藤原沢子(フジワラノタクシ・サワコ)(~839)は藤原北家の端の方に位置していた父藤原総継(フサツグ)と母藤原数子(カズコ)との間に産まれて、正良親王(マサラシンノウ)の妃になりました。
833年正良親王が第54代仁明天皇として即位した時には、もう三人の息子の母親になっていた沢子は、即位と共に女御になりましたが、その6年後に4番目の子の内親王を産んだ後に、亡くなっています。
その後、2番目の息子時康親王(トキヤスシンノウ)が884年に54歳で、成れるはずもなかったのに第58代光孝天皇と成ったので(時の最高権力者藤原基経の母と沢子は同母姉妹であった)、沢子は皇太后を追贈され、墓も中尾陵(ナカオノミササギ)(東山区今熊野)と御陵に格上げされました。
この中尾陵、京都東山南の山麓の住宅街の中にあり、陵の後方は2枚目の写真の様に植木の垣根なのですが、何故か回れない正面はこんな土塀で、一般人は右側方からしか参拝出来ないようになっていました。
(今までも何陵かはこんなでしたが)
返事
商家の嫁さんさん:横のホースはウオッシュレットかビデ。
と言うことは、前も後ろもこれでするということですか?
そもそも便器と体の間にこのホースを入れる余地がないのでは?
又、水が顔や服にかかる恐れはないのですか?