お仕事の関係で東北へ。
いつものように、にやにやと回ってきました。
ってわけにもいかなかった今回。
被災地の現実に打ちのめされたって感じだね。
![Dscn0085 Dscn0085](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/80/c67be63a574b76d1e8e39cf49be8ee0e.jpg)
主に訪れたのは、気仙沼市と南三陸町。
3年でここまでと捉えるか、3年でこれだけしかと考えるか。
ただ、言葉を選ばずに言えば、絶望的な破壊と蹂躙。
空恐ろしい「現場」がそこにあった。
そして、「現場」は今も未来も続いていく。
![Img_4061 Img_4061](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/25/42de36a53376cf94719f8bf728a6554b.jpg)
とにかく壊れていた。
失われていた。
![Dscn0118 Dscn0118](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/e7/d10028f15b592cc41cc3580b0535c572.jpg)
津波に襲われる前と、その後。
「暮らし」が根こそぎ奪われているのがよくわかる。
こどもたち74人と教職員10人が命を落とした大川小。
![Img_4070 Img_4070](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/eb/36fe9e414d2f5fa851cb2929aeca6c6f.jpg)
![Img_4071 Img_4071](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/4b/29f19d717d97c31b515cabb20e833d4f.jpg)
この青い空が哀しみを増幅させる。
今、遺族が訴訟を起こしています。
この山に登れば助かったのだろうなあ。
![Dscn0103 Dscn0103](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/2e/9801ab63ffcd8f8b49eedf846a44566e.jpg)
引率した教師も遺族も同じ集落に暮らす。
津波は、まさに地域を分断したわけだ。
気仙沼も変わり果てていた。
![Dscn0181 Dscn0181](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/47/825fa686e91d4ad855eed4281355b8d7.jpg)
女性職員が最期まで無線で避難を求めた、例の防災庁舎。
取り壊すか、震災遺構として保存するか、ここでも町は二分されている。
東北の漁業の拠点だった気仙沼は今、その輝きを失っている。
そんな気仙沼の夜、我々の前に、こつぜんと輝きが姿を見せた。
![Dscn0130 Dscn0130](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/41/92b437d660001292cf409b7bcac700b6.jpg)
JBLのスピーカーから流れる、「ホテル カリフォルニア」。
この店も津波にやられ、スピーカーも泥水に浸かった。
それを市民やボランティアが懸命に直し、音を取り戻したのだという。
![Img_4160 Img_4160](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/4d/96b00329a139fed82bf0c7d5e8eabd0c.jpg)
みなで聞き入り、それは心に染み入った。
![Dscn0133 Dscn0133](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/03/ba1f196248b40cfc1b1cc9ce260b8ecc.jpg)
夢のような時間を過ごし、一歩外に出ると、漆黒の闇が広がっていた。
明かりはない。
かつて船員のドラ声とあでやかな嬌声がこだました夜の街も、そこにはない。
![Dscn0129 Dscn0129](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/cc/cfe25cbda6c31182409ad43fd4d99ab8.jpg)
それぞれになにができるのか。
考え、伝え続けるしかないのだろう。
![Dscn0159 Dscn0159](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/6d/3d375dafb519370f2950c502049dceac.jpg)
いつものように、にやにやと回ってきました。
ってわけにもいかなかった今回。
被災地の現実に打ちのめされたって感じだね。
![Dscn0085 Dscn0085](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/80/c67be63a574b76d1e8e39cf49be8ee0e.jpg)
主に訪れたのは、気仙沼市と南三陸町。
3年でここまでと捉えるか、3年でこれだけしかと考えるか。
ただ、言葉を選ばずに言えば、絶望的な破壊と蹂躙。
空恐ろしい「現場」がそこにあった。
そして、「現場」は今も未来も続いていく。
![Img_4061 Img_4061](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/25/42de36a53376cf94719f8bf728a6554b.jpg)
とにかく壊れていた。
失われていた。
![Dscn0118 Dscn0118](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/e7/d10028f15b592cc41cc3580b0535c572.jpg)
津波に襲われる前と、その後。
「暮らし」が根こそぎ奪われているのがよくわかる。
こどもたち74人と教職員10人が命を落とした大川小。
![Img_4070 Img_4070](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/eb/36fe9e414d2f5fa851cb2929aeca6c6f.jpg)
![Img_4071 Img_4071](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/4b/29f19d717d97c31b515cabb20e833d4f.jpg)
この青い空が哀しみを増幅させる。
今、遺族が訴訟を起こしています。
この山に登れば助かったのだろうなあ。
![Dscn0103 Dscn0103](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/2e/9801ab63ffcd8f8b49eedf846a44566e.jpg)
引率した教師も遺族も同じ集落に暮らす。
津波は、まさに地域を分断したわけだ。
気仙沼も変わり果てていた。
![Dscn0181 Dscn0181](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/47/825fa686e91d4ad855eed4281355b8d7.jpg)
女性職員が最期まで無線で避難を求めた、例の防災庁舎。
取り壊すか、震災遺構として保存するか、ここでも町は二分されている。
東北の漁業の拠点だった気仙沼は今、その輝きを失っている。
そんな気仙沼の夜、我々の前に、こつぜんと輝きが姿を見せた。
![Dscn0130 Dscn0130](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/41/92b437d660001292cf409b7bcac700b6.jpg)
JBLのスピーカーから流れる、「ホテル カリフォルニア」。
この店も津波にやられ、スピーカーも泥水に浸かった。
それを市民やボランティアが懸命に直し、音を取り戻したのだという。
![Img_4160 Img_4160](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/4d/96b00329a139fed82bf0c7d5e8eabd0c.jpg)
みなで聞き入り、それは心に染み入った。
![Dscn0133 Dscn0133](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/03/ba1f196248b40cfc1b1cc9ce260b8ecc.jpg)
夢のような時間を過ごし、一歩外に出ると、漆黒の闇が広がっていた。
明かりはない。
かつて船員のドラ声とあでやかな嬌声がこだました夜の街も、そこにはない。
![Dscn0129 Dscn0129](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/cc/cfe25cbda6c31182409ad43fd4d99ab8.jpg)
それぞれになにができるのか。
考え、伝え続けるしかないのだろう。
![Dscn0159 Dscn0159](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/6d/3d375dafb519370f2950c502049dceac.jpg)