J・J・エイブラムスの「スター・トレック」は最良の形のリブートだったと思っている。
「スタトレ」には半世紀を超える歴史があるが、間口を広く大勢に面白さを伝えようという試みは十分に成功していたし、第二作「「イントゥ・ダークネス」では同じ流れの中でカークとスポックという2人の主人公の関係をさらなる先へと推し進めていた。
間口を広げるにはストーリーラインはわかりやすい方がいい。
だから前2作はあくまでもカークの成長と、スポックとの奇妙な友情物語が主軸だった。
エンタープライズ号のクルーは個性的な顔ぶれがそろっているはずなのに、いまいちチームとしての印象が弱かったのも致し方ない取捨選択の結果だったろう。
が、今回の「BEYOND」は違う。
映画の中盤からクルーはいくつかに分断され、互いに連絡が取れないまま最悪の窮地に放り込まれる。
カークはチェコフ、スポックはマッコイ、ウフーラはスールーなどシャッフル的なカップリングが成立し、ああ、このキャラクターはこんな状況でこんなセリフを言い、こんな決断をするのかとそれぞれの個性が見えてくる。
そして「この映画は信頼とチームプレイの物語なのだな」と気づかされるのだ。
「BEYOND」もクルーそれぞれに見せ場を与え、魅力を際立たせながら「チーム=ファミリー」という概念を改めて探索する。
仲間や絆といった定番のテーマを空疎化させないと製作チームは覚悟を決めたのではないか。
そして、そんな第三作にジャスティン・リンと脚本のサイモン・ペッグという座組はピタリとハマった。
チームの再定義というだけでなく、「スタトレ」の世界観にレトロな乗り物や音楽をぶち込んで大いに盛り上げる遊び心があふれているからで、シリーズとしても完全にドライブがかかった感がある。
惜しまれるのは今回いままでになく活躍するチェコフを演じたアントン・イェルチンが急逝してしまったことだが、遺作となった本作が役の上でも仲間に囲まれていることがファンにとってせめてもの慰めになってくれることを願いたい。
「スタトレ」には半世紀を超える歴史があるが、間口を広く大勢に面白さを伝えようという試みは十分に成功していたし、第二作「「イントゥ・ダークネス」では同じ流れの中でカークとスポックという2人の主人公の関係をさらなる先へと推し進めていた。
間口を広げるにはストーリーラインはわかりやすい方がいい。
だから前2作はあくまでもカークの成長と、スポックとの奇妙な友情物語が主軸だった。
エンタープライズ号のクルーは個性的な顔ぶれがそろっているはずなのに、いまいちチームとしての印象が弱かったのも致し方ない取捨選択の結果だったろう。
が、今回の「BEYOND」は違う。
映画の中盤からクルーはいくつかに分断され、互いに連絡が取れないまま最悪の窮地に放り込まれる。
カークはチェコフ、スポックはマッコイ、ウフーラはスールーなどシャッフル的なカップリングが成立し、ああ、このキャラクターはこんな状況でこんなセリフを言い、こんな決断をするのかとそれぞれの個性が見えてくる。
そして「この映画は信頼とチームプレイの物語なのだな」と気づかされるのだ。
「BEYOND」もクルーそれぞれに見せ場を与え、魅力を際立たせながら「チーム=ファミリー」という概念を改めて探索する。
仲間や絆といった定番のテーマを空疎化させないと製作チームは覚悟を決めたのではないか。
そして、そんな第三作にジャスティン・リンと脚本のサイモン・ペッグという座組はピタリとハマった。
チームの再定義というだけでなく、「スタトレ」の世界観にレトロな乗り物や音楽をぶち込んで大いに盛り上げる遊び心があふれているからで、シリーズとしても完全にドライブがかかった感がある。
惜しまれるのは今回いままでになく活躍するチェコフを演じたアントン・イェルチンが急逝してしまったことだが、遺作となった本作が役の上でも仲間に囲まれていることがファンにとってせめてもの慰めになってくれることを願いたい。