今日は桃の節句、女の子の健やかな成長を祈ってお雛様を飾りご馳走を食
べて楽しく一日を過ごす日です。
しかし、家族を作らなかった私には無縁な祭りである。
それでも真っ赤な毛氈の上に居並ぶすまし顔の人形を見ると、華やいだ気持
ちを抑えることは難しい。
そんな人の為か、埼玉県飯能市が「雛飾りお宝展in飯能」なる催しを開催し、
飯能市郷土館、文化財絹甚、商店街各店がお雛様のお宝を、自由に拝見
させてくれると言う、店先に掲げたピンクの旗を目印に「雛巡りスタンプラリー」
をさせてくれるなんて嬉しいイベントである。
見学者を迎えてくれるピンクの旗印は、124件と多い、菓子屋さん、お米屋
さん、肉屋さん、魚屋さん、クリーニング屋さん、呉服屋さん、等々と商店街
は出たり入ったりと忙しいが、店主さんは皆快く迎え入れてくれ、お雛様にま
つわる話もしてくれる。
そして嫁入りの時持ってきた人形が一番美しいと誇る、なんとも心温まるお雛
様談義に花が咲いた日でした。
私のスタンプ数は45個で終わりましたが、未練を残しながらもこの素敵な催
しが続く事を祈っています。
数多くのお雛様に出会い、自分なりにひな祭りを祝った満足感と幸せな気持ち
は今も続いている。
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飯能市郷土館で「ひな祭り」のもとの一つと云われる「人形(ひとかた)」
を見た。
平安時代には、出産の際の死亡率が高かったので、命を持っていかれない
よう、紙などで人をかたどった呪い道具(人形)を枕元に置く風習があり
ました。息を吹きかけるなどして身代わりとして川や海に人形を流す
「流し雛」の行事として今も残っている。
江戸時代になってから「雛人形」を飾るようになり、不幸の種や悪い事は
ひな人形に背負ってもらい、子供は幸せに育って欲しいと云う親の願いが
込められていた。
段飾りが飾られるようになったのは、江戸中期のこと。昭和に入ってから、
今のような雛人形の形になったそうだ。
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裃を着て正座した、オカッパ頭の子供の人形が、可愛らしく、珍しいので
目にとまった。
「裃人形」「座り雛」「三角雛」と呼ばれ、明治から昭和にかけて作られた
といわれている。その頃の雛祭りを「作神祭り」と言って豊作を願う祭りと
した地域もあり、女の子が居ない家でもこの人形を雛壇に飾り祝ったそうだ
兎に角、雛祭りは春の訪れを祝う祭りと言えるのでしょう・・・
菱餅の3色は上から桃の花 残雪 若草を表しているところから察するに
雛祭りの持つやさしさや華やかさは、春そのものの気がする。
べて楽しく一日を過ごす日です。
しかし、家族を作らなかった私には無縁な祭りである。
それでも真っ赤な毛氈の上に居並ぶすまし顔の人形を見ると、華やいだ気持
ちを抑えることは難しい。
そんな人の為か、埼玉県飯能市が「雛飾りお宝展in飯能」なる催しを開催し、
飯能市郷土館、文化財絹甚、商店街各店がお雛様のお宝を、自由に拝見
させてくれると言う、店先に掲げたピンクの旗を目印に「雛巡りスタンプラリー」
をさせてくれるなんて嬉しいイベントである。
見学者を迎えてくれるピンクの旗印は、124件と多い、菓子屋さん、お米屋
さん、肉屋さん、魚屋さん、クリーニング屋さん、呉服屋さん、等々と商店街
は出たり入ったりと忙しいが、店主さんは皆快く迎え入れてくれ、お雛様にま
つわる話もしてくれる。
そして嫁入りの時持ってきた人形が一番美しいと誇る、なんとも心温まるお雛
様談義に花が咲いた日でした。
私のスタンプ数は45個で終わりましたが、未練を残しながらもこの素敵な催
しが続く事を祈っています。
数多くのお雛様に出会い、自分なりにひな祭りを祝った満足感と幸せな気持ち
は今も続いている。
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飯能市郷土館で「ひな祭り」のもとの一つと云われる「人形(ひとかた)」
を見た。
平安時代には、出産の際の死亡率が高かったので、命を持っていかれない
よう、紙などで人をかたどった呪い道具(人形)を枕元に置く風習があり
ました。息を吹きかけるなどして身代わりとして川や海に人形を流す
「流し雛」の行事として今も残っている。
江戸時代になってから「雛人形」を飾るようになり、不幸の種や悪い事は
ひな人形に背負ってもらい、子供は幸せに育って欲しいと云う親の願いが
込められていた。
段飾りが飾られるようになったのは、江戸中期のこと。昭和に入ってから、
今のような雛人形の形になったそうだ。
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裃を着て正座した、オカッパ頭の子供の人形が、可愛らしく、珍しいので
目にとまった。
「裃人形」「座り雛」「三角雛」と呼ばれ、明治から昭和にかけて作られた
といわれている。その頃の雛祭りを「作神祭り」と言って豊作を願う祭りと
した地域もあり、女の子が居ない家でもこの人形を雛壇に飾り祝ったそうだ
兎に角、雛祭りは春の訪れを祝う祭りと言えるのでしょう・・・
菱餅の3色は上から桃の花 残雪 若草を表しているところから察するに
雛祭りの持つやさしさや華やかさは、春そのものの気がする。