
さて、第19代允恭天皇には同母である9人の子供がいましたね。
その内長男のキナシカルノミコは、妹のカルノオオイラツメと同母兄妹という禁断の恋で流罪になりました。(後に死亡)
そして、三男の穴穂命(アナホノミコト)が石上(イソノカミ)に穴穂宮(アナホノミヤ)(奈良県天理市)を造って、第20代安康天皇(アンコウ)になりました。

安康天皇は9人の同母兄弟姉妹のうち弟のオホハツセノミコトの為に、祖父の第16代仁徳天皇の5番目の息子、自分にとっては叔父にあたるオホクサカノミコに、その妹ワカクサカノミコを紹介してもらうように要請しました。
快諾したオホクサカノミコでしたが、使いの者が結納品欲しさに安康天皇に嘘の報告をしたため、安康天皇の怒りを買って殺されてしまいました。
そして安康天皇は殺したオホクサカノミコの正妻であるナガタノオホイラツメを奪って、太后としたそうです。
(でも、ナガタノオホイラツメは允恭天皇の9人の子のうちの一人なので、キナシカルノミコに続いて、安康天皇も禁断の同母姉弟で交わったことになりますが、これは非難されなかったのでしょうか?)

日本書紀では、キナシカルノミコは愛媛に流されたのではなく、安康天皇に攻められて自刃したことになっていますし、オホクサカノミコを殺してその正妻を自分の太后に迎えましたが、その太后はイトコのイチノベノオシハノオウジの妹中蔕姫(ナカシヒメ)と言うことになっており、されならイトコ同士の結婚なのでセーフです。

さてある日、安康天皇が太后にしたオホクサカノミコの正妻であったナガタノオホイラツメ(あるいは中蔕姫)の膝枕で、「おまえの連れ子の眉輪王(マヨワノミコ)が、自分の実父を殺したのが私だと知ったら、復習するんではないか。」とつぶやきました。
これをその時7歳だった眉輪王が床下で聞いて、夢中になって義理の父ではあるが実父の仇でもある安康天皇を切り殺しました。

こうして安康天皇は、在位3年にして56歳で亡くなり、菅原伏見西陵(スガワラノフシミノニシノミササギ)に葬られました。
この陵は奈良市の西、第2阪奈道路宝来ランプのすぐ近くにあって、車の往来の激しい道を一歩入ると、急に陵の周りだけが静かになりました。
返事
花水木さん:新しいデジカメでは液晶画面を反転して自撮りしますが、
アップになったおのれの顔に愕然としてしまいました。
ソフトフォーカスでも撮れるので、これに頼ります。
和さん:古墳パフェ、確かにもひとつでしたが、
冷たくなって少し硬くなった絵入りのマシュマロは良い味でした。
大雪男さん:今のところ(第4戦直前)予想通りソフトバンク3連勝。
私の予想4連勝で、今秋麻雀負け続け競馬入らなすぎの私のつきが、変わることを祈ってます。