3年前の秋に訪問しブログでも紹介した、紅葉で有名で藤原鎌足が祭神の奈良談山神社。
ここから山道を歩いて行く方法もあるようですが、私は飛鳥石舞台から奥へ続く道を少し走って、すぐ右に見えた明日香村クリーンセンター冬野方面の看板を右折し、所々狭い山道を対向車が来ないことを祈りながら走りました。
(往路で何故かミニパトカーと、復路で牧場に行く大型トラックとすれ違っただけです)
心配する家内の声が限界になった所で、道が少し広くなって突き当り、到着です。
第90代亀山天皇第4(8)皇子で、母は典侍(ナイシノスケ・テンジ)三条局の、良助親王(リョウジョシンノウ)(1268~1318)冬野墓(奈良県高市郡明日香村冬野)です。
なんでこんな山奥にこんな立派な墓があるのかと思うような、綺麗で整備もされてる墓でした。
左の「良助親王冬野墓」の石柱の字体、書道家榊獏山(サカキバクザン)さんは「透明な楷書」と褒めてるそうです。
獏山さん好きですが、私には透明なの意味は判りませんでした。
良助(法)親王は延暦寺天台座主(ザス)を務めていたことがあったぐらいで、特にどうと言うこともない親王のようですが、近くの談山神社に住んでいたこともあって、こんな山奥に葬ってくれと言ってたそうです。
私の天皇陵巡りも、あまり知らない皇子女や僧籍に入って寺境内の宮墓地に葬られてる人々は、いくら宮内庁治定でももう行かないでおこうと思っています。
でも、この誰も人がいない静かな山奥に、こんなきれいな独立した墓があったので、まあここは来た甲斐が有りました。