今回の「サイボーグ009」は「攻殻機動隊S.A.C.シリーズ」の神山建治監督&ProductionI.Gによる製作で、絵柄もずいぶん変わりまして、予告映像を見ても「あ~プロダクションIGだな~」ってな感じでしたが、神山ファンのボクとしては攻殻機動隊の続編が出ない今、これに期待するしかないと思い劇場に足を運びました。
可能なら3Dで見た方が良い作品です。
攻殻的なグラフィックは断然3Dの方がグワングワン楽しめます。
好き嫌いはあると思いますが、攻殻機動隊ファンであれば大丈夫です。
だから、評価が分かれる作品と言うより、かなりコアでマイノリティーなファンに向けて作られているように感じました。
攻殻機動隊の一連の流れを知らないと、こムヅカシク思うでしょう。
アニメ好きの人に連れられて、日常ほとんどアニメを見ないのに来たアニメ属性で無い人→「なーにコレ~、こういうモンなの?むずか~しい~」
そんな感じ。
エヴァンゲリオンを知っている方でも終わり方に不満たらたら。
ボク自身も見ていてラストの展開に『なんだこりゃ~?俺の100分を返せ!!』と思ってしまったのですが、エンディングラストで示唆されたものを見て、コレが神山解釈って事か?いや~、やるじゃないか神山!と思いました。
考えてもみれば今回のテーマは壮大すぎてとても100分ちょっとの尺で収集のつくものではないし、いくつかの伏線も未回収なので、いわば今回は「00ナンバーズ達が再集結するための話」で言わば序章です。
今後の製作はないと言うのが既定のようですが、それでも続編も見据えての物語なのだと思います。
うがった見方ですが攻殻の続編展開が無さそうなので、Production I.Gとしては009をテーマとしたいのかなあ、とも思いました。
私自身はぜひ続編希望しますが、興行的に今作がどう評価されるか・・・
前述した一般的なアニメファンの感想が、正直レビューとしての大方の評価になってしまうんじゃないかと心配です。
ただここでもし終わってしまったとしても、009がそもそも未完の作品なので、ああいう終わり方でも『未完の009を表現してみました』という言い訳が成り立ってしまいそうですが。
まあ、神山節ともいえる現代思想からの引用、迫力あるサウンドには目を見張ったし、3Dも悪くなかった。
全編を得体のしれない「彼」の緊張、不安、興味、畏怖が貫いているし、「彼」の正体を知りたいという欲求は途絶えることはなかったが、結局その正体は明かされずに幕を閉じた。
水にうかぶ三人のサイボーグ、そしてフランソワーズが水を「渡る」ことで出会うジョーの死が水を象徴として暗示されてるように思えた。
可能なら3Dで見た方が良い作品です。
攻殻的なグラフィックは断然3Dの方がグワングワン楽しめます。
好き嫌いはあると思いますが、攻殻機動隊ファンであれば大丈夫です。
だから、評価が分かれる作品と言うより、かなりコアでマイノリティーなファンに向けて作られているように感じました。
攻殻機動隊の一連の流れを知らないと、こムヅカシク思うでしょう。
アニメ好きの人に連れられて、日常ほとんどアニメを見ないのに来たアニメ属性で無い人→「なーにコレ~、こういうモンなの?むずか~しい~」
そんな感じ。
エヴァンゲリオンを知っている方でも終わり方に不満たらたら。
ボク自身も見ていてラストの展開に『なんだこりゃ~?俺の100分を返せ!!』と思ってしまったのですが、エンディングラストで示唆されたものを見て、コレが神山解釈って事か?いや~、やるじゃないか神山!と思いました。
考えてもみれば今回のテーマは壮大すぎてとても100分ちょっとの尺で収集のつくものではないし、いくつかの伏線も未回収なので、いわば今回は「00ナンバーズ達が再集結するための話」で言わば序章です。
今後の製作はないと言うのが既定のようですが、それでも続編も見据えての物語なのだと思います。
うがった見方ですが攻殻の続編展開が無さそうなので、Production I.Gとしては009をテーマとしたいのかなあ、とも思いました。
私自身はぜひ続編希望しますが、興行的に今作がどう評価されるか・・・
前述した一般的なアニメファンの感想が、正直レビューとしての大方の評価になってしまうんじゃないかと心配です。
ただここでもし終わってしまったとしても、009がそもそも未完の作品なので、ああいう終わり方でも『未完の009を表現してみました』という言い訳が成り立ってしまいそうですが。
まあ、神山節ともいえる現代思想からの引用、迫力あるサウンドには目を見張ったし、3Dも悪くなかった。
全編を得体のしれない「彼」の緊張、不安、興味、畏怖が貫いているし、「彼」の正体を知りたいという欲求は途絶えることはなかったが、結局その正体は明かされずに幕を閉じた。
水にうかぶ三人のサイボーグ、そしてフランソワーズが水を「渡る」ことで出会うジョーの死が水を象徴として暗示されてるように思えた。