浄土宗大本山増上寺にも、浜松町から歩いて行けます。
大門を通って三門まで行く間も、ずっと東京タワーが正面に見えていました。
三門と東京タワー、写真ではよく見かける風景ですが、確かに絵になりますね。
三門前の芝公園にあったペルリ提督の胸像は、出生地のニューメ[ト市から東京都に贈られたもののようですが、教科書などで見慣れたペリー提督の肖像画とは違って、若々しく美男ですね。
この像の向かいには万延元年(1860年)遺米使節記念碑も建っていましたが、これは近くの虫ナから出発したので解かりますが、なんでペリーの像がここにあるのか判りません。
増上寺本堂と東京タワー、この辺りはどこからでも東京タワーが目に飛び込んでくるので、「東京に来たぞ!」感が一杯です。
よく有名人が節分に豆まきするニュースを見ますが、それがこの前なんですね。
増上寺境内にある徳川将軍家墓所です。
二代秀忠公から六代家宣公まで飛んで、他に6人の徳川将軍などが眠ってるそうですが、上野の天台宗寛永寺と徳川将軍の菩提寺を争った結果のようですね。
丁度特別公開をしていたのに、夕方の時間切れで入れず残念でしたが、もうちょっと調べておいてから来たら良かったです。
一応私の主家の墓ですから、閉まってる門の前で丁寧にお辞儀だけしておきました。
増上寺の横のホテルまで、芝丸山古墳はどこかなあとぶらぶら歩きましたが、古墳の丘の上に「伊能忠敬測地遺功表」の立派な石碑が建っていました。
この辺りが伊能忠敬の測量の起点になっていたようなので、ここに建てられたのは判りますが、「遺功表」特に「表」の意味は私には解かりませんでした。
この石碑の日本地図には、ちゃんと五島列島は有りましたが、奈留島までは区別できませんでした。
返事
花水木さん:そうエアコンですね、クーラーと書きながら、
暖房機もおかしいし、他に言い方あったはずと思ってましたが、
エアコンが出てこなかったとは、我ながら情けないです。
それに甚語楼さんも誤記でした、コメントで気付きました。
名前を書きそこなったらダメですね、訂正しました。
大雪男さん:柿の木は危ないです。
私も子供の時に、庭の柿の木から枝ごと落ちたことがあります。