島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道11.

2024-11-29 | 京都へ、京都から

 又小川君の地図を借用してます(わかりやすいですね)。

 神宮道の南は粟田口と呼ばれていて、昔は刑場があったようですし、ここから東海道(青線)はゆっくり右にカーブしていきますが、本来の東海道は地図の粟田口の粟から都ホテルまでの薄緑の道だったようです。

 写真は三条通から南に入る山裾にある粟田神社の参道入り口です。

久しぶりに見ますが(この奥にママ友の大きな家が有って、よく家族で押しかけてました)、えらく綺麗に整備されてました。

道中の安全を祈って、東海道を行き来する旅人たちの信仰もあつかったようです。

 日ノ岡峠に向かう道は緩やかな登りになりましたが、右手山側にこの都ホテルが有ります。

私達世代はこの都ホテルでの結婚式が一番だったようですが、特にここの葵の間での披露宴はステイタスシンボルだった気がします。

近鉄系のホテルだったんですが、今は外資系のウエスティン都ホテル京都です。

 道はゆっくりカーブして蹴上(ケアゲ)です。

この蹴上浄水場は1914(明治45)年に日本初の急速濾過式浄水場として給水を開始していますが、ツツジの名所でも有ります。

 小学生の頃はバスでここを通過する時は、全員が自分の髪の毛をつまみ上げて、「けあげ」の大合唱でした。

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東海道10.

2024-11-25 | 京都へ、京都から

 やっと白川橋を渡りましたが、小さくても川、江戸から京都へ来た人も、これを渡らずに南の方、清水寺の方に向かった人もいたのでしょうね。

 最近知り合いがブログで、この白川の源流から鴨川流入までを歩いて報告してくれてましたが、すごいですね!

 橋の南東角には、京都でで一番古い道標、1678(延宝6)年建立の三条白川橋道標が、350年間程立ち続けています。

  是よりひだり

   ちおんゐんぎおんきよ水みち(知恩院祇園清水道)

 この橋の近くには、坂本龍馬お龍「結婚式場」跡の新しい碑が建っていました。

一般には、寺田屋事件の後で、西郷隆盛(あるいは中岡慎太郎)の媒酌で二人は夫婦になったと言われてますが、明治になってお龍さんから直接話を聞くと、この辺りで二人は内々で結婚式を挙げたようです。

 京都は条例で、歴史的記念碑を私有地に立てるのは問題ないらしいと聞いていますが、これはちょっとやり過ぎ感ありますね。

 坂本龍馬とお龍さんは人気が有るので、鹿児島旅行の時も新婚の坂本夫婦が入った温泉が有りましたが、最近探索した高瀬川の傍の木屋町の雑居ビルの前にも、

  坂本龍馬妻

    お龍 独身時代 寓居跡

と、なんかどうでもよいような碑も有りましたよ。

 もう少し進むと、東海道(三条通)は神宮道に至ります。

神宮道の向こうに平安神宮の赤い大鳥居も見えてきました、50年前に平安神宮で内々にですが結婚式を挙げかけた私達ですので、200年後に碑が立っていたら、ブログで紹介お願いします。

 小学校の高学年頃は、日曜日には友達と歩いて東山や大文字を探索冒険してましたが、校区外に出る高揚感もあって興奮していたのか、この付近の果物屋さんに右書きで「ナナバ」とバナナの絵が付いた看板を見つけ、皆でナナバ・ナナバと連呼しながら歩いていたことを思い出しましたが、その果物屋さんらしきものはもう有りませんでした。

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も一度窓から

2024-11-22 | ノンジャンル

 ようやく京都の紅葉も見頃に成ってるようですね。

東福寺にも清水寺にも行けませんが、庭の「妙」の字の中も紅葉してました。今更ながらこんなに紅葉あったっけと思っています。

 横の山も鈍く紅葉が始まっています。

 大阪の中之島のホテルに泊まって、オーストラリア戦のラグビー観戦したり、美術館などを二人で観て回ったりしたのは、わずか2年前の今頃でした。

はるか昔のような気がしてますが、今はこの建物の向こうの宝ヶ池球技場の試合さえ、家内を置いて観戦は難しい状況です。

 2年前は2年前の楽しみ方、今は今の楽しみ方も有るので、やや寂しいですが、それなりに楽しんで生きたいと思っていますし、そうしてしまう楽天性は有ります。

 庭の運動場のいつものベンチも、紅葉の中に見え隠れしています。

雪が積もるのも、もうすぐですね。

    め~ぐる めぐる季節の中で  ♬

     わあたあしいは 何でも楽しみにするだろう

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窓から

2024-11-20 | ノンジャンル

 あまり外出することが無くなった私にとって、窓から見る西の空は数少ない世間です。

 昔バート・ランカスターの「終身犯?」と言う映画が有りましたが、(バート・ランカスターと言っても通じるのは年寄りだけですかね、最近亡くなったアランドロンでさえ知らない人がいて、私はアランドロンに似てたと言っても、うなずく人もいない世の中です)その映画では、狭い鉄格子のはまった窓から見える空だけが世間だったのですが、その頃は退屈な映画でしたが、今なら少しはその感じが理解できます、と言えば大袈裟ですね。

 朝7時になって、少し空が明るくなって、

   月は西に 日は東に の状態でした。

 昨日の朝から、いよいよ本格的に寒くなってきた京都ですが、デイサービスの車を待ってる玄関先で、虹をみつけました。

なんか民家の屋根から発生した虹の感じですが、見慣れた景色もちょっと違うアクセントが付いただけで嬉しくなります。

 狭い行動範囲の中で、何とかブログネタをみつけようと思っていますが、面白みに欠けるのは辛抱してください。

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東海道9.

2024-11-18 | 京都へ、京都から

 又小川さんの地図からの借用ですが、中央青線が東海道(三条通)で、縦に流れてる細い川が白川です。

 民家の玄関横に木柵で囲まれた古い三条通の道標が有りました。(地図の三条通道標)

いつの頃の物なのか判りません。

 ここで東海道は地図にあったこの白川を跨ぎますが、白川は志賀越え道の方から流れてきて(以前紹介した志賀山越え9.で、北白川天神宮の前に架かる萬生橋の下を流れていましたね)、明治になって出来た疏水に一旦は南禅寺舟溜辺りで合流し、新宮道辺りで疏水から別れて元の経路を流れているようですので、写真の白川の水は、東山から流れてくる水ではなく、ほぼほぼ琵琶湖疏水の水すなわち琵琶湖の水ですね。

 ここは京都市営地下鉄東西線東山駅の出口辺りですので、岡崎の美術館などへ行く時はここで降りて、白川橋手前を左折して行ってました。

 左折してすぐにあるこの店は、京都南座に接して店を構える1819(文政21)年創業の「祇園饅頭」の工場直営店ですので、この民家の奥で作ってる所が少し見えます。

いつもここでおはぎや赤飯を買って帰るのが、芸術を楽しんだ後のもっと大きな楽しみでした。

私がもし商売するなら理想は、こういう小さな時流に流されない堅実な商売をするお饅頭屋さんでしたが、最近はこういう店にも人が並ぶようになっています。

 土曜日朝9時ころ自転車で出町を通ったら、ふたばの豆餅を買う行列が、早くも河原町通りの向かい側まで出来ていました。

日本人も並ぶの好きなんですね、なんかニュースで見ていた戦中戦後の配給に並ぶ行列を思い出すので、私は長い行列に並ぶのは好きではありませんが、京都は町中行列だらけになってます。

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