはり飛行機は便利で速いですね。
 大東京は暖かく上天気、浜松町駅前の東京都立旧芝離宮恩賜庭園を見学。
入り口にまだ残っていた門松は、すっきりと余計な飾り物はついていませんので、これが江戸の粋というものですかね。
 
 入園料は大人150円、65歳以上シニア割引で、私だけは70円でした。
一時は日本一高かったはずの、世界貿易センタービルの影が池に写っていて、本当に良い天気の東京です。

     返事
大雪男さん:確かに時と場所と腹の調子で、美味しさは変化しますが、
    このぜんざいは店で食べても美味しいぐらい美味しかったです。
和さん:TVでもちらっと写ってたので、
    フェイスブックにも、私の姿写っていませんか?
     大宝寺内の言代主神社の「砂打ち」はまだ見ていません。
花水木さん:昨年綱が切れたのは、別の吉田の綱引きです。
コメント (3)
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大宝の綱引き

2016-01-18 | 富江
 
 富江から車で30分ほど海岸に沿って山道を走ると大宝。
唐から帰る途中に難破した空海がここに流れ着いて、その地にあった大宝寺に滞在していたと言われています。
この為に、この大宝寺は西の高野山(なんか他所にもあった気がします)とも呼ばれています。
 
 1月11日(日)、三連休最後は大宝の綱引きに参加するため夕方出発。
 私の家は日蓮宗も、家内の実家は徳島なので真言宗、聞きなれた真言宗の般若心経を皆で朗詠後、本堂の前に置かれた大綱を、皆で担いで寺の前の大宝の浜に持って行きました。
 
 綱は昨年引いた吉田の綱引きの綱より細いですが、長さは長かったです。
 男性軍と女性軍に別れて引くそうですが、なりゆきから女性軍に加わりました。
けっこう熱心に引いたので、途中しんどくなって吐きそうになりましたし、それを7回も続けるのです。
結局4勝3敗で女性軍の勝(私も老婆2人分ぐらいは役に立ったと自負しています)、これで今年は豊漁らしいです。
 
 やっぱりここでも最後は餅まきと思ったら、ここ大宝はお菓子まきでした。
その後ぜんざいがふるまわれましたが、ちゃんと焼いた餅が3個も入って、小豆も充分の、奈留島でふるまわれるぜんざいにも負けない美味しいぜんざいでした。
 玉之浦にはあまり知ってる人はいませんが、奈留島に赴任していて今は玉之浦の中学校の先生二人が、声をかけてくれました。
 三連休ものんびり終了、五島もやっと冬らしく寒くなってきました。

     返事
大雪男さん:そうです。堂崎の左手の橋です。
    よほど出口に近い所に座らないと、奥では退席しにくそうでした。
花水木さん:ふくらはぎのことです、やっと痛みとれています。
コメント (3)
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戸岐神社例祭

2016-01-14 | 富江
 
 先週の3連休、私の日当直は東京からの研修医が変わってくれたのでのんびりできました。
 福江島の北東にある赤い大きな戸岐大橋、その橋のたもとにある戸岐神社の例祭を1月10日(日)は見学。
 
 戸岐神社は立派な社殿を持っていますが、歴史は意外と浅く、元禄元年御鎮座の石碑があったので、300年ちょっとぐらい。
 
 拝殿の奥の神様が鎮座する本殿は、高い石垣のなかなか立派な建物です。
 10時前から三々五々人が集まってきました。
いろんな衣装の子供たちも、次々と拝殿の中に入っていきます。
 
 神主さんが奥の本殿の扉を開き、次々と貢物が中に運び込まれ、お神楽が始まりました。
 
 私のような他人でもこの拝殿に上がれて、間近に神楽などの式典が見られるようですが、一度入ると途中退席しにくそうなので、外から見るだけにとどめました。
それは正解!なんと1時間半近くずっと神楽が続きました。
 
 一ヶ所にじっととどまって見学することが出来ない私は、長い神楽の間に周りをブラブラ散策。
すぐ近くに、恵比寿神社と山の上の方へ続く長く急な石段を見つけました。
 
 結構急で1段が高く、途中でもうやめようと何回も思いましたが、最後の10段は這うようにしてなんとか登りきりましたが、頂上にあったのはこの石の祠のみ。
木々が生い茂っていて、眺めが良いかなと期待していた景色は、なにも見えませんでした。
 
 下りは足の痛みもあって、ゆっくりゆっくり横になって降りざるをえないぐらい急で、浮「ぐらい。
降りながら数えてみると、石段は意外と少なく286段、でも今も両腓腹部が張っています。
 その後、中年男女が上がっていったので、まず途中で帰ってくる方に賭けて待っていましたが、降りて来たおばさんに尋ねたら、「なんとか上がりました」との返事、その日のシンザン記念も負けましたが、階段賭けも負けました。
 
 神楽がようやく終わって、これから無形民俗文化財の巡行が始まると待っていましたが、こんな翁・媼や神輿の巡行は今年はなしということで、残念ながら終了でした。

    返事

花水木さん:ランドセルは各自予約して、もう買ったそうです。
     私の手、男としては手袋サイズも小さい方ですが、この写真では異常に腫れていますね、
    なんか病的に見えてきましたよ。
コメント (2)
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