大原街道はここからは高野川右岸に沿って北上するのですが、叡電三宅八幡駅から終点の八瀬比叡山口駅までの一駅は車で1~2分です。
最近でも滋賀県に行くために週に一回は車で通ってるこの道ですが、蓮華寺(レンゲジ)は素通りするだけで、全く知らなかったお寺ですので、初めて入ってみました。
修学旅行生はお断りの張り紙が有りました、何かあったのですかね?まあここに修学旅行生は来ないと思いますが。
洛北蓮華寺は1662(寛文2)年に、京都駅辺りにあった寺をこの地に移し再興したもので、天台宗のお寺です。
この時詩仙堂で有名な石川丈山や狩野探幽、木下順庵などの当時の著名文化人が協力してるそうです。
石川丈山の作と言われる、鶴石・亀石を配した池がなかなかいい感じです。
参拝者も私一人だったので、ゆっくりと縁に座って、文化人のように過ごせましたので、掘り出し物のいいお寺です。
池の中央の首を持ち上げてるような石が亀石と思い込んでいましたが、写真の説明でこれは舟石でしたので、エセ文化人はすぐにばれました。
隣には、第50代桓武天皇の同母弟である早良親王(サワラシンノウ)を祀る崇道神社(スドウジンジャ)が有ります。
早良親王は、平安京前の長岡京建設現場での藤原種継(タネツグ)暗殺事件の首謀者として逮捕され、無実を主張して絶食死しました。
死後に、桓武天皇近親者が次々と亡くなったり、悪疫が流行したため、その怨霊を鎮める目的で、早良親王に崇道天皇の尊称を追号し、墓も写真の八嶋陵(ヤシマノミササギ)に改葬したり(天皇陵巡り参照)、この崇道神社に祀ったりしてます。
他にも崇道天皇を祀る神社は有りますが、崇道天皇のみを祭神にしてるのはこの崇道神社のみです。
崇道神社の裏山を少し登ると(以前の天皇陵巡り番外小野妹子で訪れましたが、熊が出ますの看板があってびくびくしました)、小野毛人(オノノエミシ)の墓が有ります。
1613(慶長18)年にこの墓から墓誌が発見され、1914(大正3)年にはこの墓誌は国宝になっています。
小野毛人は小野妹子の子供で、677年に没しています。
前回の三宅八幡宮と言い、この辺りは小野家の完全な領地だったことが解りますし、大原街道自体の最初は、小野家の領地を貫く道として出来上がってきた感までしてきました。
こんな時間にブログを書くのは久しぶりですが、これも阪神が負けてるせいです。
今日で交流戦5勝10敗、私の設定した最低目標7勝11敗も怪しくなってきましたので、力が出ませんよ。