島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

富江小学校の扇型石

2014-06-03 | 富江
 
 富江には町中の塀や郊外の畑の石垣や石造りの小屋にも溶岩の岩(玄武岩?)らしきものが使われているようで、富江小学校も立派な石垣に囲まれています。(写真一番奥の木がこの前紹介した樹齢500年のアコウの木)
 
 小学校の敷地の隅に、富江陣屋の看板が立っていたので、この石垣もその当時陣屋の石垣に使われていたのかと思いましたが、図をよく見ると、小学校の敷地は陣屋内ではなく、北側の中学校の運動場が陣屋跡のようです。
 陣屋;
  3万石以下の大名は城を構えることが出来なかったようなので、その代わりの藩庁が置かれていた屋敷や、天領の代官が住む屋敷を陣屋と言うそうです。
 岐阜の高山陣屋は名所で、何回も行きました。
 富江藩主は1万石以下の旗本ですが、幕府とつながりが深かったのか、普通は持たせてもらえない陣屋を持っていたようです。
 
 石垣の一部、このカーブミラーの下に、フークと散歩中に変な石垣を見つけました。
扇型にくりぬいた部分に、扇型の石がはめ込まれています。 単なる装飾?
 
 調べてみると、明治7年に近くに設立された富江小学校は、明治32年1月にこの場所に移築されたようで、前年の明治31年の小学校造成時に、学校の繁栄を祈って、末広がりの扇型石を石垣にはめ込んだようです。
 この石垣116年前の作品で、江戸時代の陣屋とは関係ないようです。
   *3枚目の写真横になっています、気づいた時が遅すぎました、すみません。

      返事
大雪男さん:フークなんとか元気にしています。1枚目の写真のカーブミラー参照してください。
和さん:話好きのお爺さんでした。
    帰って看護婦さんに聞くと、外来通院してるようなので、また会えます。
花水木さん:恐竜の木と言うので、もっと大きなものを想像していましたが、それでも尻尾は立派です。
綾部のとしちゃん:脂肪肝?そんな体型でしたっけ?
和みさん:なるほど赤い上の歯茎が見えてますが、それがいいアクセントになっていましたよ。
コメント (2)
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恐竜の木

2014-06-01 | 富江
 
 本日は日曜当直、富江病院の当直にもだいぶ慣れてきました。
 富江小学校のアコウの木の次は、もう一つの富江の名物木である「恐竜の木」を紹介します。
実は先週に富江半島を一周サイクリングした時に、すっかり捜すのを忘れていたので、昨日(土)もう一度自転車で、今度はほぼ円形の富江半島の直径を通って、まっすぐに捜しに行きました。
 
 人に尋ねて迷いながら、坪地区でやっと発見。
なんの木なのか尋ねようと家を訪ねると、こたつでTVを見ていたお爺さんが親切にも外まで出てきて教えてくれました。
ブログに写真や名前を載せることも許可を得ました。
 主人の楠本さん89歳と、知る人ぞ知る「恐竜の木」です。
こ漁師をしていた40年前に、対馬沖まで漁に行った帰り、田平(平戸辺りです)で鉢植えのこの木を買い、7年ぐらいしてから地面に植え替えたようです。
その後形が面白くなったので、こまめに手で剪定(鋏ですると茶色になるそうです?)して、この形になったそうで、本人は20数mあると言いますが、これだけはちょっと・・・。
 
 
 予想よりサイズは小さかったですが、この尻尾がすごい!!
京都西山善峰寺のはい松ほどではないですが、この尻尾には恐れ入りました。
 でも質問の「この木は何の木?」の答えは、「知らない」でした。

      返事
花水木さん:私の母はもう少し上です。
    鳥の声は、この木からは聞こえないような気もするので、鳥も近寄りがたいのか?
大雪男さん:突然あんな石組が周りに関係なく表れると、やっぱり人工物を想像してしまいますが・・・。
和さん:富江も今は小学校は2校だけ、昔は分校などたくさんあったようですね。
コメント (5)
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