77人の犠牲者を出した広島土砂災害から今日で10年。
現場責任者だっただけに、さまざまに思う。
前夜、日付が変わる直前まで仕事してて、流川に繰り出そうとしたんだよなあ。
すると、行きつけの店から(ブラッスリーワカノさんなんだけど)、「ひどい雨なので、今日はもう閉めます」と。
で、帰宅。
しかしながら雷鳴がとどろき、「こりゃ、やばいな」と。
未明、会社に上がったのでした。
明けぬうちに現場に行きたがる奴らを止めるのが、最初の仕事だった。
「明るくなるまで入るな。俺たちが負けるわけがないんだから」
そんなことを口走ったのを覚えてますな。
そこからは、この人が書いてるような、こんな具合だ。
明けぬうちに現場に行きたがる奴らを止めるのが、最初の仕事だった。
「明るくなるまで入るな。俺たちが負けるわけがないんだから」
そんなことを口走ったのを覚えてますな。
そこからは、この人が書いてるような、こんな具合だ。
根を詰めて働いたなあ。
あの頃は夕刊もあったしね。
朝刊の作業が終わる午後11時ごろに「今日もよくやってくれた」と、皆の奮闘を労う。
そして、そのまま翌日の夕刊の紙面建ての会議だ。
心がピりついて眠れないから、クールダウンのために飲みにいく。
翌朝9時ごろ、赤い目で出社する。
そんな一切休みなしの生活が2カ月。
よく倒れなかったと思うけど、気力は充実してた。
「やらなきゃ!」って思ってたなあ。
まあ、その1年半後には倒れるんだけどwww
心がピりついて眠れないから、クールダウンのために飲みにいく。
翌朝9時ごろ、赤い目で出社する。
そんな一切休みなしの生活が2カ月。
よく倒れなかったと思うけど、気力は充実してた。
「やらなきゃ!」って思ってたなあ。
まあ、その1年半後には倒れるんだけどwww
そしてこれも。
被災地で奪われた命と暮らし。
そこに生きておられた証を残したい、と、皆が動いてくれた。
これはその頃の仲間たちだなあ。
今もツレだけどね。
その冬だったかな。
奴らが忘年会用に作りやがったのがこれ。
今も私のデスクの後ろに鎮座しておられます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます