島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

メダカ

2021-06-16 | ノンジャンル
 
 先週末は、医局大先輩のお見舞いに福知山までドライブ。
今春に桜に囲まれていた福知山城は、緑に囲まれていましたが、同じ城前の駐車場に車を停めてお見舞いに。
 
 行って帰っただけのドライブでしたが、道の駅に寄った時に、急にメダカを買うことを思いつきました。
道の駅にもニトリにもなかったのに、コメリには1匹48円で売られていました。
数万円するメダカもいるそうですので、48円は安いのか、その辺で獲れた(私はメダカ取りをしたことありませんが)メダカに金を払うご時世を憂うのか判りませんが、10匹買ってしまい480円、水槽や水草や下に敷くメダカ用の石や餌も買って全部で2000円ちょいでした。
 
 家に着いた時には、ドライブに耐え切れず1匹はもう死亡してました。
石を洗い水を入れて、メダカを入れて、フークが島で死んでから丸6年、老夫婦以外の生物の居る家に戻りました。
 
 メダカを買ったのは、孫が来た時喜ぶかなと思ったからですが、メダカよりドクターイエローの方が好きみたいです。

        返事
和さん:家内は京都市のライン申し込みで、
    私の指導で予約でき、意外と早く接種順番も廻ってきました。
     スイーツ食べ歩き夫婦旅は、ちょっと辛い企画ですね。

コメント (1)
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西陣織会館周辺

2021-06-13 | 京都

 私は一応医療従事者の端くれで65歳以上!でもあるので、新型コロナワクチン接種はもう2回目接種終わってますし、200回以上の接種もしています。
 家内は完全に65歳以上の高齢者!ですし接種券も送ってきたので、京都市の接種申し込みにラインで申し込んだところ、意外と早く簡単に1回目の接種が当たり?ました。
若い時に9年間程勤務していた病院のすぐ近くの西陣織会館が接種場所で、木曜日夕方4時半からだったので、年とってから愛妻家!になった私は、付き添いとして参加。
もちろん接種会場には入れないので、懐かしい西陣織会館周辺を1時間ちょっと散策。
 西陣織会館のすぐ南には、写真の清明神社があります。
 
 
 最近は人気スャbトになって、神社自体も綺麗になって、若い人が溢れてる清明神社ですが、夕方でもあるし新型コロナの非常事態宣言下でもあるのか、人っ子一人いませんでした。
 厄除けの桃を撫ぜると、気持ち良かった!ので、避ける役を言うことを忘れてしまいました。
 
 行きにちょっと寄った水火天満宮(スイカテンマングウ)、日本最初の天満宮らしいですが、初めて参拝したと思います。
 
 少し北の表千家の不審庵(フシンアン)と裏千家の今日庵(コンニチアン)は、自転車でよく前を通ってましたが、ワクチン打ち終わった家内を支えながら?の帰り道で、三千家の武者小路千家の官休庵(カンキュウアン)もこの辺りであることを知りました。
 なんとか地下鉄駅まで家内を連れて?歩けたので、五島列島以来久しぶりにモスバーガーに入り(五島列島福江島にはマクドナルドは有りませんが、モスバーガーは有るので、時々利用していました)、休憩してから家路についた愛妻家!の私です。
 
 もちろん愛妻家の振りをしながら、ワクチン接種を待つ間の一番の目的は、近くの般舟院陵巡りです。
 今の私の人生の一番の目標?は、天皇陵巡りを終えることなのですが、それを終えた次に何をするかが決まってないのも悩みです!!。

コメント (2)
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90-4亀山天皇皇子寛尊親王

2021-06-11 | 天皇陵巡り
 
 第90代亀山天皇には20人以上の皇子がいましたが、第2皇子世仁親王(ヨヒト)は後の第91代後宇多天皇(1267~1324)ですのでもちろん宮内庁治定陵がありますし、前回の第4皇子良助親王(リョウジョ)(1268~1318)の写真の冬野墓は、それなりに行った甲斐が有りました。
 
 宮内庁治定墓としては、第11?皇子慈道親王(ジドウ)(1282~1341)は善峯寺の青蓮院宮墓地に有りました(写真)。
亀山天皇皇孫で父は第7皇子恒明親王(ツネアキ)(1303~1351)の尊観法親王の墓は、孫でもあり亡くなった下関市にあるそうなので、治定墓ですがパスしました。
 
 今回の亀山天皇皇子寛尊親王墓(カンソンシンノウ)(?~1382)は、9人の大覚寺門跡を務めた親王墓が並んでる大覚寺宮墓地(右京区北嵯峨名古曽町)の中に有ります。
 
 大覚寺宮墓地は大覚寺裏の住宅地に、住所からわかるように大沢池の名古曽の滝跡の近くですし、ちょっと苦労して登った嵯峨天皇陵の直下でもあります。
 ここは寛尊親王以下9人とも知らない名の親王ばかりなので、治定陵ですがこの1回だけで以後の親王はパス予定です。

        返事
Toitenlabeeさん:宮内庁にどれくらいの税金が投入されてるのですかね。
    まあ緑が守られるので、
    整備は続けても良いように思います。
    山奥の治定陵墓は、
    こんな世でも地元の有志が聡怩オてくれてると思いますが。

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90-3亀山天皇皇子良助親王

2021-06-09 | 天皇陵巡り
 
 3年前の秋に訪問しブログでも紹介した、紅葉で有名で藤原鎌足が祭神の奈良談山神社。
 ここから山道を歩いて行く方法もあるようですが、私は飛鳥石舞台から奥へ続く道を少し走って、すぐ右に見えた明日香村クリーンセンター冬野方面の看板を右折し、所々狭い山道を対向車が来ないことを祈りながら走りました。
(往路で何故かミニパトカーと、復路で牧場に行く大型トラックとすれ違っただけです)
 心配する家内の声が限界になった所で、道が少し広くなって突き当り、到着です。
 
 第90代亀山天皇第4(8)皇子で、母は典侍(ナイシノスケ・テンジ)三条局の、良助親王(リョウジョシンノウ)(1268~1318)冬野墓(奈良県高市郡明日香村冬野)です。
 
 なんでこんな山奥にこんな立派な墓があるのかと思うような、綺麗で整備もされてる墓でした。
 左の「良助親王冬野墓」の石柱の字体、書道家榊獏山(サカキバクザン)さんは「透明な楷書」と褒めてるそうです。
獏山さん好きですが、私には透明なの意味は判りませんでした。
 
 良助(法)親王は延暦寺天台座主(ザス)を務めていたことがあったぐらいで、特にどうと言うこともない親王のようですが、近くの談山神社に住んでいたこともあって、こんな山奥に葬ってくれと言ってたそうです。
 私の天皇陵巡りも、あまり知らない皇子女や僧籍に入って寺境内の宮墓地に葬られてる人々は、いくら宮内庁治定でももう行かないでおこうと思っています。
 でも、この誰も人がいない静かな山奥に、こんなきれいな独立した墓があったので、まあここは来た甲斐が有りました。

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90-2亀山天皇皇后佶子

2021-06-06 | 天皇陵巡り
 
 洞院(藤原)佶子(トウインキツシ)(1245~1272)は亀山天皇(1249~1305)(在位1259~1274)の皇后で、異母妹に後深草皇妃洞院愔子(インシ)(1246~1329)(伏見天皇母)や伏見天皇妃の洞院季子(スエコ・キシ)(1265~1336)(花園天皇母)がいます。
  大沢池と広沢池の間の山すその陵を目指して大覚寺から歩きます
 
 容姿端麗な佶子は15歳で4歳年下の亀山天皇に入内、女御となりました。
2男1女をもうけ、その第2皇子が後に第91代後宇多天皇(1267~1324)となりましたが、第1皇子・第1皇女は夭折しており、自身も28歳で亡くなっています。
 
 参道両脇に小さな池の有る蓮華峰寺陵(レンゲブジノミササギ)(右京区北嵯峨朝原山町)、ここは息子後宇多天皇の陵でもありますし、夫の亀山や息子の嫁後宇多天皇皇后姈子内親王や孫の後二条天皇の分骨所でもあります。

       返事
Toitenlabeeさん:Toiさんは日本語教師ですやん、
    私はゴロ合わせの年号しか覚えていませんよ。

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