『政権交代のごく少ない日本こと(民主党政権の失敗の理由)』
「普天間基地の移設問題と幹部二人に関する金銭疑惑で支持率下落」
ウキペディアより引用
二大政党制を維持できない日本。 30数年続いた『二大政党制である55年体制』と言われるが、実質的には『事実上の自由民主党一強だった』。
この体制成立の背景は、『連合軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領下の日本において、GHQ指令により無産政党(日本社会党や日本共産党など)が合法化される一方、同時に保守政党が乱立する事態が発生した。』
その後、20数年続いている、実態は『一党優位政党制』だが、こうは呼ばず、『一党優位政党制』は使わず『一強政治』、『一強多弱』、『一強他弱』等で読んでいます。
一党優位政党制
一党優位政党制(英語:predominant-party system)は、競争的な選挙の下で、一つの主要政党が投票者の多数に支持され続けることによって、政権を握り続ける政党制で、一党優位制とも。 イタリアの政治学者ジョヴァンニ・サルトーリが1970年代に提唱した概念。
鳩山政権の崩壊には2つの大きな理由があったことを確認しておきましょう。1つは普天間基地の移設問題であり、もう1つは鳩山・小沢両氏に関する金銭疑惑で支持率が下落したことです。
政権の崩壊、交代にはいつもそれなりの理由があるが、一党の超長期政権の継続にも訳がありそうです。
先ずは、二大政党制である55年体制の対立構図の完成
自民党は結党当時から与党として存在し、それ以降も1993年の衆議院選挙で過半数を割るまでの38年間単独で政権を担当することになる。 「吉田派」対「反吉田派」、「党人派」対「官僚派」、「戦前派」対「戦後派」など複雑な派閥対立要素が絡んでいたため、三木武吉は「10年も一党体制を維持できればマシな方だろう」という程度の認識だった。 結党から最初の総選挙となった1958年 (昭和33年)の 第28回総選挙で、自民党は追加公認を併せ298議席を獲得(定数467)。 社会党は同167議席で、両党で議席の99%以上を占めた。 こうして自民優位の二大政党制である55年体制が成立した
二大政党制である55年体制の終焉
二大政党制である55年体制の問題点は?『事実上の自由民主党一強だった』
自由民主党が強かった。 吉田学校出身者は特にそうで、池田勇人の「国民所得倍増計画」、佐藤栄作の「非核三原則」、そして田中角栄の「日本列島改造論」と「日中国交正常化」は国民生活に支持されました。 何よりも彼らが強すぎたのもあるでしょう。
アメリカやイギリスと異なり、資本主義と社会主義という対抗を軸にした二大政党であったことや、社会党が衆議院で多数党になることができなかったこともあり、政権交代は長らく実現しませんでした。 しかし1993(平成5)年の衆議院選挙で自民党議席数が過半数を割ったことで、55年体制は崩れたのです。
『一党優位政党制』は使わず『一強政治』『一強多(他)弱』という日本
日本の政治は55年体制の成立以降、現在まで自由民主党(自民党)による一党優位政党制に置かれている。 一党優位政党制は一党独裁制やヘゲモニー政党制とは異なり、政権はあくまでも民主主義的かつ公正な選挙で選ばれるため、政権交代は理論上起こり得るし、実際に起こることもある。
一党優位政党制は、野党が国民から疑問視されることにより成立する。 弊害として、国民が惰性で与党に投票し続けることにより投票率が低下する。 低投票率は国民がある程度政治に満足している結果でもあり、それ自体が悪いわけではないものの、与党系圧力団体の組織票の影響力が増大するため、政治が圧力団体により左右されやすくなると言える。
しかし政権交代を達成した野党(新与党)の政権運営は、そのノウハウが無いため稚拙であることが多く、短命に終わるばかりか次の選挙ではその党が一層疑問視され、政権復帰を果たした与党による一党優位政党制がさらに強まる傾向にある。
日本でも、自民党から政権交代を果たした政党のほぼ全てが、次の自民党政権時代の離合集散により消滅している。
この傾向は、選挙制度と国民の意識なのか、傘寿の爺には何とも言えませんが、
米国の大統領選挙のように『1963年大統領政権移行法(PTA)における政権移行プロセス』のように、対立候補間で選挙前の模擬引継ぎをやることも一策ではないかと思います。
米国の政権移行(ウエブ情報から引用)
政権移行において、次期大統領とそのチームは、政権発足を目指し、ホワイトハウススタッフの人選、ホワイトハウスを中心する意思決定プロセスの設定、4000 人にも及ぶ各省庁の政治任用者(1200人の上院承認人事を含む人選、引継ぎに係る各省庁との協議、政策プラットフォームの策定、立法戦略を含む政権発足当初の行動計画の策定、コミュニケーション戦略の策定などを行う。 一般投票から就任式までの2カ月半の期間でこれらの作業を進めるという時間制約もあり、政権移行の作業は非常に複雑で、かつ大きな 困難を伴う。
日本の場合も、この模擬引継ぎをやれば『ヒト・モノ・カネ・時間(期日)』が『より定量的』に表現されることになると思います。 昔、公約を、少し具体的にしたものを『マニフェスト』という用語を使った政党がありましたが、今は使われていません。 公約には、具体的・定量的に『ヒト・モノ・カネ・時間(期日)』を、できるだけ明記して欲しいことが、傘寿の爺の願いです。
(記事投稿日20211015、#408)