高度経済成長期の日本を背負ってきた会社ひと筋の熱血サラリーマンだった主人公は、第2の人生を楽しく迎えようと思った矢先、末期がんと宣告される。
普通ならショックでふさぎこむ。
しかし熱血サラリーマンだった彼の人と違うところはここから始まった。
彼は、エンディングノートなる「死ぬまでにやらなければいけないTO DOリスト」を書いて実行することを人生最後の大仕事に定める。
段取りの良さで会社の要職まで駆け上がった彼は、この期に及んでも自分の人生の最終章まで段取ろうと試みるわけだ。
本作は、そんな戦後日本の申し子のような主人公の最期の日々を、彼の末娘である砂田麻美監督が丹念に記録した奇跡的なドキュメンタリーである。
ビデオカメラに映し出されるのは、生々しく壮絶ながん闘病記などではなく、持ち前の明るさで飄々と生きる「段取り男・砂田氏」のユーモラスな日常だ。
劇中では丁寧語が使われる主人公の内面の「声」(監督自身が担当)も、深刻ぶらず内省的でも思索的でもなく、主人公の家族に対する着飾らない素直な告白になっていて、えもいわれぬ笑いと哀感を誘っている。
撮る側と撮られる側の双方に情愛の念も感じられ、リラックスモードの被写体がいい。
それは、本作の監督が「娘」としてずっと観察してきたありのままの父親の姿なのかもしれない。
その主人公、ほぼ全編で快活な笑顔を爆発させているので、悲しさよりも先に楽しさが湧き上がる。
笑う門には福来たる、だ。
砂田家の「家族アルバム」の様相を呈する映画は、一家の大黒柱である主人公に笑顔があるからこそ救いがあり、微笑ましく、観ているわれわれまでを勇気づけ幸福感で満たしてくれる。
それは確かに何の変哲もない無名氏の笑顔だが、生の輝きとしてフィルムへ永遠に定着された、実に感動的な奇跡の笑顔なのだ。
誰にでも平等にやってくる「死」
運命によって、遅かれ早かれはあるかもしれない。
何か「死」に直面したとき、人の考えは代わるのかもしれない。
しかし悪く言えば、それは死に直面する前からも、感じて居なければいけなかった事かもしれない。
内面の「弱気」だろう。
ただ、これも「死」なんだろうと、素直に受け止められる。
妻の一言「あなたと一緒に行きたい」
素直に心が打たれた......
普通ならショックでふさぎこむ。
しかし熱血サラリーマンだった彼の人と違うところはここから始まった。
彼は、エンディングノートなる「死ぬまでにやらなければいけないTO DOリスト」を書いて実行することを人生最後の大仕事に定める。
段取りの良さで会社の要職まで駆け上がった彼は、この期に及んでも自分の人生の最終章まで段取ろうと試みるわけだ。
本作は、そんな戦後日本の申し子のような主人公の最期の日々を、彼の末娘である砂田麻美監督が丹念に記録した奇跡的なドキュメンタリーである。
ビデオカメラに映し出されるのは、生々しく壮絶ながん闘病記などではなく、持ち前の明るさで飄々と生きる「段取り男・砂田氏」のユーモラスな日常だ。
劇中では丁寧語が使われる主人公の内面の「声」(監督自身が担当)も、深刻ぶらず内省的でも思索的でもなく、主人公の家族に対する着飾らない素直な告白になっていて、えもいわれぬ笑いと哀感を誘っている。
撮る側と撮られる側の双方に情愛の念も感じられ、リラックスモードの被写体がいい。
それは、本作の監督が「娘」としてずっと観察してきたありのままの父親の姿なのかもしれない。
その主人公、ほぼ全編で快活な笑顔を爆発させているので、悲しさよりも先に楽しさが湧き上がる。
笑う門には福来たる、だ。
砂田家の「家族アルバム」の様相を呈する映画は、一家の大黒柱である主人公に笑顔があるからこそ救いがあり、微笑ましく、観ているわれわれまでを勇気づけ幸福感で満たしてくれる。
それは確かに何の変哲もない無名氏の笑顔だが、生の輝きとしてフィルムへ永遠に定着された、実に感動的な奇跡の笑顔なのだ。
誰にでも平等にやってくる「死」
運命によって、遅かれ早かれはあるかもしれない。
何か「死」に直面したとき、人の考えは代わるのかもしれない。
しかし悪く言えば、それは死に直面する前からも、感じて居なければいけなかった事かもしれない。
内面の「弱気」だろう。
ただ、これも「死」なんだろうと、素直に受け止められる。
妻の一言「あなたと一緒に行きたい」
素直に心が打たれた......