『新大陸にも、最古の文明のカラル遺跡(古大陸の大ピラミッドと同時代に)』
「人口には大差があったがどちらも巨大なコンプレックスを構築‼」
ウエブ情報から引用
カラル遺跡(写真―1) VS 大ピラミッド(写真―2)
紀元前: 3000~1800年頃 紀元前: 3000~1000年頃
総面積: 66ヘクタール 総面積: 180ヘクタール
推定人口:数万~十数万人 推定人口:数十万~百万余人
カラル遺跡(写真―1)
ウエブ情報から引用
比較するために、大ピラミッド(写真―2)
ウエブ情報から引用
世界四大文明と同じ時期、南米ペルーで栄えた古代アンデス文明。 2009年に世界遺産に登録された。 カラル遺跡は、66ヘクタールの広さに10のピラミッドが建ち、3千の人々が暮らしていたと見られる南北アメリカ最大規模の遺跡。
カラル遺跡(パノラマ)
ウエブ情報から引用
カラル遺跡(中央部分)
ウエブ情報から引用
南米大陸、ペルー を中心とする 太平洋 沿岸地帯およびペルーからボリビア へつながるアンデス中央高地 に存在した文明。 メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明といったいわゆる世界四大文明などと異なり文字は持たない。 今まで親しんできた、アステカ文明・マヤ文明・インカ文明(特に、古代アンデス文明)をもう少し調べてみたいと再認識しました。
鮮やかな装飾壁画が描かれたカラル遺跡の近くに、ベンタロン遺跡も見つかり、古代アンデス文明のルーツ解明が熱を帯びている。 今回、カラル遺跡・ベンタロン遺跡の発掘調査が進められ、これまで日本で、ほとんど紹介されてこなかった古代アンデス文明の実像に迫り、その起源をめぐる謎の調査が期待されている
ベンタロン遺跡は、ペルー北部チクラーヨの郊外にある約4000~5000年前のプレ・インカの寺院跡。 モチェ文化のシンパンからは約20kmの所に位置する。遺跡の大きさは約2,500平方メートルあり、近くの川の泥より作られたアドベ(日干し煉瓦)によって建てられている。
これらの遺跡、古さではエジプトの大ピラミッドに相当するが、この遺跡の完成度・進化度の差は『ナイル川の年間の水位差10ⅿ前後の大河川の治水に学習し、肥えた三角州の定住農耕で相当の人口、数十万~百万余人を維持できたエジプトと、このカラル遺跡・ベンタロン遺跡を単純な比較は難しい』と思っています。
カラル (Caral) ないしカラル=スーペ (Caral-Supe)は古代アンデス文明の遺跡で、2009年にユネスコの世界遺産リストに登録された。 ペルーの首都リマの北方およそ200kmに位置するリマ県バランカ郡のスーペ谷に残る大規模な遺跡で、研究者たちの中にはアメリカ大陸最古の都市遺跡と評する者もいる。 その評価は完全に定まっているわけではないが、アンデス文明の中でも、カラル文化ともノルテ・チコ文化とも呼ばれる時期の文化の担い手たちの遺跡として、研究が積み重ねられている。
カラル遺跡概要
カラルに定住者がいたのは紀元前3000年頃から前2000年頃のことで、60 ha
以上の広さがあった。 カラルが栄えていた時期は、アンデス文明の時期区分では「形成期」の早期に位置付けられている。 従来その時期は「古期」の後期から末期とされていたが、カラル遺跡やその周辺での神殿の発見が、形成期の始期を遡らせる一因となった。
カラルで大神殿だけでなく多数の住居跡も発見されていることから、南北アメリカ大陸で最古の都市機能を持つ中心部と主張している。 周辺からは同様の遺跡も発見されているが、カラルは3000人以上を収容できたと考えられており、ノルテ・チコ期の発見されている遺跡の中では最大級であると同時に、積極的な研究が進められている遺跡。 カラルはスーペ川流域に発達し、その河口から25 - 30 kmの位置している。
考古学的発見
太平洋岸から約20kmのスーペ谷にあるカラルの大神殿。 この遺跡は現在のカラル遺跡に含まれ、天体観測に関する痕跡などが見られるものだったが、この遺跡は当時アンデス一帯で捜し求められていた典型的な遺物がほとんど出土しなかったことから、20世紀末まではほとんど注目されなかった。
しかし、1994年に、砂漠地帯から神殿建造物群、円形劇場、近隣の住居群をともなう紀元前2500年前後の遺跡を発見してから状況は一変した。 都市建造物群は607,000 平米 の広がりを持ち、広場や住居群を備えていた。 カラルが栄えた時期は大ピラミッドが建造された頃とほぼ同じだが、食糧生産の発達が不十分だった地域での大規模建造物群という点で、非常に特異なものである。
神殿
大神殿は4つのフットボール競技場がほぼ入る広さで、高さは18 m である。 カラルは紀元前2000年以前のアンデス地方の遺跡としては最大級であり、4千年紀にわたって失われ、従来未解明のままだったアンデス文明形成期の都市計画の見本といえる。 カラルはアンデス文明の起源と初期都市群の発展にまつわる謎の解明に寄与してくれるかもしれないと信じられている。
カラルを含むスーペ谷には80 km2の範囲で他に19もの神殿群が散在している。カラルの収容人口は3000人だが、スーペ谷に散在する19の神殿遺跡群全体では、2万人を収容することが可能だった。 スーペ谷のこれらの遺跡全体はカラルとの類似性を持っており、小さな祭壇ないし環状列石をそなえている。
結び目のある繊維(後期インカのキープの起源か)
カラルでの出土品の中には結び目のある繊維の断片も含まれていた。 発掘者たちの中にはキープ(結縄)の一種とする者もいる。 こうした出土品は、インカ帝国で大成することになる縄の結び目を使った情報記録システムであるキープが、以前に想定されていたよりもずっと古い起源を持つことの証拠であり、インカとカラルに文化的な連続性があった可能性すら想定しうるという。
円形広場跡
ウエブ情報から引用
カラルでは、武器や戦いを想定した胸壁、あるいは戦いで損壊したと思われる人骨といった争いの痕跡は一切見つかっていない。 その一方で、祭礼の中心地と推測されている円形広場跡などからは、コンドルやペリカンの骨でできたユーモラスな人面線刻のある32本の笛や、鹿やリャマの骨でできた37個のコルネットも発見されている。つまり、カラルが交易と歓楽に立脚した穏やかな社会であったことを示唆している。 また、骨のビーズの首飾りをつけて埋葬された嬰児も発見されている。
薬物の使用の痕跡も発見されており、媚薬の可能性が指摘されている。 コカも発見されており、カラルが組織的なコカの流通拠点として伸長した可能性を示しているのではないかと推測する研究者もいる。
エジプトの大ピラミッドコンプレックスに、匹敵する広さと古い歴史を持つ、カラル遺跡・ベンタロン遺跡はこれからも興味は尽きません。
(記事投稿日:2021/10/13、#404)