島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

54-3仁明天皇女御贈皇太后沢子

2020-01-29 | 天皇陵巡り
 
 藤原沢子(フジワラノタクシ・サワコ)(~839)は藤原北家の端の方に位置していた父藤原総継(フサツグ)と母藤原数子(カズコ)との間に産まれて、正良親王(マサラシンノウ)の妃になりました。
 
 833年正良親王が第54代仁明天皇として即位した時には、もう三人の息子の母親になっていた沢子は、即位と共に女御になりましたが、その6年後に4番目の子の内親王を産んだ後に、亡くなっています。
 
 その後、2番目の息子時康親王(トキヤスシンノウ)が884年に54歳で、成れるはずもなかったのに第58代光孝天皇と成ったので(時の最高権力者藤原基経の母と沢子は同母姉妹であった)、沢子は皇太后を追贈され、墓も中尾陵(ナカオノミササギ)(東山区今熊野)と御陵に格上げされました。
 
 この中尾陵、京都東山南の山麓の住宅街の中にあり、陵の後方は2枚目の写真の様に植木の垣根なのですが、何故か回れない正面はこんな土塀で、一般人は右側方からしか参拝出来ないようになっていました。
(今までも何陵かはこんなでしたが)

      返事
商家の嫁さんさん:横のホースはウオッシュレットかビデ。
    と言うことは、前も後ろもこれでするということですか?
    そもそも便器と体の間にこのホースを入れる余地がないのでは?
    又、水が顔や服にかかる恐れはないのですか?

コメント (2)
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54-2仁明天皇女御尊称太皇太后順子

2020-01-26 | 天皇陵巡り
 
 藤原冬嗣(~826)と藤原美都子(ミツコ)との間には、長良(ナガラ)・良房(ヨシフサ)(804~872)・順子・良相(ヨシミ)と、そうそうたる子供が産まれています。
 この藤原順子(フジワラノノブコ)(809~871)が、後々に仁明天皇となる正良親王との間に道康親王(ミチヤス)(827~858)(後の文徳天皇)を産んだのは、父冬嗣が亡くなって1年後でした。
 
 夫が第54代仁明天皇となり、子が兄たちの強力な後押しで第55代文徳天皇と、孫が第56代清和天皇となったので、女御→皇太夫人→皇太后→太皇太后となりました。
 
 順子は情け深く容姿端麗だったと言われ、夫や息子にも先立たれていますので、孫の清和天皇や姪でもあり嫁でもある藤原明子を助け、五条后と呼ばれていましたが、最後は出家して、この後山階陵(ノチノヤマシナノミササギ)(山科区御陵沢ノ川町)に葬られています。
 
 この御陵、山科駅から北へ少し行かねばならない山の奥にありました。
近くに天智天皇陵は有りますが、藤原家ゆかりの皇后が何故こんな所に御陵を持つのか不思議ですが、近くにある安祥寺(アンショウジ)が順子の厚い庇護を受けていたためかもしれません。
またこの近くに古代製鉄のたたら遺跡もあることを知りましたが、これとは関係ないでしょうね。

     返事
花水木さん:すみません!
    地味な面白みのない天皇陵巡りですが、ここまで来て止めるわけにはいかないので、
    (また島に赴任でもしたら別ですが)(まずありませんが)続けます。
     今回の順子さんは、それ程悪い人ではないですが、
    短くはまとめておきました。
    

コメント (1)
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54-1仁明天皇

2020-01-22 | 天皇陵巡り
 
 伏見区の山の上にある老人ホームの午前中だけの仕事を終えて、最寄りのJR駅まで歩いて降りてくるのですが、この日はそのままもう少し北へ歩いて、仁明天皇陵の石柱まで行きつきました。
石柱の横面には、ここから東にある宇多天皇皇后の御陵の文字も刻まれていました。
 
 かなり民家に依って浸食されたような、仁明天皇陵に行きつきました。
第52代嵯峨天皇と橘嘉智子との間に産まれた第1皇子正良親王(マサラシンノウ)(後に第53代淳和天皇の皇后になった正子内親王とは双子だったらしい)は、14歳で淳和天皇の皇太子になり、淳和天皇の譲位により即位して第54代仁明天皇(ニンミョウ)(810~850)(在位833~850)となりました。
 
 奥は手水鉢もあって、予想より広々としていました。
藤原冬嗣の長女で良房の妹でもある藤原順子(ジュンシ・ノブコ)を皇后として、道康親王(ミチヤス)(後の第55代文徳天皇)をもうけ、藤原総継(フサツグ)の娘藤原沢子(タクシ・サワコ)を妃として、時康親王(トキヤス)(後の第58代光孝天皇)をもうけています。
 
 奥の左に銀色に光ってるのは名神高速道路の防音壁です。
ここは55年ほど前に高速道路としては日本で最初に開通した所なのですが、この陵は避けて開通させたのでしょうね。
 仁明天皇の皇太子は、最初は前回ブログの淳和天皇の息子(母は正子内親王)の恒貞親王で、平穏に過ぎていたのですが、淳和・嵯峨上皇が次々と亡くなると、とうとう承和の変(842年)が起こりました。
 
 光仁・桓武・平城・嵯峨・淳和・仁明の時代、政権の中枢にずっとい続けてた藤原氏ですが、意外とその間の歴代天皇の母親は、藤原氏の娘ではありませんでした。
藤原冬嗣の長女で良房の妹順子が、この道康親王を産んだので、なんとしても道康親王を次期天皇にしたかった藤原良房と橘嘉智子が、これも皇太子恒貞親王を次期天皇にしたかった伴健岑(トモノコワミネ)・橘逸勢(タチバナノハヤナリ)や、同じ藤原氏ではあるが競争相手であった藤原愛発(チカナリ)・藤原吉野(ヨシノ)をも含めて、謀反を企てたとして処罰したのが承和の変です。
 
 これによって、以後は良房の一人勝ち、藤原北家だけと嵯峨源氏が急速に台頭することに成りました。
 仁明天皇は子供の時から病弱であったようで、850年病により息子道康親王に譲位し、その2日後には40歳で亡くなり、この深草陵(フカクサノミササギ)(伏見区深草)に葬られました。


       返事
大雪男さん:日本でも紙が流せないトイレがあることを
    初めて知りました、そうか山ですか。
花水木さん:帰って来るのが決まってる旅行よりも、
    帰るかどうかわからない放浪が夢です。
Toi tenlabeeさん:結局のところ、
    日本のトイレットペーパーは上等だということですね。
     だけど、大便器横のホースが何かは誰も教えてくれませんよ。

コメント (1)
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ベトナム・カンボジアの旅6感想

2020-01-19 | 
 
 奈留島へ行く前に外国旅行してから、15年ぶりくらいの外国旅行。
青春時代がベトナム戦争の真っ只中だった私にとって、ベトナムやカンボジアに行けるのは夢の様でもあり、少々罪悪感も覚えるような感じでもあります。
 
 ベトナムとカンボジアはやっぱりお隣同士の国、仲が良いとは言えないようです。
まあ隣人と付き合うのはどこもそうなんでしょうが、数年前まで戦争をしていたんですもの、仕方がないですよね。
 ほんのちょっとの地域と人しか、両国をみてはいませんが、ベトナム人の方がいらちですが努力はする感じ、さすがにアメリカと戦って負けなかったはずです。
カンボジア人の方はボーッと生きてる感じですが、よく言えばのんびりと人生を楽しんでるとも言えます。
 食事はカンボジアの方が、私の口には合いました。
両国ともにマンゴージュースは美味しく安かったです。
 
 日本からベトナムには直行便で行けますが、カンボジアにはベトナムかタイからしか入れないそうです。
この辺にも両国の今の力関係があるのかもしれません。
 
 トイレはどちらも同じような感じ、小便器が高い位置に取り付けられてる感じがしました。
 
 私がかまえた時の微妙な印象ですが、どこで小便をしても、私がもう少し背が低いか、もう少し一物が大きかったら、便器に大事な部分が当たってると思います。
 
 ちょっと奇妙な配置の小便器もあって、どちらでしようか迷いました。
ベトナム人もカンボジア人もそれほど背の高い人はいませんし、私よりも低いぐらいですのに、小便器が高い位置なのはなぜでしょう、設置業者のマニュアルがそうなってたのか?
まあ、周囲に飛び散る割合は少なくなるのか、床が綺麗ではありました。
 
 ウオッシュレット付きの大便器は少なかったです。
私はホテルでしか使用しなかったですが、家内が言うには「使用済みの紙は流さずに横の容器に入れる」そうです。
写真の大便器は水洗ですが、横のホース状のがウオッシュレットなのでしょうか?
手に取ってはみましたが、なんか顔にかかりそうなので使用しませんでした。
使用方法を教えていただければ、次の旅行?で助かりますが。
 
 今回の自宅から関空までの移動は、元旦の高速の混雑を心配して「はるか」にしました。
早割で二人で往復1万円弱なので、安くはつき、しかも快適でした。
 バトミントンの桃田選手がマレーシアで交通事故に遭ってますが、ベトナム・カンボジア共に交通事故が起こらないのが不思議ぐらいなので、旅行に行く時は皆さんも気をつけて下さい。

      返事
花水木さん:日本美人はおちょぼ口だったはずなのに、
    最近の女優さんの口は広くなってますね。
toitenlabeeさん:料理の撮影は忘れてばかりでしたので。

コメント (3)
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ベトナム・カンボジアの旅5

2020-01-16 | 
 
 5日目朝はゆっくりと言っても8時30分出発で、アンコール・トム(大きな町の意味)の観光です。
アンコール・ワットの横を通って、この南大門をくぐってアンコール・トムに入りました。
 アンコール・トムの周りは12Kmに及ぶ環濠と城壁に囲まれています。
高さ25mの南大門に渡る橋の両側には、写ってるアスラ像と左側の欄干にはデーヴァ像が並んでいます。
 
 アンコール・トムの中央にある仏教寺院バイヨン。
大きな顔だけの観世音菩薩が4面にある、たくさんの塔で出来ています。
 
 たくさんの塔と、その4倍のたくさんの観世音菩薩、その中で中年以上の日本人にとって一番有名なのは、右手の京唄子さんのそっくりさん。
 
 ガイドさんからそう説明されたら、どこからどう見ても京唄子さんにしか見えてきませんでした。
もう亡くなられていますよね。
 
 迷路のようなバイヨンの中を歩き、塔の4面の沢山の観世音菩薩と言うかアンジェリーナ・ジョリーのような肉厚口唇の石像ばかり観てきたので、横にあるこの王宮見学はパスしてしまいました。
 
 それでも長く続く象のテラスやライ王のテラス見物は、木陰が無く、このままでは熱中症の心配もするぐらいで、この日が大晦日とは思えませんでした。
 
 車に戻って一息つけましたが、すぐに次は遺跡発見当時の景観のままで保存されているタ・ブロームです。
 
 回廊が崩壊して内部が見えていたり、屋根に木の種が落ちて成長し、どんどん根を下ろしている大木。
  
 神殿を木の根がおおっています。
 
 アップした写真では、その木の根の間から丁度女神さんが顔を出しているので、撮影スャbトになっていました。
 
 ここはアンジェリーナ・ジョリー主演の「トウムレイダー」撮影のロケ地になって、ますます有名になりました。
アンジェリーナ・ジョリーは、カンボジア人の好む顔なんですかね。
 
 かなり疲れ果てて、遅めの昼食はクメール料理、これは少々辛いこともあってか、疲れた体にはぴったりで美味しかったです。
ここでも蓮の花びらを折り曲げて細工して置いてありました。
 
 土産物屋さん街を案内されて、あまり痛くないフットマッサージを受けましたが、疲れと心地良ささで眠ってしまいました。
最後はホテルへ戻って、アフターヌーンティーで休憩。
 ベトナム航空でハノイ経由で関空へ戻りましたが、良き旅でした!

       返事
とんでんらびいさん:そうです、海外旅行は2回目で、
    とんさんのように得意ではありません。
花水木さん:夕焼けは良いですね!
    歳を取ってからか島に行ってからか、
    空を見上げるようになっています。
     私としては、アルコールは本当に美味しい料理の時は、
    飲みたくないぐらいです。

コメント (2)
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