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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

続編「この事件、どちらが正しくてどちらが誤っていると思いますか?」

2025年04月19日 | その他オピニオン
 表題の「事件」に関する記載の一部を、以下に再掲載させていただこう。


 この原左都子が3月中旬から3月終盤まで2度に渡って、郷里の実母の「統合失調症」発症に伴う各種処理のために郷里の高齢者施設へ出向いた事実に関して、本エッセイ集ファンの皆様はご存じの事と心得ます。
 
 その後、未だに解決していない事象が存在する。
 それは、実母が負担するべき「施設引越に伴う費用」に関してなのだが。
 引っ越し荷物輸送会社に支払うべく費用合計が、10万円程発生していると施設及び実母から聞いていた。

 この私、郷里での実母の引っ越しに伴って発生した過労・心労により、郷里の宿泊ホテル内にて倒れ、救急搬送の身になったことに関しては既に述べている。
 その私の救急搬送・入院に関しては、実母も施設の担当者の方々もご存じなかったようだ。 次の日には、航空便にて東京に戻れるとの日程の最終日の出来事であったが故だ。
 何分救急搬送だったし、この私は一時記憶を失う事態となっていたため。 搬送時には何の荷物も持てずに(一応、小さなハンドバッグのみは救急隊員が気を利かせて持参してくれた。)入院に至っている。
 その記憶も時間とともに徐々に戻り始め、搬送後2日目にはかなり元気になったと、私自身は診断した。
 昼前にはお腹もすき始めたので、私から医師に要望を出した。
 「私はこの通りもう大丈夫ですので、点滴類を全て外して昼から通常の食事をいただけませんか? そして願わくば、本日中に退院させてもらって、その足で東京に戻りたいです!!」
 これにYES回答を主治医が出して下さった!!
 大喜びの私は、午後3時には主任看護師氏に付き添って頂いてパジャマのまま宿泊ホテルに戻り、帰り準備を整えて航空便にて無事に東京に戻った!!😃
 その日の昼間の出来事だったのだろうか?
 東京の亭主が言うには、「実母の前の施設の施設長から電話があり、実母の引っ越し費用の半分を我が家(原家)が負担して欲しい」とのことだ。
 未だ私は郷里の救急搬送病院に入院中の電話で、亭主が電話をかけて来た施設長に、私が現在救急搬送されて病院に入院中である事実を伝えると。
 当然ながら 施設長は大変驚いた様子ではあるものの。 とにかく実母の引っ越し費用の半額は我が家が支払ってほしい旨を、確固として伝えたと言う。😟 😖
 その話の内容が解せないまま、私は東京に帰ったのだが。
 何故か、その費用負担の請求書が未だ届いていない?!?!
 私としては直観的に、(やはり、施設長がその費用を東京の原家に負担いただくのはおかしい、とやっと思い直してくれたか)と思いきや。
 そうではなくて。
 一昨日 その運送会社から電話があって、やはり「その費用負担は東京の我が家が負担することになっている」、との返答だ。
 どうしても腑に落ちない私は、果敢にもその運送会社の責任者に訴えた。
 「今回の実母の引越は、実母がまいた失態故の措置だ。 それは実母も理解できていて、実母が全額費用負担するはずだ。 何故、何らの関係も無いと言うよりも、実母がまいた失態の後片付けのために郷里に戻って救急搬送になる程に身体に大打撃を受けて入院した私が、半分費用負担せねばならないのか?!! その入院費用とてままならない金額だったのに!!
 どうしても負担せよと言うならばそうするが、それは一体誰が決めたのか??
 実母の元の施設長が決めたとして、私は合点がいかない! そもそも、実母の失態故の引っ越し費用であることは理解しているが、そのしりぬぐいを、実娘の私が負担せよといいたいのか?? それとこれとは、理屈が違うと私は主張したい!!」
 そうこう言いつつも、その運送会社の責任者も至って善良な方の様子なので。 結果として、実母の次女であるこの私が全額負担するとのことで一件落着させた。
 で、それから丸2日が経過した現在、どうした訳か未だにその「請求書」が我家に届かない。

 一体どうなっているんだ?!?!

 (以上、元エッセイ集バックナンバーの一部を要約したもの。)


 
 さてさて。

 当該“事件”発生より既に半月程の日数が経過している。

 この「事件」の中で、原左都子自身が一番 “引っ掛かっている”のは以下の部分だ。 復習しておこう。
 「実母の前の施設の施設長から電話があり、実母の引っ越し費用の半分を我が家(原家)が負担して欲しい」とのことだ。


 1週間ほど前のことだっただろうか?
  
 これがどうしても引っ掛かっている私故に、当該施設長氏に私から電話を入れた。
 そして尋ねて、「施設長さんが私に、引っ越し費用の半分を原家の私に負担して欲しいとの連絡を、私が救急搬送入院中に東京の亭主宛に頂いた事実は私も把握しています。 この事実を怪訝に思った私が、その旨を輸送会社の責任者に告げて、『本当に私が負担するべきと思われますか??』なる一言を付け加えさせていただきましたところ。それ故かどうかは不明ですが、未だに私宛に請求書が届きません。」
 この私の言い分に、施設長氏が返して。 「いえ、これから届きますよ!」 

 そのかなり強気の施設長氏発言に、驚き呆れつつも。
 一応、「そうですか。 それでは請求書が届きましたら、お支払いいたします。」

 と応えて後、さらに1週間が経過しただろうか?? 請求書が届く様子が全く無い…

 原左都子としては、この結論は出ている。

 私の推測では輸送会社の判断で、原左都子には「支払い責任が無い」と判断してくれたものと把握している。



 最後に、原左都子なりの正しい責任分担を考察しよう。

 この事件に於ける「支払い責任」は全額 郷里の実母にあるに決っている!のだが。
 その実母が、既に自身で(軽い認知症・統合失調症等の理由で)金融機関へ行けない身だ。
 それをカバーするべく、現在実母が入居中の新たな施設の施設長が、実母の金融資産の全てを管理してくれている。

 その新たな施設にて保管してくれている実母の資産の中から、今回の出費を補うべきであり。 私の想像では、既にそのように実行してくれたものと想像している。

 その辺の資金の流れに関して、実母が以前入居していた施設長氏が未だ把握できない段階で。
 今回実母のフォローのために、郷里を訪れた次女の私に「貴方が支払うべき!」なる電話を、焦って寄越してしまったのではないかと結論付けている。

 
 話題を変えるが。
 都会暮らしの義母(既に2月に死去)が入居していた高齢者施設など、大手企業の運営だったし、入居費用が過疎地郷里の施設と比して桁違いに高額だったこともあり、その辺の金銭管理が完璧だったものだが。

 そうではない過疎地の高齢者施設では このような事件も起こり得るのだろうと、今となっては想像しているのだが…


「原左都子エッセイ集」としては、今後もとにかく マイペースでエッセイを綴りたい!!

2025年04月18日 | 自己実現
 当該gooが近いうちに閉鎖措置をとるとのことで。


 gooブロガーの皆さんも、現在それぞれに混乱されていることでしょう。

 ブロガーとしてのポリシーは人それぞれ多様であり、個々のブロガーさんが進むべき道程を今後選択して決定されていくのでしょう。

 未だに 次なる我がブログ受け入れ先に対する何らの方針も希望も抱いてはいない「原左都子エッセイ集」ですが。

 
 goo編集画面を見ますと。
 既にgooブロガーを受け入れて頂けるとのブログ媒体の名称が、2社ほど並んでいますね。

 おそらく、それらのブログ媒体に移られるgooブロガーの方々が多いのでしょうかね…

 例えばその1社は、24時間以内で「ブログ移転」が可能との事。

 ブログ媒体自体にさほどのこだわりがないというのか。 
 そもそも、「原左都子エッセイ集」を今後も私の意思に従って綴らせてもらえるのならば、何処の引っ越し先でも良いかな?? と軽く捉えいている私の場合。
 もう面倒臭いから、そのうちの一社に「決定!!」との考えも脳裏をよぎっている。

 むしろ、次なるブログ媒体を選ぶのに時間を取らせられる事態は避けたいし。
 そもそもネット自体に未だ不慣れな身であるとも言える、お粗末な我が身を振り返ると。
 ましてや、70歳が近づいている自身の立ち位置を考慮しても。

 ここは、何のわがままを言う立場には全くないし。

 すんなりとブログの移転が叶って。 
 次の日(24時間以内)には、次なるテーマのオピニオンエッセイを書いて公開できるところがベストなのかな?? と思ったりもする。


 いや、ホントだ!

 gooブロガー受け入れ先の候補に挙がっている某社は。
 24時間以内に受け入れ作業を終了して、ブログ記事を書かせていただいて即時公開して下さるのならば。

 そこで決定かな?!?!

 とも、至って素直に考えている 現時点の 原左都子 である。
 

昨日、2月に亡くなった義母の「不動産貸付業・青色申告」引継ぎ作業に亭主と行ってきました。

2025年04月17日 | 仕事・就職
 4月中旬のこの時期に、税務申告(今回は「青色申告」だが)のために青色申告会場へ行くのは珍しい事であろう。
 
 冒頭表題の通り、義母の死後は我が亭主が(「メゾン原」物件の)「不動産貸付業」を引き継ぐが故の申告なのだが。


 この義母の「(メゾン原)不動産貸付業」の青色申告は 既に12,3年前から毎年、義母の嫁である私が担当して実施してきた。

 何故かというと、(過去に幾度も本エッセイ集内に記載しているが)この原左都子は2度目の大学(大学院)にて「経営法学修士」を取得し、国税庁に「税理士試験税法3科目免除申請」を提出しているため。  まあ、一般人よりも多少は税務関係処理が可能であるとの理由によるものだ。


 さて、昨日某青色申告会場に到着してみると。
 さすが 確定申告の時期ではないため、青色申告会場はいつもよりはかなり空いている。

 待ち時間なく 担当の税理士氏にお世話になりつつ、亭主の「不動産貸付業・青色申告」作業が進められたのだが。
 いやはや、いつもの定例の「確定申告」時期の申告よりも ずっと長時間の作業を要した。😫 

 いつもは 私自身が実施しているその「青色申告」作業を、今回はプロの税理士氏が全面的に実施して下さるのを横目で見つつ。
 義母亡き後の「引継ぎ申告」とは申告するべく項目が多数であり、長時間を要するものと初めて悟った。


 それまでに要した時間は、2時間以上に及んだだろうか?

 やっと申告作業自体は終了したものの。

 (生前の)義母と亭主の住居地が異なるとの事で。
 何処の「税務署」に提出するか? との新たな課題もあり。

 結果として、提出は亭主(と私の住まいがある)自治体の税務署に提出するのが正解らしく。

 それを持ち帰り、本日亭主がそれを提出しに行ったとの結論でした。



 これ、来年以降の 正規の「確定申告」(青色申告)時にはどうするのだろう???  なる疑問も残るが。

 その正規の「青色申告」に関しては、(今は亡き)義母のそれを十何年間に渡って実施したこの私が、担当し続けるのであろうことは承知しているが。


 その申告書類を、もしも地元の税務署に提出せねばならないとすると。

 その申告書類提出係は 是非とも亭主に担当して欲しい、と願う私だ。 😷 


しかしまあ ここのところの原左都子、“踏んだり蹴ったり状態”で身が持たない…

2025年04月15日 | 自己実現
 この我が状態に追い打ちをかけたのは、“gooブログサービス終了”なのだが…

 それは少し、おいて置かせてもらおう。


 義母が2月に他界、3月に葬儀・墓入れを終えて。

 今度は3月中旬に、郷里の実母が「統合失調症」を患ったとの連絡。
 これに関しては3月中旬より2度に渡り、私が郷里を訪れてその後始末をさせられる身となり…
 あまりのハードスケジュールで、私自身が過労・心労にて郷里のホテルにて倒れ、救急搬送される始末… 
 やっと身体が回復して、何とか東京に帰りついたと思いきや。
 何故か郷里実母の施設長より、実母の引越片付け作業にかかった費用の半分を東京の私に「支払え!」との命令宣言。 (これは未だに片付いていない、と言うよりも。 運送会社よりいつまで経っても「請求書」が届かないため支払えない状況。 そもそも理不尽な話だし、運送会社も困惑しているものと予想するが…)


 そして、今現在の我が最優先課題は。

 義母の「青色申告」だ。

 今年の2月中に義母が死去し、その義母の1月分の「不動産貸付業」青色申告を 明日成さねばならない。

 義母の「不動産物件」の相続人は我が亭主なのだが。
 とにかく 既に12年程前より、この私が義母の「不動産貸付業・青色申告」を専属で実施している。 (私が50代頃に、国税庁に「税理士試験税法3科目免除申請」を提出してそれが受理されている。 要するに、税理士試験の半分を取得しているのと同意義のため、原家の税務申告業務を私が主体となって実施しているとのことだが。)
 今回のその亭主の相続に当たる青色申告を、明日成すとのスケジュールだ。

 通常「青色申告」や一般の「確定申告」は、2月頃から3月にかけて実施されるのだが。 
 今回のように本人が死去した等々の場合は、随時青色申告を実施せねばならないこととなっていて、それを明日実行するとのことだ。

 この義母の死後の青色申告を つい最近から着手して、やっと明日の申告に持ち込んだわけだが。


 こんな時に、gooブログからの「全面的サービス終了のお知らせ」が昨日届くとの我が運命…

 当然ながらこれに関しては、後回しだ。
 とにかく、明日の義母の死後の「青色申告」を片付けてしまわねば!


 そうだとして、その青色申告の最終見直し等を成しつつ。
 
 どうしても我が脳裏には、今後の“ブログライフ”に及ぶ。



 本日、少しだけそのgooの今後の終了スケジュールを垣間見るに。
 
 例えば 製本化したい場合にも、各種の制限がある様子だし。

 他のブログ媒体に依存するにしても、そのやり方がまるで分らない。(あくまでも原左都子の場合は、の話だが。)
 特に「原左都子エッセイ集」の場合は2007年9月開設のため、ブログ本数が膨大過ぎて。 製本化の場合、対象エッセイを絞り込まねばならないのだろう。 例えば、「時事論評」「学問・研究」カテゴリーエッセイのみとか…???

 そんなこんなを考えていると、実際頭が痛くなるのだが…

 もうすぐ70歳を迎える身になって、ブログの移動等の厳しい状況下におかれるとは思いもしていなかったが。


 まあとにかく、明日の我が業務である“義母の死後の青色申告”及び、亭主のそれの引継ぎを無事に終了させるのが先決問題だ。

 明日はそれに集中しよう。 
 

「gooブログ終了のお知らせ」に、今は ただただ驚いています…

2025年04月14日 | その他オピニオン
 つい先ほど、その「お知らせ」を拝見したばかりです。

 そんなこともあるのですね。

 「原左都子エッセイ集」の場合は、2007年9月の開設でしたので。
 ほぼ18年の年月に渡り、gooにお世話になった計算となります。

 原左都子の現在の「総括」としては。

 十分に納得のいくブログライフを18年の年月及び実行することが叶った、との結論になるでしょう!!

 あと半年ほどで、70歳を迎える身の私ですが。

 実は、今後今まで通りに「オピニオンエッセイ」を綴り公開することが一体いつまで叶うのか???
 なる、揺らぎの心理も脳裏にあったのが本音です。

 しかも、人間関係が実はあまり得意ではない原左都子でもありまして…

 gooブログ上にエッセイを綴って公開し続ける事に関しては、元々ある程度自信があったのは正直ですが。

 それに伴うブロガーの皆様とのお付き合いに関して、悩み多き時代もありましたし。
 それが故に、当の昔に「コメント欄」を閉鎖したのも事実ですし…
 
 まあそれでも エッセイを綴って公開することに関しては、十分に積極的に実行できたこの18年間であったと振り返ります。


 そうですか。
 gooブログは、どうしても閉鎖の運命にある訳ですね。

 今後の身の振り方は、gooブロガー 個々人の課題となるとのことですね。

 考えようによれば、これが契機となって。
 私の場合は、「原左都子エッセイ集」のさらに明るい未来展望もある得るとも捉えられますね。


 分かりました。

 これを良き契機として。

 今後の「原左都子エッセイ集」の行く先を、私なりに冷静に見つめてみましょう!!


 必ずや、このまたとない機会を。

 原左都子の更なる発展のために、活かしたいと。

 無力ながらも、展望したりもする今現在です。