先日、小生は旅立ったのである。
行き先は、人生未踏の地、新潟でありやんす。
しかも新潟は新潟でも、なんと佐渡。
いやあ、お仕事とはいえw、ビックリの展開ですね。
って、ここは笑うとこじゃないな、お仕事です。
全国の同業他社で、不幸にしてほぼ同じポジションをやらされている面々が集い、
世を呪い、ありとあらゆる酒を浴びるとゆー、毎年一度のステキな「研修」でやんす。
とゆーことで、お仕事(シツコイw)のため、一路新潟へ。
バキューンと山陽新幹線に乗って、シュパーンと上越新幹線に乗り継ぐわけですが、新潟はやはり遠い。
約束の時間までに行けそうにないので、仕方なく前泊であありますね。うふふ。
で、新潟市内をそぞろ歩き。
なんだ、これは!ってゆー建物に遭遇。
弊社とは比べものになりませんなあ。
で、今回の引き受け社の面々で、かつて帝都で一緒に遊んだ、いや、切磋琢磨したw仲間が、宴を催してくれました。
ノザワ翁を筆頭に、にゃおこ、カワイちゃん、ダーツ、こはちゃん、きりゅーくんなどなど。
昨今の疲弊した地方自治、あるいは困窮の自治体財政、さらには安全保障の行方など、
多岐に及ぶ話題をガンガン日本酒で流し込むわけですな。
昔なじみのアホばかりで、それはもう五臓六腑に染み渡るわけですよ。
で、そこの社の新人さんとも昵懇に。
彼の悩みあるいは不安は、まんまウチのコドモたちとおんなじ。
もっといえば、30年前の俺とおんなじ。
もう、可愛くてしょうがないよね。
「全然、ダイジョーブ! なんならウチへ来い!」と喚き散らし、引き受け社の皆さんにこっぴどく叱られたアタシですぅ。
翌朝、バブルの極みの建物から、市内を睥睨するアタシたち。
痛飲の翌朝ですから、責任能力は低下しています。
もちろん、「揺れ耐性」もミニマム。
しかもこの日はかなりの風で、日本海には白波が立っておるのです。
いやあ、耐えられるのか、俺、これに…
佐渡へ向かうジェットフォイルでございます。
船内でお弁当も食べたわけですが、意外に、全くといっていいほど揺れない。
リッパな船だなあ。新潟ってのは、とにかくリッパだ!
そして上陸。
やたらめったら鳥が飛んでる。
よく観たらトキ(朱鷺)。
これまたリッパな鳥だなあ。
いろいろと勉強せねばなりませんよぉ。
その後、淋しいところ、賑やかなところ、いろいろ回りました。
アタシが痛感したのは、これ。
「佐渡は寒い!」
前日30度越えした広島に比べ、この日の佐渡は10度ちょっと。
半袖の小生、震え上がっておりました。
やはり、東日本の五月、恐るべし!
美しいけど、いろんな悲劇も生まれた海。
曽我ひとみさんもここから連れ去られたんだよね。
絶景ポイントなのか、熟女カメラマンがいらっしゃいました。
海沿いのリゾートホテルに宿泊します。
そして、こーゆーことに。
いやあ、酒どころだからねぇ。
同じようなキャリアの面々が集い、同じような苦労と達成感を味わっているわけで、話が盛り上がらないはずがありません。
歌わないはずがありません。
写真は自粛www
でも、前回の気仙沼の旅と比べれば、極めて民主的な時間にシューリョーです。
いやあ、よかったw
翌朝も、豪華なお食事。もう食べられないよw
さあ、今日は金山。
可愛いガイドさんに連れられ、特別に非公開の坑道へ。
ただ、閉所恐怖症気味の俺様はもうガクガクブルブル。
むくつけきブチョーさん方の手すら握りたい心持ちでありました。
そんな金山で働くって、どうゆーことなんだろう?
江戸期から388年続いたゴールドラッシュ!
すさまじいドラマがあったに違いないし、そこらも含めて「世界遺産」に相応しいと思います。
最盛期、最大の金山があった相川は当時、島の狭い街にかかわらず5万人が住んでたそうな。
江戸が40万人、大阪が20万人、長崎は2万人だった時代なのに。
いたるところに能舞台がある佐渡。
日蓮も世阿弥も暮らした佐渡。
なにやらまことに奥深い。
一番手前の「男性」、こう呟くんです。
「馴染みのおなごのとこへ行きてえなあ…」って
遺産登録を目指す施設でいかがなものか?と、県議会で問題になったそうです。
なんやかんや、やはり佐渡は奥深い。
そして生まれ変わったら、僕はこうなりたい。
佐渡、もう一度行きたくなる場所でした。