HAPPY-GO-LUCKY!

E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

そういえばあの頃、の巻

2020-08-22 14:23:13 | 受験・学校
先日、週末家でぼんやりしてたら、宅急便さんが。
奥さんが玄関に出て、しばらくして戻ってきてひとこと。
「教え子さんだったらしいよ!」

???。
なんのこと?

こんな会話があったらしい。

宅急便のお兄さん
「happymanさんは○○大の教授でらっしゃいますよね。ボク、こうぎにでてたんです」

奥さん
「いえ、ウチの主人はその辺のボンクラサラリーマンですよ」

お兄さん
「いや、ジャーナリズムの授業があって、それを取ってたんです。面白かったです!」

奥さん
「ああ、そういえば講師をやらせてもらってました。その辺にいますから呼んで来ましょうか?」

お兄さん
「いや、とんでもない。ためになったとお伝えください」


そうそう、郊外の大学で1年間、教壇に立たせてもらったんだよなぁ。


ジャーナリズム論なんてゆー大そうな演目ではございましたが、よーするに俺が現場を踏んだ案件、現場を預かって勝負した事柄を話しただけなんだよね。

格調高くはないが、リアルであることこの上なしって感じ。
オウムの死刑執行やらを言い当てて?、「デスノートですね」って出席カードに書かれたのを思い出しますな。

で、思い出すといえばコレ。





Facebookってのは、何年前の今日はこんなこと書いてましたよ〜って教えてくれるわけだけど、今朝届いたのはコレ。

広島土砂災害。
あれから6年なのである。

中国新聞(Chugoku Shimbun) - 【広島土砂災害 あす発生1カ月】  広島土砂災害の発生から、明日20日(金)で1カ月を迎えます。現場では復旧作業が進む一方で、被害を受けた方々の暮らしの再建は、まだこれからの状況です。本日19日(金)、最後の行方不明者の方の身元が確認されました。亡くなった74人の方々のご冥福をお祈りします。  中国新聞社は、現場近くの広島市安佐南区八木4丁目に設けた「災害取材現地支局」を拠点に、取材活動を続けています。地元紙として、被災地のみなさんに寄り添いたい。現場の記者を統括する報道部長が昨日18日(木)付の中国新聞朝刊(14ページ)で、その思いと決意をつづりました。こちらのページでもご紹介させていただきます。 (黒神)



 山肌を土石流がえぐっていた。近づくと重機のうなりが聞こえ、押しつぶされた家々が目に飛び込んでくる。73人が亡くなり、1人が行方不明のままの広島土砂災害。傷痕は癒えようもない。  8月20日未明、とどろき渡る雷鳴に眠れぬ中、SNS上で「怖い…」との声に出会った。背中を押されるように出社。そして1カ月近くたつ。まさにあっという間だった。  被害規模を押さえることから始め、避難の状況を伝え、気象や岩盤をめぐる災害のメカニズムを掘り下げてきた。人災と言わざるを得ない点も指摘してきたつもりだ。  だが、もちろん十分とは思っていない。異常気象と無軌道とも言える開発に起因するこの土砂災害は今後、いつ、どこで起きても不思議はない。「想定外」という言葉に逃げ込むのではなく、「なぜ防げなかったのか」にこだわりたい。そして何より、被災地が何を求めているかに、耳を澄ましていたい。  そのアンテナの一つが、8月末、安佐南区八木4丁目に設けた「災害取材現地支局」だ。日々、10人前後の記者が出入りし、議論し、記事を書く。八木郵便局のすぐ近く。地元の方々も訪ねてくださるようで、心強く感じる。  支局に時折足を運ぶ。すると先日、目を腫らして帰ってきた記者がいた。遺族に取材し、故人の思い出に触れ、涙が止まらなかったのだという。「甘っちょろい」と言われるかもしれない。しかし、遺族と一緒に泣く記者たちを誇らしく思う。その涙を忘れないでほしいと願う。  被災者と同じ立場に立てるとは言わない。でも、できるだけ同じ目線でいたい。疑問や不安を共有し、行政にぶつけ、地域と一緒にずっと考えていくつもりだ。現場で再び、「涙」が流されることのないよう、地元紙として、私たちはそこにこだわっていきたい。 | Facebook


こんなことが書いてあるが、なかなかリアルだ。

あの頃の自分に恥じない自分であるか。
時折そんなことも考えながら、歩を進めていきたいものである。

ねえ、コロッケ。