原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

我が娘も小学校入学直後の下校指導時に“行方不明被害”に遭った

2022年03月31日 | 教育・学校
 最近、以下の情報に触れることが多い。


 早速、ネット情報より「保育中の『置き去り』、実態把握へ 後藤厚労相 調査して対応検討」 
 保育園の散歩中、園児を公園などに置いたまま気づかずに戻ってきてしまうといった保育中の「置き去り」事案について、後藤茂之厚生労働相は29日、各自治体がどの程度把握しているか調査する意向を示した。施設側に報告を求めていない自治体も多く、実態が分かっていなかった。
 この日の閣議後会見で後藤氏は「各自治体においてどの程度把握しているかサンプル調査をすることとしたい。その上で調査の結果を踏まえ、対応を検討したい」と述べた。時期は未定としつつ、「急いでやりたい」とした。
 朝日新聞の取材によると、「置き去り」など保育中に園児が一時的に行方不明になる事案は、東京都に報告されただけで2017~20年度に94件あった。ただ、国は死亡など重大な事故の場合には自治体を通じて報告を求めているが、「置き去り」の事案は施設側に報告を求めていない自治体も多い。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 このニュース報道を読んで、我が脳裏には娘が小学校に入学した直後の学校による「下校指導」中に行方不明被害に遭った事件が蘇った。

 娘が小学校へ入学して最初の土曜日の事だっただろうか。

 その日は新入学1年生全員対象に教師の指導の下「下校指導」を執り行うとの事で、保護者へは登校班ごとに指定された場所まで迎えに来るように、との指示があった。

 さて、その場所へ行って登校班の帰りを待っていると、その集団がやってきた。
 父兄に子どもが引き渡された順に各自自宅まで帰路につくのだが。

 もうすべての生徒が帰宅したにもかかわらず、いくら待っても我が子の姿が見えない。
 我が子の班の担当教師にその旨を告げると。
 「間違えて、どこか違う班にでもまぎれて帰ったんじゃないですかあ?」
 この言い方があまりにも無責任と感じ呆れつつも。😨  当時は未だ携帯電話が普及していない時代で、教員も連絡の取り様がないのだろうと考え。

 我が子の事がとにかく心配で、取り急ぎ我が家へ帰ることとした。
 その日は亭主が土曜休日だったため、とりあえず街中の公衆電話から家に電話をしてみると、亭主から「いや、まだ帰っていない」との返答。
 困惑したが、これは私も一旦自宅に帰るべきだろうと思い直し自宅への道を急いだ。
 やはり娘は帰宅していない。
 悪い予感がしつつ、亭主と話し合って学校の担任教師(ベテラン教員だったが)へ電話を入れることとした。
 そうしたところ、その担任からタイミングよく電話が掛かってきた。
 そして言うには、「〇〇ちゃん(娘の名前)の登校班担当の教師より事情を聴きました。 申し訳ないことにその教師がこの春着任した新任であり、適切な対応が出来なかったことをお詫びします。 この時間になって未だ〇〇ちゃんが帰宅していないとすれば、警察に捜索願いを出すべきと考えます。…」 
 
 とその時、タイミングよくオートロックの1階玄関に娘が辿り着いたようだ。 そして無事に上階の我が家に帰宅した。
 
 娘が言うには、「友達の▽ちゃんが自分の班で一緒に帰ろ、と誘ってくれるのを断れなくてその班について行った。 いつもお母さん(私のこと)と一緒に行っている公園の近くを通ったので自分の家の場所が分かって、その後は一人で帰ってきた。」

 その成り行きをずっと電話口で待ってくれていたベテラン女性担任先生に告げると。
 涙声で「よかった、本当によかった。 それにしても〇〇ちゃんは口数は少ないけどとてもしっかりした子どもさんです。 そうだとして今回の事件はあくまでも学校側の責任ですので、今後下校指導時の教員対応を即座に見直します。 ご両親にはご迷惑をかけたことをお詫びします。」

 もちろん、親とて我が子を叱る訳などない。
 我が子の発達障害は、昔からまさに寡黙過ぎることが突出しているところに特徴がある。 
 担任先生がおっしゃる通り、我が娘の小さき頭脳の冷静な判断で、いつも連れて行っている公園を起点として我が家へひとりで帰り着けた事実を重々褒めてやったものだ!



 話題を冒頭の保育園の“置き去り”問題に戻そう。

 我が娘の事件の場合、娘は既に6歳だった。
 それに比して保育園となれば、もっとずっと幼少の子供たちであろう。

 その幼な子たちを現地に「置き去り」にして監督者が保育園へ戻る、事件が多発しているのだと!

 いくら今まで刑事事件等は発生していないといえども、これは捨ておけない課題である。
 
 政府がその対策を急ぐべきなのは、至って当然のことだ!!


またもや高齢者施設に暮らす義母より“意味不明”の電話

2022年03月30日 | 人間関係
 昨日午前中のことだ。


 高齢者施設に暮らす義母から電話が掛かってきた。

 難聴と認知症を抱える義母との電話での会話は、もう既に3年程前より成立していない。  
 それでもどうしても親族と話がしたい意向の義母から、頻繁に電話が掛かって来る。
 以前より特に私(女の)声が聞き取れないと義母が言うため、義母からのすべての電話には亭主が出て対応する取り決めがなされている。


 ところが、昨日は「どうしても〇子さん(私の事)と話したい!」との義母のたっての願いで、私が電話口に出た。

 義母の話中心にその聞き役に徹していると。

 とりあえずの話の内容は、3週間後に控えている耳鼻科受診の件だった。
 どういう訳か、義母はこの耳鼻科受診に関してのみはきちんと把握できている。 私が思うに、この日のみは私が始終付き添って懇親的に世話をするため、義母にとっては嬉しい一時なのであろう。 どうやら、今現在の義母はこの耳鼻科受診日こそが最高の楽しみの位置付けになっているようだ。

 この件に関しては短時間で話が終って、ホッとしていると。

 次なる課題が、厄介だ。
 義母曰く、「あのねえ、駒込の家(現在改築してすべての部屋を「メゾン原」として賃貸運用中)の1階を入ったところにタンスがあるのだけど、その中に(義母自身の)葬儀の時に着る浴衣をしまってあるのよ。 それから、帯締めもそこにあるから、あれを私の葬儀までに取り出して用意しておいてくれる?」

 私としては、想定内の電話内容だ。
 既に過去の記憶が頭の中でごちゃごちゃになっているであろう義母の脳内が手に取るように分かる私が手短に応えて、「分かりました!そのようにしておきますので安心して下さい。」

 義母の話はまだ続く。
 「それからね。 私は携帯電話を新しくしたいのだけど、息子(私の亭主のこと)がどうしても携帯電話は私には聞こえないから、と言って持たせてくれないのよ。(この件は私も百も承知で、亭主の判断は大正解!と同意している。) きっと携帯電話のお店に行けば、私でも聞こえる電話があると思うのよ。」
 この義母の希望に関しては、私からは答えにくい。 きっぱりと「今のお義母さんでも聞こえる電話など何処にも売っていないですよ!」と言ってしまえば簡単だが、さすがに嫁の立場でそれは控えた。 
 今回は、とにかく義母が私の声が聞こえないのをラッキーとして、この件には回答せずにうやむやなままで電話を切った。

 その後、亭主に「何で私にお義母さんからの電話を回すのよ! 義母に関しては息子のあなたが最終責任を持って欲しい! 私だって郷里の実母の面倒をみている(実母に関しては未だ認知症が無く大した面倒でもないが😛 )のだから、お義母さんからの電話を無責任に私に回されても迷惑だよ!」 
 と言いつつも、まあたまには私が義母の電話の相手をしてやらねば、亭主も身が持たないことは分かっちゃいるが…

 
 それにしても認知症と難聴以外は、実に元気な義母だ。
 これ、この調子で一体いつまで生きるつもりなのか???

 義母からの迷惑電話の都度、正直なところそればかりを思ってしまう憂鬱な私である…
 

ロシアのウクライナ侵攻は、冷戦後の秩序作りに国際社会が失敗した証し

2022年03月29日 | 時事論評
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.03.28付記事「記者解説 危機の30年とロシアの侵攻」より転載したもの。)


 今回のエッセイ表題は、上記 朝日新聞編集委員・三浦俊章氏による記事の本文より拝借したものです。


 それでは、「冷戦後の失敗教訓に 秩序再構築を」と題する記事の一部を以下に引用させていただこう。

 ロシア軍のウクライナ侵攻を伝える映像には、目を疑う。 第2次世界大戦後に長く続いていた欧州の平和は崩れた。 20世紀の悲劇の再現ではないか。
 1989年にベルリンの壁が崩壊した後に東ドイツに入った。 歓喜と未来への楽観があふれていた。 西側は冷戦の「勝利」に酔い、市場経済と民主主義が世界を覆うと信じた。 しかし、グローバル化は貧富の格差を広げ、国家間対立は深まり、専制主義とポピュリズムが台頭した。 そのあげくのウクライナ侵攻である。 プーチン大統領は核の使用をちらつかせる。 米ロの全面対決になりかねない。
 20世紀には二つの世界大戦があった。 両者の間はわずか20年。 当初は平和な世界をつくろうと理想主義が盛り上がったが、経済恐慌を機に暗転、破局と落ちていった。 この時代は「危機の20年」と呼ばれる。我々もまた、冷戦終結後の歩みを「危機の30年」として捉え直す必要がある。
 戦争を引き起こしたのは、異形のプーチン独裁である。 だが過去の大戦争がそうであったように、危機の要因は複合的だ。 勝者の傲慢、敗者の怨念、指導者の誤算など、様々な要素が重なった。 (途中大幅略)
 プーチン氏は今の西側には軽蔑しか抱いていない。 「多様性を重んじ、移民を受け入れる自由民主主義の時代は終わった」と言う。 中国の習近平氏も、西側に対する中国式統治の優位を信じている。 (途中大幅略)
 わずかな救いは、従来の戦争の時代にはなかった国際世論とよぶべきものが生まれつつあることだ。 SNSのおかげで、進行中の戦争を世界中の人々が同時に見ている。 対ロ制裁で西側の実像を知った国際世論の後押しがあってのことだろう。
 その国際世論の輪に、ロシアの国民を加えねばならない。 情報統制下にある人々に、外国からの放送やメールなどをあらゆる手段で、ウクライナの真実を伝える努力が急務である。 ロシアの暴走を最終的に止められるのは、ロシアの国民なのだ。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 冒頭写真「冷戦後の世界の歩み」に目を移そう。

 ❶の「米国同時多発テロ」は、この原左都子もいまだかつて忘れられない光景として、脳裏に刻み込まれている。
 当時、国立研究開発法人・理化学研究所にて研究助手として日々実験に励んでいた時期だったが。 家に帰宅して夜9時前にテレビを見ていたら、画面が米国ニューヨークの超高層ビルに飛行機が突撃する生映像を映し出すではないか!
 最初、これが生映像のニュースだとは気づかず、映画の一場面か何かでも放映しているのか?、なる錯覚を抱いた。 そうしたところ、もう少し時間が経過した時に、もう一つの超高層ビルに2機目の飛行機が激突した!
 やっとテロ行為の生映像であることを悟った私は、この世のものとは思えないそれらの映像に強い衝撃と“世も末感”を抱かされたものだ。
 その夜は寝られず、浅い眠りで目覚めた私が理研へ出勤すると。
 いつもは何らの声掛けもしない若き男性上司が、私に話しかけてくる。「昨夜のニュースは衝撃的でしたね!」 
 それ程までに“世紀末”感があった出来事だった。

 ➋のリーマンショックに関しては、関係者・被害者の皆様には申し訳ないのだが、私自身は特段の被害を受けていない身に付き割愛させていただこう。

 そして❸、現在も悲惨な状況が続くプーチン氏によるウクライナ侵攻だが。
 これ、私にとってはもしかしたら❶の「米国同時多発テロ」事件よりも辛いかもしれない。
 いえいえ、犠牲者の数はもしかしたら同等程かもしれないが。 とにかくプーチン操るロシア軍の戦禍から逃げ惑いそして殺戮される何の罪もないウクライナの庶民の方々の姿が、何とも痛まし過ぎる…

 これをもう既に、メディア映像にて1か月以上見せられ続けているだろうか?
 こんな理不尽な出来事があって許される訳もないだろうに。

 それでもロシア大統領のプーチン氏は、執拗なまでにウクライナ人民を攻め続けている。

 上記引用文中に、現在世界規模で発展しているSNSの恩恵に関しての記載があるが。
 私の感覚では、それがプーチン氏に届いているとは考えられない。

 ただ、確かにロシア国民にSNSメッセージが届いているとすると、良心あるロシア国民間で「ウクライナ侵攻反対!」の動きが今後広がるのかもしれない。?? 
 (いや、ロシア国民にとってはその反動は大いなる危険性を伴うかとも懸念するし、既にロシア国外に脱出している国民もいると見聞するが…)


 まったくもって、プーチン氏によるウクライナ侵攻問題の先が見えにくい厳しい現状だが。
 少なくとも他国に住みながら、この異様な侵攻を阻止したい人間に出来ることとは。
 力無きことは重々承知の上で、自分なりにその思いをネット上で発信することしかないと結論づけて。
 
 本日も、そのエッセイを綴り公開した次第です。

28歳独身 我が一人娘の“独立宣言”の春

2022年03月27日 | 自己実現
 本日のエッセイは、昨日公開エッセイの続編の形となるが。


 昨夜は、表題の件で娘と2人でじっくりと話し合いを持った。

 この件に関して娘に話しかけるに当たり、母親の私としては(さっきと娘の考えが変化している)ことを内心期待してその行動をとるのだが。
 どうやら娘側の、親からの自立の決意は本物の様子だ。😭 

 ここは、母親としても腹をくくって話し合いをするしかない。


 一晩寝て本日になれば気が変わるかと思いきや。
 娘の本気度は、本日も何ら変化がない。

 元々強情なところがある娘だ。 (誰に似たかって? そりゃ、母親の私のDNAを受け継いだに決まっていることは認めるよ。)😝 
 娘の発達障害の一番の特徴は、寡黙過ぎて人とのコミュニケーションが苦手なところにあるのだが。
 だからといって自己主張を一切しないどころか!  「嫌なことは嫌!」との態度表明は家庭内でも物凄いものがある。
 現在の職場でも、いつも静かにしているから大人しい子なのかと皆さん最初は勘違いする様子だが。 一旦納得できないことがあるとその反発力はきちんと発揮して、絶対に首を縦に振らない強情さがある点を周囲の皆さんが学習している様子で、親としてもそれに安堵している。


 それにしても、如何なる理由で我が娘がこの春家族からの「独立宣言」を実行に移そうとしたのかが気になる。

 これに関して母親なりに考察してはみるのだが。
 特にマイナス面において、特段思い当たるふしが一切無いのだ。
 決して娘を虐待している家庭でないどころか、両親2人にとっていつまでも家で暮らしてくれるこんな可愛い娘は他にはいないだろう、と振り返っていて、気が付いた!

 それが原因だったかもしれないと。

 居心地が良すぎる環境とは、人に何らかの「進化」をもたらすものかもしれない。
 こんなところで安穏と日々暮らしていては、今後の自分の成長が望めないと娘が考えた可能性もある!


 原左都子本人が、医学部卒業直後に郷里を捨てて親を捨てて上京したのとは真逆の発想であるのかもしれない。
 私の場合はそれで大正解だったし、その後至って順調な人生を歩めていると自己評価しているのだが。


 娘には娘の考える人生があるに決まっている!

 そこに早期に気付けて良かったし。
 私も亭主も、そんな娘の突然の行動を好意を持って対応できているし。
 娘としても単なる一時の気の迷いで無いことが、既に歴然と表明しているし。

 じゃあ、何も問題が無いではないか。

 そうなると後は。 
 私自身の、“娘が自宅からいなくなると寂しい…”  なる自己中心的な悲壮感を乗り越えれば済む話だ。


 結論は出た!

 我が最愛の娘よ。

 明るい未来に向かって“独立宣言”をしたこの春に、自ら旅立とう!!
 

年度末のこの時期に我が最愛の一人娘からの“爆弾発言”!

2022年03月26日 | 人間関係
 今朝11時頃の事だ。

 いつも土日祝日は昼過ぎまで寝ている娘が起きてきて、洗面所で洗顔をしている。

 「どうしたの? 今日は何処かへ行くの?」と尋ねると。

 「不動産物件の下見を予約していて、そこへ行く。」との娘の回答。

 「それって、今後一人暮らしをする、っていう意味?」
 
 娘答えて、「そう思っていて、ネットで検索したら適当な物件があったので、そこを見に行く。」


 ここで補足説明をしておくと。
 我が家の娘には生まれ持っての“発達障害”があるのが一番の理由だが、母親の私としては、ずっと自宅から職場へ通い続けてくれるものと信じて疑っていなかった。
 ただ、娘からのこの“爆弾発言”を今は冷静に受け入れてやるべきと、咄嗟にに思い直して。
 「確かに貴女も既に28歳になっているから、一人暮らしをしても何も不思議ではないし、そのような発想が出たのを親としては奨励してあげるべきかとも思う。 で、今日は何処の不動産物件を見学してくるの?」

 娘の説明によれば、その場所とは現在の我が家よりも職場に近い場所であるし、職場への交通の便も良い地だ。


 とにかく娘を送り出した後、亭主とこの件に関して話し合った。
 亭主も私と同じ考えで、娘が一人暮らしをするとの意思を尊重してあげるべきとの観点においては何らの異論も無かった。

 ここで亭主が言い出したのは、義母所有物件「メゾン原」の件だ。
 「あの物件が1月まで空室だったのに、もう少し早く娘が言ってくれたら、あそこへ入れたのにね。 あそこならば娘の職場までの乗り継ぎも便利だったのに。」
 いや、まったく亭主が言う通りだ。

 ついでに亭主が言うには、「とにかく娘が好む何処かへ一旦引っ越しさせて、その後『メゾン原』の何処かの部屋が空室になったら、再度引っ越しさせよう。 ファミリー物件でもいいよ、とにかく『メゾン原』が一番安心だ!」

 私もそれに同感して。



 と、ここまで書いたところで、今、娘が帰宅した。

 娘に本日の成り行きを確認すると。

 本日娘が見学に行ったのは、どうやらマイナーな不動産会社が抱えている物件の様子だ。 
 その担当者氏曰く、「物件の流れは早くて、お客様ご希望の物件は既に入居が決定した。 もしも5月の連休に引っ越しをしたい場合は、その2週間前くらいから見学希望を出して欲しい。」

 その話を聞いて、不動産賃貸に関しては(私自身の所有物件賃貸も含めて)既に30年以上の経験を積んでいる私は、合点が行かない旨を娘に話した。
 そして、娘には「零細不動産企業でなくて、今後は大手の不動産企業と折衝してはどうか? その方が、より多くの不動産物件に出会えるし選択肢が広がるよ。」


 
 とにもかくにも、娘の「一人暮らし」希望の賃貸物件探しは既に始まっている。

 娘のその果敢な希望に関して反対表明を出すような、野暮な両親でないつもりだ。

 (本音を言えば、寂しさが隠し切れない高齢母の私であるが)。😭 

 我が最愛の娘がよき一人暮らし物件を見つけるべく、今後共々母親の私も出来得る限りの協力をして、娘の希望を実現させてやりたいと欲している。