インタビューのお願いをした。「いいですよ。カープのためになるんなら喜んで」。
快諾の主は衣笠祥雄さん。2005年のことだ。球界再編の波に巻き込まれた広島東洋カープが、球団存亡の危機にあったころだった。
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1975年の初優勝からちょうど30年。それを意識した取材でもあった。
「あのころ、広島は燃えたぎってましたよ。遠征から帰ったら、自宅マンションに『目指せ、優勝!』って垂れ幕が下がっててねぇ。驚いたなあ」
うれしくあり、重圧でもあり。
「みなの生きる糧なんだなって、そう実感しましたね」。笑顔で振り返ってくれた。
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それが曇ったのは、その当時の話になった際だ。
新球場建設は決まっていたものの、市民球場のスタンドはがらんとしたまま。
「子どもたちが赤い帽子をかぶってないんですよね。タクシーでもカープ中継が流れてこないし…」
常時スタンドが真っ赤に染まる今では考えられない光景がそこにあった。
それでも鉄人は前を向いた。
インタビューの中でいろんな提案をしてくださり、いくつかはその後に実現した。
人々の笑顔が集う「夢の器」を、今のカープの快進撃を、誰よりも喜んでくれたひとりであっただろう。
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その衣笠さんが亡くなった。あまりに早い。
誰もに愛された方だっただけに、悲しみは今も広がるばかりだ。
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地元紙も異例の展開である。
そして、それをみなが当然のこととして受け止めている。
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野球人としてだけでなく、人間として魅力ある方だったことを、広島っ子なら誰もが知ってるからだ。
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カープ愛、広島愛がほとばしったインタビューから、さらに20年近くさかのぼった話をしよう。
ある警察署に、衣笠さんが一日警察署長さん的な感じで現れた。
まだ昭和の時代だ。
プロ野球選手のスタイルといえば、野暮ったいゴルフファッションか、その筋の人という二者択一。
車はいかついメルセデスかアメ車が一般的だっただろう。
しかし現れた鉄人は違った。
アルマーニのスーツに身を包み、ブリティッシュグリーンのジャガーから降りてこられた。
もちろん自身がハンドルを握っての登場だ。
「なんとかっこいい」。
23歳だったサツ回りの私は胸を射抜かれた。
表面的な話ではない。彼のスタイルや哲学がそこに感じられたからである。
インタビューの際の話に戻ろう。謝礼の相談をさせてもらった。
「ああ、いらないですよ。代わりにHAPPYMANさんの思う『美味いもの』を食べさせてくださいな」
笑顔ばかりが思い出される鉄人。「ダンディー」という言葉が似合う人だった。
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